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直接手をかけない、声も出さない、

ここ最近、というわけではなく常に問題視され解決しないまま、むしろヒートアップを続けている誹謗中傷。
物理的な暴力を振るうわけでもなく、声を荒げるわけでもなく、名も無い卑怯者の文章一つで人を死に追いやる力を持つ恐ろしい兵器の一つである。

赤の他人(現代風に言えば ”垢” の他人が正しい表現か)と気軽にコミュニケーションを取る手段が手に余るほど増えてきたこの世の中で、誹謗中傷の恐ろしさについては一人一人が改めて真剣に考えるべきである。

批判と誹謗中傷は違う

誹謗中傷は悪であるような記述をしたが、他人に対してネガティヴな言葉をぶつけてはいけないということではない。
相手のためを思い、しっかりとした評価をした上での意見や言葉は誹謗中傷とはならないし、相手を傷つける要因ともなり辛い。
こういった言葉は誹謗中傷ではなく、批判という。

あまりこういった堅い考えは好まないが、ここで批判と誹謗中傷の意味について述べておこうと思う。

批判
良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。

誹謗中傷
根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけることである。

意味を見れば一目瞭然であるが、批判と誹謗中傷では目的がまるで違う。

相手への評価をすることが目的である方が批判。
単に相手を傷つけることが目的なのが誹謗中傷。

ほとんどの人間がSNSを利用し、匿名での自由な発言が許容されている昨今では後者の誹謗中傷の数が群を抜いて増加し続けている。

またそういった誹謗中傷に同調する更なる卑怯者のおかげで、こういったコメントが上位表示され、正当な批判や肯定的意見のような言わば真面目な言葉というものは埋もれてしまっている。

正直者が馬鹿を見ていい訳が無い

言葉は重い

あなたが考えているよりずっと、言葉は重く、とてつもない力を持っている。言葉の刃がナイフを凌ぐことだってある。

いくら名無しの他人からの言葉であっても、自分宛に届いている物であれば完全に無視、無関心でいることは不可能である。
必ずといっていいほど心に何かしらの影響を及ぼし続けている。

逆に言えば、他人からの応援や励ましの言葉も大いなる力を持っている。
応援があればあるほどスポーツ選手のパフォーマンスが上がるのはそういうことである。

確かに、個人で見ればそんな他人の言葉はほとんど力を持たないかもしれないが、数千、数万の束になれば命を奪ってしまうほどの力を持つ。

言葉は重い。
考え無しに発したあなたの誹謗中傷は、誰かの心に深く突き刺さり、癒えることのない傷として残っていく。

無責任な言葉を吐くのを今すぐ止めろ

自分と深く関わりのない著名人などに対して、誹謗中傷を投げかけることに何か意味があるのだろうか。

そんなことをしたからといって、あなたの元に本人が謝罪をしに来るわけでもなく、あなた自身誹謗中傷を投げかけたところで何かが解決するわけでもない。

あなたに対して直接手を下したり、悪事を働いていない人に対して、無責任に言葉を吐くことは今すぐに止めろと言いたい。

名も無く、顔も分からない卑怯者が束になって誹謗中傷をする姿が最も滑稽で、残酷である。

あなたと関係のないことや人に対して、あなたは無関心であるべきだ。

直接手をかけずとも、声を出さずとも、あなたは言葉一つで殺人者になるということを肝に命じて欲しい。

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