食事から得る心の充実と幸せ


一日三度の食事を、どれほど堪能しているだろう。

わたしは食べることが大好き。
一食一食を大事に思っていて、"人生であと何回食事を楽しめるか"なんて、子供の頃からよく考えていた。

今日のこの食事がとても貴重なもので、毎日のその日常がかけがえのないものだと強く意識している。


体が求めるもの


無性に「どうしてもあれが食べたい!」という思いが頭から離れないことがあるけれど、それは足りない栄養を体が欲しているのだと感じる。体からの信号をいつでも見逃さないように、欲するものを摂る幸せを日々噛みしめる。


わたしはストレスから過食になりやすい傾向があって、食欲のコントロールが本当に難しい。過食傾向に陥るとおのずと体重は増加して、メンタルはさらに崩壊していく。食べないと発狂したくなるほどにストレスを感じ、かと言って食べてしまうとその手を止められなくて泣きながら食べる、みたいな辛く苦しい時期もあった。

以前、ダイエットのために炭水化物をオフし、おかずも野菜ばかりの食事にしたときに酷い栄養失調になった。完全に間違ったダイエット法なのだけれど、当時は多大なストレスと重なって幼い頃から染み付いていたコンプレックスが振り返してしまっていたから、もう思考もめちゃくちゃだったのだと思う。

顔色は悪く、血色ゼロ。肌の弾力はなくなり、ストレスで何しても痩せなくて、体重は1キロも変わっていないのに頬はやつれていた。
そんなある日の晩ご飯のあと、どうしても何か食べないと倒れそうな危険な信号を体から感じ「ダイエットの前に健康だ…」とハッとした。そう気付いた途端、白米をお茶碗3杯分一気に食べた。食事を終えた直後だというのに。ひとくち食べた瞬間から手が止まらなくて、その美味しさに涙した。

体中に栄養が行き渡り、不足していた"何か"が満たされていく。テトリスの欠けたパーツが埋まったように、コップ半分だった水が満杯になるように、体も心も充実度が高まっていったのを感じた。


心の健康と食の栄養


過食傾向が強いときは、本当は必要ないのにたくさん食べたくなってしまったり、体に悪いものばかりを求めてしまったりする。けれどそれは錯覚で、体が本当に求めているものではない。

そもそも白米は大好物だし、わたしの身体に合っているものなのでやめる意味がなかった。栄養失調になってまでするダイエットってなんだろう。頑張り方を間違えている。体が本当に求めているものは、体にとって必要なもの。摂るべき栄養。それを摂らずして手に入れられる健康美はない。

だからこそ、錯覚ではない"本物"を見る目が必要になってくる。
体の真の欲求に気が付ける心の余裕も欲しい。
心を健やかに保つことは、バランスの乱れた欲求にも影響がある。
メンタル面に気を配り心の充実を図ることは、生活全ての潤いに繋がっていくものだから。

求めるものを食べられること、食べて心が満たされて元気になること、その繰り返し。


日常にある幸せ


毎日の食事。食べられること。
そんな何気ない日常がとても幸せだと感じる。

食事はまさに、五感が潤うなにより身近な行為。
見た目を楽しみ香りを楽しみ、味を楽しむ。
一食に集中し、味わい、堪能する。
胃が満たされ心が満たされ、充実感でいっぱいになり幸せに包まれる。

その幸せは自分次第で毎日作ることができるものだから。

なんとなく過ぎ去っていく日なんていやなの。
毎日が特別。
この瞬間も、今日の食事も、日常の全てを大切にしていたい。



***

twitterでは日常のことと最新記事のお知らせを発信してます♡
https://twitter.com/senhare_artlife
何気ない日々をアートのように美しく彩る、洋服・美容・ライフスタイルまで含めたトータルファッション情報を発信してます。ファッションで前向きな気持ちになれるお手伝いがしたいです♡
https://senhare.com


ここまで読んでくださってありがとうございました♡スキもコメントも幸せです。そしてサポートしていただけたらとんでもなく励みになります。活動のインスピレーションを得るためやハッピーを集めるために大切に使わせていただきます!