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永乱10年 秦国→聖国首都攻略戦 後半

本日は開戦三日目以降の記事を書いていきます。前半の記事はこちらまで。

3日目

秦国総大将、王騎馬陽はこの日も先陣を切って突撃した。
この日は元浪国の将軍で有力であった九里麻蓮を率いて、聖国前線に布陣した東海独眼将軍に狙いを定めた。

今までは前線の指揮を担っていたのは羽如国の将校や将軍であったが、今日から聖軍の将軍が指揮を執った。

これは聖国第二軍長、東海眼藻大将軍の弟で、聖国で位の高い東海氏として大いに期待を背負う者であった。

それでもなお、秦国総大将、王騎馬陽の勢いは凄まじかった。突撃の勢いを止めることができず、元浪国九里麻蓮将軍が東海独眼将軍の姿を捕らえた。

お互いの格は同等だったが、東海独眼将軍は一騎打ちを好むような将軍であった。それをわかっていたうえで、九里麻蓮は勝負を挑み、最初こそ劣勢であったが、秦軍の勢いを使って東海独眼将軍を討ち取った。

これに驚いた聖軍陣営は王騎馬陽の勢いを止められないと悟り、聖軍は大きく軍を分けて逆に秦軍本陣に狙いを定めた。
これが両軍大いに血を流す判断になってしまった。

その際に二日目に活躍した聖軍第一軍長深馬唄美大将軍を殿に選出し二日目と異なり大規模な軍を展開した。

聖軍総大将、夜鹿芒霊の考察によると聖軍の劣勢は将軍格数の差と判断し、秦軍将軍等に狙いを定め、少しでも多くの将軍を狩りに出るよう深馬唄美大将軍に命じた。

これを受けて、秦軍本営に居た将軍李公、涼張を始めとして防陣を固めた。

将軍格が本営の指揮を執っていたのは自軍が優勢でまさかの本営への反撃を予想せず秦軍は攻勢主体で大将軍の全てが出払っていたからである。

これに同行した羽如軍は大将見蛇大将軍と、金大将大将軍が動いた。いよいよ羽如軍も大将が動いた。

その結果、将軍李公、涼張が応戦し多くの将軍を用いてこれに応戦するしかなかった。

まず同行していた羽如軍、大将軍金大将が先に動いた。
彼もまた羽如軍至強大将軍、青大将の子孫である。青大将は今回の戦には参加していない。

秦軍柴央将軍が本営前衛の指揮を執っていたが金大将大将軍と対峙した瞬間、討ち取られたことにより、秦軍の本陣に一気に聖軍がなだれ込んだ。

これをきっかけに、大将見蛇大将軍が先陣を切り涼張将軍を自ら切り伏せ、続いて羽如軍将校が李公将軍を討ち取った事により、秦軍本陣を大きく切り崩した。

しかし、一方で兵を多く割いた弊害は聖軍にもあった。守備が手薄になったのである。

聖軍本陣では将軍一刻顔玄嘉と和丹間馬貞が主に指揮を執っていた。一刻顔玄嘉は一刻顔氏というかねてより聖国の貴族の出で大将軍へ昇格する一歩手前の武力に自信のある将軍であった。

しかし、やはり多くの主力を割いたが故に防衛に苦戦した。ここで秦国律会将軍が交戦し、一刻顔玄嘉将軍を討ち取った。律会将軍は格上の将を討ち取った事により大いに秦軍の士気を上げた。

結果聖軍も将軍3名、将校2名を失う痛手を負った。

両軍本営まで敵軍が迫り、攻撃も防衛もかなり激しくともに疲弊してしまっていた。

4日目

3日目とは打って変わって秦国は総大将が本陣に留まった。三日目に本営が総崩れになり防戦の指揮に回ったためである。本陣が落ちれば、万が一の際秦軍の退路と補給路が途絶えてしまう。代わりに副将拓人大将軍始め、千空、阿修羅という有力な軍長等が主攻に回った。

一方聖軍は引き続き第一軍長深馬唄美大将軍が主攻であった。その軍には先日東海独眼を討たれたことにより東海眼夜将軍も打って出た。彼は東海独眼の兄であったので怒りに満ちていた。

先に秦軍副将、第一軍長、第二軍長が指揮を執る波状攻撃により、前衛を守っていた羽如軍将校3名を瞬時に討ち取った事により秦軍は聖軍の中央にまで深く侵入することができた。

なんとこれにより、羽如軍大将見蛇大将軍が布陣する羽如軍中央本陣にまで秦軍が迫り、見蛇大将軍も交戦に向かった。見蛇大将軍は羽如国当時、上位5位の実力を誇る大将軍で、武力のみでなく安定的な勝利を重ねてきた武将であった。

これに立ち向かったのは秦軍将軍翔王である。彼は永乱8年に登用され、一気に有力将軍として名を挙げていた武力に自信のある若手の将軍であった。

秦軍副将、拓人率いる波状攻撃をずっと食らっていた羽如軍本営はすぐに大将、見蛇大将軍の布陣する場所まで到達し、翔王はまっすぐに見蛇に狙いを定めた。

秦軍の猛攻により他に大将の守りが不十分なことを見越した見蛇は自ら打って出た。これにより翔王との一騎打ちが始まった。やはり大将軍の圧力には押され気味だった翔王だったが、持ち前の武力に頼り十分切り合いについていけていた。恐らく見蛇の手負いが少なければ、翔王は討ち取られていただあろう。

既に手傷を多く負ってしまっていた見蛇は一瞬の隙を作ってしまった。これを見計らい、翔王は見蛇大将軍を討ち取った。これにより、多くの援軍を派遣した羽如軍が総崩れになってしまった。

それに気を取られてしまった、羽如軍将軍も2名勢いにのせられ討ち取られてしまった。

一方、聖軍の攻勢を前衛で止めていたのは王連将軍であった。彼もまた永乱10年に登用されたばかりの将軍で、初戦であった。

やはり将軍と言えど初戦であった為、深馬唄美大将軍自ら討ち取られてしまった。同時に王連に付き添っていた雷神将校までも東海眼夜将軍により討ち取られてしまったので、秦軍防衛陣を切り開くことができた。

本日防衛陣前衛の指揮を執っていたのは秦軍将軍四天王の二番手を担っている風神将軍であった。加えて四天王昇格間近の慶趙将軍も防衛陣営に参加していた。

防衛陣前衛を突破されたことを見て、風神と慶趙将軍は共に指揮を執り自ら立ち向かい聖軍を止めようとした。しかし、それでも武力の差は歴然で聖軍の軍脚を止めるのに精いっぱいであった。慶趙将軍は本能型で、風神将軍は守りで実力を発揮する将軍であった。

聖軍と共に進軍してきた羽如軍にはおなじみ金大将大将軍の姿があった。一時的にその配下に配属されていた聖軍末端将校瑛逗陀南は末端でありながら、武力はかなりのものであった。

つまり、聖軍の主攻の将二人が攻撃型なのであった。先に守りに徹していた風神将軍に向かったのは金大将であった。風神将軍はいつも通り守りに徹していたと思ったら、いつの間に金大将に迫られ討ち取られてしまった。

これにより、慶趙将軍は攻撃型の将二人に挟まれ、そのまま討ち取られてしまった。これにより、秦軍将軍四天王も二人討ち取られ、中々に勢力が削られていった。

5日目

今日は、なんと秦国の副将が討たれてしまった。

これは4日目に引き続き副将の拓人大将軍が軍を率いて聖軍に向かっていた。ここには先日活躍していた元浪国九里麻蓮将軍も配属されていた。

いつも通り、聖軍の防衛前線を打ち破りに行こうとしたがここで聖軍第三軍長、瑛逗陀駆大将軍が小隊を編成して正面から対峙した。これにより一騎打ちを拓人と行い、激しい討ち合いの中見事拓人大将軍を瑛逗陀駆大将軍が討ち取った。

拓人大将軍はかねてより、秦軍筆頭大将軍、王騎馬陽と共に永乱2年より副将として活躍していた将軍であった。

拓人大将軍を失ったことは秦国の士気を大いに下げると思われたが、既に秦軍は別動隊が動いていた。

勿論この事態を想定した別動隊ではなかったが、秦軍藨凱公紹将軍が指揮をとり、姜斐巳将軍を連れて聖軍本陣に迫っていた。

幸いなことに、かなり遠回りした別動隊で、副将拓人大将軍が討たれた速報が入らなかった為作戦通り進軍を進められた。

この別動隊の狙いはもちろん聖軍の総大将であった。

秦軍別動隊は見事、聖軍総大将の背面に迫った。

聖軍の背面は聖国の首都で、まさかここに敵軍が迫ると予想できず、守備は限り無く手薄だった。手薄な為、ここの守備隊長には羽如軍将校土蛇がいたが、即座に討ち取られてしまった。

聖軍総大将からすれば、秦軍副将拓人大将軍を討ち取った吉報を受け取ったばかりの時に背後から急襲を受けたのである。土蛇将校が討ち取られたことにより、聖軍の背面から警鐘が鳴り響いた。

急襲に成功した秦軍の将軍姜斐巳聖軍総大将夜鹿芒霊大将軍に迫り、不意打ちという形にはなったが見事、聖軍総大将、夜鹿芒霊大将軍を討ち取った。

これにより聖国連合軍の聖軍、羽如軍共に総崩れになり、首都が陥落した。

ここで聖国は亡国し、領土全てが秦国に移った。

朱李国戦勝

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