見出し画像

画面越しで白髪染めをする女神

仕事帰りの銀座線で気が付けば意識を失っていた。低気圧だからだろうか。

私はもともと広告代理店で海外営業として働いてきたが、半年前に転機を迎えて調香師として社内起業で香りのブランドの立ち上げに独りで動いている。
工場さんやデザインエージェンシーさんなどの協力者を探す。展開する香りの仕様を決めて、ブランドのコンセプトを考え、予算も給料も自分で決める。自分のことを多忙と思ったことは無いが、知らない間に疲れがたまっていたらしい。眠りに落ちたタイミングが思い出せないまま、気が付けば電車は終点の浅草に着こうとしていた。現実と非現実の間を行き来しながら、どんどん回りの輪郭を捉えていく。光がまぶしい。抱えきれない荷物を足元と荷棚においてリュックを抱えていた私。これからこれらの荷物を独りで抱えて、雨の中移動して、香りを作らなければならない。

永遠に消えないTO DO リストを思い浮べて思わずため息が漏れた。作業自体は苦ではない。自分の「スキ」を事業として動かすことで「自分だけの楽しみ」ではなく、他人様の貴重な時間と資源をもらって世の中に押し出していくことに対して恐怖を抱き始めていたのだ。今やってることが必ずしも成功するとも限らない。社内起業だからこそ自分の生活を営むうえでは守られている。しかし、人を巻き込んで何かを巻き起こそうとしている今、プレッシャーに押しつぶされそうになっていた。周りからの心温かい応援にいつも励まされているのに、その応援に対してさえも「期待にこたえなければならない。そして私はそこまでに至れていない」という現実に焦りを感じていた。

荷物を抱えヨタヨタと電車を降りる。すると珍しく母からLINE の電話がかかってきた。荷物も多いし後で折り返そうと電話を取らずにそのままにしていたが一向に鳴りやまない。荷物をいったんすべて置いてイヤホンを取り出したりごそごそしていると電話に出るとビデオ通話に切り替わっていた。

目の前には満面の笑みを浮かべたシャワーキャップを被った祖母が映っていた。

「ゆみちゃん、元気かん?」

祖母の横から母も登場した。
「あらゴメン、外ね?遅いとじいちゃん、ばあちゃん寝ちゃうから電話したのよ。」

普段から母や祖母には基本的に仕事の不安は漏らさないのだが、特にシャワーキャップを被った祖母を見たときに自分の悩みがアホらしくなってきた。

「今白髪染めてるのよ。ゆみちゃん、最近はどんな感じなん?」

「ぼちぼち、やってるよ!うまく行くこともあるし、そうじゃないこともあって悔しいけどまあ、そういうもんだよね。」

「あらそう。おばあちゃんね、ゆみちゃんの作ってくれた香りをつけてるのよ。スーパー行ったり、美容院行ったり。気持ちが切り替わってすごくいいね。いい香りだからまあぼちぼち頑張って。」

私がすり減っていた大きな理由の1つは、いろんな人の協力や応援を得て進めているのに、「ありがとう!」って言える成果や実績がまだ何も得られてないことだった。無力の私が息して生きているだけで発生するコスト、他人様のリソース搾取に罪悪感を抱いていた。でも、目の前の祖母を自分の香りでいい気分になってもらうことができているという事実にココロが救われた。

もともとは人の生活や心に彩を添えるために香りを作りはじめた。そしてその目的は今も昔もずっと変わっていない。自分を満たしながら、人にも優しく。そしてその優しさが循環して、1人1人が、その人らしい人生を歩めるような創造的な世の中になってほしい。

だからこそ、自分を痛めつけて作るブランドではなく、心から楽しんで感謝しながら、明るい未来に想いを馳せて夢に向かって走っていきたい。シャワーキャップを被った祖母を見て、改めて原点に引き戻してもらった気がする。

「ありがとう、頑張るね。」

眠気は飛んでいき、私は笑顔で電話を切って次の目的地に向かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?