見出し画像

心のささくれは毛羽立っていないだろうか

中学校三年生の秋。二学期が始まって一ヶ月ほど経ったころだ。
僕は、隣の席の女の子が絆創膏を使おうとするその一連が気になって声を上げた。

「え?なにそれ?」

彼女は、絆創膏の包装の先をつまんで軽く開いた。ここまでは僕も知っている。
その後だ。絆創膏の包装を最後まで開き切らず、中身を引き抜いたかと思うと、絆創膏を患部に巻き付けたあと、粘着部分に貼り付いていた紙を包装の中に置き、包装を元の形に戻した。これで見た目は使用前と何ら変わりない状態になった。

(……読者の方には至極当たり前の話をしてしまったかもしれないが、これが中学三年の僕にとっては、やったことも思いつくことすらもなかった行為だったのだ)

なぜ綺麗にまとめる?これはローカルルールか何かなのか?
僕なら「絆創膏の包装を開ける、最後まで引き裂く、患部に貼る、バラバラのゴミを手の中に握りしめて捨てる」が定石だったから、もし審査員たちの芸術点に影響を与えるものだとしたら、ぜひとも取り入れたいと思った。

驚いた僕の顔を見て、彼女も逆に少し驚いたような表情を見せた。
もしかしたら彼女は、僕の様子からして自分のローカルルールによる作法が露呈して恥ずかしい気持ちもあったりするのかな。芸術点には影響しないから、僕に質問されたらどうしようとか思ってたりして。

そんな僕ら二人のもとに一人の男子が現れて、あっさりと一言。

「それ、やるよね」

やるの!?
そうかこれが絆創膏のグローバルスタンダードというものか。いや、そんなことよりもこの行為はすごく品がある感じがしていた。初めて見た時から思ってた、これぞ様式美なのかと。
そして今からでも取り入れられるB難度くらいだろうとも。

正直なところ、僕は新鮮さと共に、大げさではなく育ちの違いがこうさせるのかと考えるほどだった。

今度自分が絆創膏を使うときは、やってみよう。
そう思っていても、何度も忘れてしまっては包装を引き裂いてしまい、バラバラの紙切れを捨てる日々が続いた。

それから十一月のある日。
その時僕の周囲の席にいた数人でクリスマスの話が盛り上がった。

中学校三年生という年齢、みなさんはどう思うだろうか。
もちろん、サンタクロースについてのことだ。
その時の会話の流れは覚えていないが、そこで僕は声高に言った。

「まあサンタクロースっていないしねぇ」

隣の彼女が、反応した。

「え?本当?」

(全て、今思えばの話だ)
さっきまで数人で話していたと思ったのに、周りの人間はいつの間にかどこかにいってしまい、二人で話す感じになっていた。当時の僕は、本当の意味でコミュニケーションの取り方を理解していなかったし、冗談や毒舌という表現にかまけて、人の気持ちに対して希薄な面があった。

「うん、いないよ。いないでしょ。え?ちょっとまって?冗談だよね?」
「へぇ。そうなんだ……」
「えぇ……」

驚いた彼女の表情を思い返せば、一言目から本気に違いなかったのだ。そのことに僕は全く気が付けなかった。そして全く笑顔のない数秒間を過ごしたことで、僕は彼女のクリスマスの希望を引き裂いてしまったのだと理解した。
(実はこの数か月後に、僕たちは付き合うことにもなるわけで、逆算してもこの時は二人で想い合っていたが故に、僕も完全な空回りをして、彼女はまさか僕の口からこんなことを告げられたくはなかったかもしれない。そういう悲し気な顔にも見えた)

これは難度どころの話ではない。人生に一度しか出来ない部類の「失格」をしてしまった、だからさっきまで一緒に笑っていた周囲の審査員も席を立っていたのだ。

----------

人の生活の中で、仕草とか口癖とか使う言葉には、必ず何かしらのルーツが存在する。
僕は絆創膏を使うとき、今では必ずといっていいほど包装を綺麗に戻すようにしている。彼女に対する未練とかそういうのではなくて、彼女から教わったやり方だったなあって、それだけ印象深い思い出として残っていた。

そして彼女とは、結果的に全く良い別れ方が出来なかった。
また、もし久しぶりに彼女と話すことがあったとして、もし心がささくれていたら、警戒されない程度にうんと優しくしたい。

もう、何も引き裂いてはいけないのだと学んだから。

僕なりの、「ここさけ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?