未来の実現方法と、彷徨う亡霊。

誰もが未来予知をしている

「未来は過去からの連続でしかない」

そんな当たり前の事、と誰もが思うかもしれない。同様に、

「未来は誰にもわからない」

と言われた場合にも、そんな当たり前の事、と誰もが思うのではないだろう。

そしてこれが矛盾する事にも、おそらく同じくらい気づかないのではないだろうか?

実は簡単な未来予知であれば、誰もが毎日体験している。

例えば今キッチンに言って水道の蛇口をひねったらどうなるだろうか?

水が出る事を予測できなかった人はいるだろうか?

1秒前は過去だし、1秒後は未来である。

つまり、過去の事実に起因した結果が未来である。

何か大きな目標を掲げてる人が、その中身が全く漠然としている場合がある。例えば、大金持ちになりたい、とか、有名になりたい、のような感じで。

かなり具体的な理想を持っている人ももちろんいるが、ほとんどの場合、

じゃあいくらあればいいの?とか、どのくらい有名になりたいの?と聞いて、即答できる人はほとんどいない。

例えばお腹が空いた、と思った時に、目の前に突然食べ物が出現した事があるだろうか?

SF映画の世界でもなければ、まずそれは起こらないだろう。

ではもし今、菓子パンが食べたいと思ったとして、どのような行動をとるだろうか?

家に菓子パンがなければ、まずは最低限、外に出られるような服を着るだろう。

財布を持って、近くのコンビニまで行って、目的の菓子パンを選んでカゴに入れて

それをレジに持っていって買うのではないだろうか?

更に細分化しようと思えば、まず靴を履いて玄関のドアを開けて、、など、いくらでも細分化できると思う。

そしてその細分化ができるのは、これを書いている私だけに許された能力ではなくて、これを読んでいるほとんどの人ができると思う。

何故なら、それがパンを買いに行くというような些細な事とはいえ、その望んだ未来をほぼ確実に実現する方法をほとんどの人が明確に知っているからだ。つまり、

望んだ未来を実現する為には、明確にゴールを立て、そこに辿りつく為の道を知っていて、それを実行する必要がある。

そしてこれはこんな些細な出来事においても、一つでも条件が当てはまらなければその未来は実行されない。

まず、菓子パンとは言ったものの、どのパンにするかは行ってから選んで決めないといけない。菓子パンは俗称であり、ウィンナーパンにするのか、明太マヨパンにするのか、チョココロネにするのか、実際にはどの種類のパンにするかを実際に具体的に選んで決めないといけない。

つまり、漠然と”菓子パンが食べたい”と思っても、菓子パンを買う事はできない。

次に、菓子パンがコンビニに売っている事は常識だと思っているが、では赤ん坊がこの事を知っているだろうか?菓子パンがコンビニに売っているというのは、紛れもなく、生活の中で得た”情報”だ。

この”売っている場所の情報”がなければ、”コンビニに行くという行動”に繋がらない。

このような日常的なものであれば普段生活している中で当たり前に情報が入ってくるので、むしろ常識とも呼ばれる範囲だが、もし日常的でないものを目的とした場合、その情報は”常識”のように日常的には簡単に得難いという事も知っておかなければならない。

そして、部屋の中で「そうだ、明太マヨパンが食べたい!」と思ったとして、コンビニに売っている事は知っているし、コンビニまでの道は知っているし、買う為にいくらの対価を払えばいいかも知っている状況でも、実際に外に出てコンビニまで足を運ばない限りは、何年、何十年、何百年経ったとしても

永遠に明太マヨパンを手にする事は絶対にできない。

そしてここまでは未来を実現するまでの必要最低条件だけに絞ったが、実際には、買うための金がない場合もあるかもしれないし、外が雨なのに傘がない場合や、コンビニに向かう途中で事故に合う可能性もある。このような未来の実現を阻む外的要因は、それこそいくらでもある。そして、

予想できない多くの外的要因が無数に存在するからこそ、「未来は誰にもわからない」のだが、

それ以前に、何故か必要最低条件すら満たそうとせずに、

明確なゴールがなく、闇雲に彷徨い歩きながら、「何故たどり着かないんだ?」

と言っている人が世の中に溢れてはいないだろうか?

なぜ迷っている事にすら気づかないのか?それは、半ば歩き回ってしまった事で疲労感を感じ、

歩いた距離だけを見て、進んだ、と錯覚しているからである。


現代社会は情報が溢れかえり、それと同時に、とれる選択肢も多くなってきていると思う。

その中から自分にとって本当に有益な情報を見極め、意味のある行動をしていく事はとても難しいように思う。

また、その見極めや、選択肢を試していく事だけでかなりの体力を消費してしまう場合も多く、それだけで何かやったような、虚空の充実感を得てしまうという危険性すらある。

半ば途中まで歩いてきたつもりが、その先に道がなかった、という事が誰にでも当たり前に起こり得るような状況だと思う。

そうならない為にも、自分にとって本当に大切な事は何か、と意識する事をできる限り心がけ、粛々と、未来に向かって進んで行く姿勢が大事になるのではないだろうか。







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