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主観のポートフォリオ #1(お試し投稿)

第一話「ミラーワールド」

 私は夢の中で目を覚ます。
 夢の中なのに目を覚ますというのはおかしなことだけど、ここが夢の中だと分かるのはよくあることだ。

 このうつろいやすく不確かな世界で起こる様々なできごとは、つまらない現実世界とは違って私の心を揺れ動かし、多彩に彩る。それは心の中で複雑に反響して、私の心を大きく育てていく。夢の中の方が現実より生きている実感がするのはこのせいだろう。
 ただ、本当に目が覚めると決まって夢の中のことはあまり覚えておらず、いつももどかしい気持ちが残るだけだ。今なら、こんなにはっきりと分かるのに。

 私はこの心地よさに心を任せながら、再び夢の中に沈んでいく。ずっとこうしていられればいいのにと願いながら。

 でもそんな願いは叶わず、私の意識は急に現実に引き戻された。

※※※

「ピピピ……」

 目覚ましのアラームを止め、睡眠不足の頭を無理やり起こした私は、カーテンの隙間から差し込む朝日に目を細めながら、薄れていく夢の記憶を必死につなぎとめようとする。でも、夢の中ではあれほど鮮明だったものが、手のひらから零れ落ちてしまうように次々と頭の中から消えていく。

 何か大事な夢を見ていた気がするけど、もう、思い出せない。
 いつものことだと割り切る自分と、いつまでも慣れない喪失感にもどかしさを感じる自分。結局は割り切りの方が勝って、かすかに残った夢の余韻を心の片隅に抱きながら、今日も現実世界の一日がはじまる。

 私の名前はコトミ・イチノセ。東京都内の中高一貫校に通う高等部二年生だ。

 気を取り直した私は、枕元に置いたメガネ型情報端末=アイウェアを身に着ける。夢の中の世界とは違って、現実世界ではまずアイウェアを着けないことには何も始まらない。
 アイウェアの起動とともに、 レンズを通してベッドの上に一匹のプティング・ハムスターが現れる。ハムスターはキョロキョロと辺りを伺った後、後ろ足で立ちながら私の方を見て首をかしげる。
 私はいつもと変わらないその愛らしい姿に思わず微笑みながら、ハムスターに話しかけた。
  
「おはよう、コジロー。部屋の電気をつけて。あと、朝食はパンでおねがいね」

 プティング・ハムスターの姿をしたサポートAIのアバター「コジロー」のチチッという鳴き声がアイウェアから聞こえると同時に、部屋の照明が点灯する。リビングでは食パンがトースターにセットされ、私がテーブルに着くころに焼きあがるはずだ。

 コジローはアイウェアを通じて見える世界で私のリクエストを実行する。現実世界と重なるその鏡越しのような世界で行われたデジタル処理は、ペアリングされた現実世界の機器を同じように動かす。その逆に現実世界の出来事は鏡の中の世界にも反映される。

 そう、私たちの社会は二つの重なり合う世界でできている。物質アトムの世界と情報ビットの世界だ。歴史の教科書によると、五十年くらい前に携帯情報端末がスマートフォンからアイウェアに変わったのを皮切りに世界の半分以上が情報ビット化され、まるで現実に重なる鏡越しの世界のように電脳空間「ミラーワールド」が作られたということだ。それによって、アイウェアを着けた人間はAIのために情報を集める動くセンサーになった……というのはSF好きな科学の先生の冗談でクラスの皆は笑っていたけど、私は少し怖かったのを覚えている。

 朝食を食べながらアイウェアを通してコジローに感染注意報ウイルスアラートのチェックをリクエスト。アトム、ビットともにオールグリーン。最後にアトムにアラートが出たのは私が生まれるずっと前らしい。ミラーワールドによる情報管理と衛生管理で徹底的に抑え込まれた季節性感染症よりも、アイウェアや情報空間に感染するコンピューターウイルスの方がよほど怖い。アトムの警報なんて、いつまで表示しているんだろう。

 どうやらこの国は一度始めたことを止めることが苦手のようだ。新しいルールを作るのも苦手だけど、その代わり一度やり方=プラットフォームが出来上がると強さを発揮するようで、低迷していた経済はミラーワールドという世界的プラットフォームができた後に大きく盛り返し、今では世界有数の経済大国に返り咲いたと先週の社会学の授業で習った。社会学は好きな教科で、今日はこの続きの講義があると思うと登校前の憂鬱ゆううつな気分も少し軽くなる。

 そう、私コトミ・イチノセは最近少々学校生活に問題を抱えているのだ。

※※※

 玄関を出て通学路を歩きながら、溜息をついてアイウェアのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)機能のロック解除をコジローにリクエスト。とたんに、クラスメイトの女子生徒からのメッセージ通知と添付された動画がアイウェアの画面いっぱいに広がる。

「うわぁ、今日もたくさんきてるなあ。みんなよくやるよね」

 添付された動画は有名タレントのWEBライブを素材に各自が自分のサポートAIに編集させたものだ。アングルが独特なもの、BGMに合わせてうまく動きを繋げたもの、目を引く色合いに変えたものなど、どれも凝った作りだ。クラスのグループではこの話題でもちきりのようで、チャットルームは各々の動画の良さを主張するコメントが延々と続いている。

 クラスメイトだけでなく、世の中の人はAIにコンテンツを編集させてSNSで共有する。自分がどれだけ「体験価値」を生み出せる人間かをアピールするためだ。
 人々はモノではなく体験にお金を払う。だから、体験を生み出す力は社会的・経済的な立場を強くする。
 最近では「体験価値」を生み出す方法、つまり「楽しみ方」を集めて紹介・販売している「キュレーター」という人たちが話題になっている。クラスメイトはこのキュレーターが配信しているフィルターを使って動画を作っている。

 でも。誰かが作った流行りのフィルターを使ってフォロワーが増えて。それって、自分の「体験価値」がすごいって言えるのかな。クラスメイトは楽しそうに騒いでいて、そこに価値がないとは思わないけど、上手く言えない何かがずっと心に引っかかっている。
 そう、私の抱えている問題というのはこのSNSと「体験価値」に対するモヤモヤだ。だから最近は家にいるときはSNS機能をOFFにして、なるべく見ないようにしている。

 それでも付き合いというのは必要で、私もいくつかキュレーターのフィルターを持っている。少しは自分も動画を投稿しないと、クラスのグループで浮いてしまうから。
 私は、いつも同じような事で騒いでばかりいるクラスメイトへの密かな当てつけとして、名前だけで選んだキュレーターを選択、コジローに編集をリクエスト。
 
「コジロー、この動画をキュレーター「ビジーレイジー忙しく怠ける」で編集して。カメラ目線重視で、十五秒くらいの長さでお願い。それを二年C組の女子ラインに送信して。コメントは……「楽しかったね!」としとこっか」

 コジローのチチッという返事とともに、編集された動画と送信メッセージがアイウェアに表示される。私は内容を確認した後「オッケ」と言いながらウインクのゼスチャーをしてコジローに送信の許可を出す。
 こんなSNSのやりとりに何の意味があるんだろうと思いながら、私は代わり映えのしないいつもの通学路をぼんやりと進む。

 でもこのときの私は、こんな憂鬱で退屈な日々が今日で終わるなんて、考えてもいなかった。
 私の時間はこの日から音をたてて動き出したんだ。

 あの「魔法使い」に出会って。


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