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私はまた人生の話をする

 みんな〜!ドラマ『みなと商事コインランドリー』、観てる〜?
 観てないなら観た方がいい。とりあえずあらすじ聞きます?東京でブラック企業に殺されかけて半年前地元に戻り祖父のコインランドリーを継いだアラサー男が、近所の男子高校生に熱烈に恋されてさてどうする!?みたいな話なんですけど、これがマジの良作で。
 原作はpixivで募った原作小説を漫画化した同名作で、レーベル的に世の所謂ボーイズラブの平均値よりかなり爽やかめの仕上がり、というのが、読んだ私の最初の感想でした。爽やかめ、というのは性的な描写についてのみ取り上げてそう言ってるんですが(BLにあまり触れたことのない皆様におかれましてはご存じないかもしれませんが、BLはその性格上かなり露骨な性描写がパターン化されており、本作はその中でもかなり控えめな部類かと思います)実写映像化にあたって、殊人物描写においては原作に散りばめられている素敵な要素を一つ一つ丁寧に拾い上げた結果、その爽やかさが反転してなんとも滋味深い人間ドラマと化している。
 こちとら好きな男(草川拓弥さんことダンスアンドボーカルグループ超特急4号車・メインダンサータクヤのことです)がキラキラドラマのアラサーヒロイン役をやるってことで肩ぶん回して萌える気満々で臨んだというのに、途中から様子が変わってめちゃくちゃ重い人生について考えさせられたわけですよ。この気持ち分かります?分からないなら早くこんな怪文書読むのやめてドラマ『みなと商事コインランドリー』を観てください。YouTubeで1話無料配信してるしParaviで全話観れます。

 この作品の肝はとにかくアラサーの主人公と、彼に熱烈に恋してなりふり構わず迫ってくる高校生の年齢差であり、物語上の障壁はここに設定されているのだと誰もがすぐに理解できるかと思います。そういった分かりやすい構図に登場人物を配置しながら、話が進むにつれ、また湊晃という人の過去の恋愛への後悔が解体されるにつれ、問題の本質は相手が高校生であるがゆえに持ち出される倫理観や社会性ではなく、より複雑な人生そのものにあると明らかになってきました。(現在第7話まで放送中)
 これ恋愛の話なのでどうしても全部その要素で語られがちなんですけど、冒頭でも紹介したように湊晃って東京でコテンパンにされて帰ってきてまだ20代なのに自分をアラサーのおじさん呼ばわりするような人で、とにかくなんかどっかで諦めてきたような人なんですよ。多分設定がブラック企業で働きすぎて体壊した、じゃなくて夢破れて地元に帰ってきたバンドマン、とかでもキャラ造形あんま変わんなかったんじゃないかな(笑)それくらい自尊心の低さが強固なんですよねこの人。(バンドマンの湊晃、嫌だな…)
 この、どうしても誰かの手を取れない湊晃の行動原理が解明されていくのと同時に、高校生のシンくんのまっすぐな恋心は湊晃を”情けない自分との闘い”に追い立てていくわけです。
 自分の情けなさに向き合うって、人生が長く積み重なっていけばいくほど本当に恐ろしさが増していく行為じゃないですか。ましてや一度東京に出てボロボロになって地元に戻った30手前の人間の孤独を想うと、私ほんともう、耐えられなくて………後悔があるというのは、その分人生その時々にあったいくつもの可能性を知っているということです。その湊晃がいくら「好みのタイプ」だからと言って、17歳の高校生の手を取るか?ってそりゃ取れるわけないじゃないですか。シンくんをこれから待っているであろういくつもの人生の分岐点は、自分が今振り返って数え上げては怯えている、あったかもしれない可能性そのものだからです。その手を安易に取ったりなんかしたら湊晃というキャラクターの自我は消失し、作品は単なるポルノに成り下がる。(視聴者が求めているのはポルノだ、と言ってしまえばそれまでですが)
 BLというのは基本的には予定調和ですから、何らかの障壁をすったもんだしながら超えて、最後は付き合うだのキスだのなんだのに収束するに決まってるんですが、ここの湊晃が抱える恐怖の正体、みたいなところを丁寧に丁寧に描こうとしているのが7話までの数話だったと思います。
 この、17歳の高校生に人生にズカズカ入ってこられる瞬間の湊さんの戸惑いや、表情の端に滲む痛みがほんとうに素晴らしいんですよ。原作ではカラカラ笑うかわいいお兄さん、という印象の強い湊晃というキャラクターが、背後にこれでもかと人生を塗り込められて、草川拓弥さんの「弱くて今にも壊れそうな脆い人」という解釈を経て、魅力有り余る人間として描かれている。人間の魅力って、何ができるとかこれができるとか強いとかかっこいいとかそういうプラスの要素だけで成り立っているものじゃないんだよな、と思わされます。
 草川拓弥さんという人は、美しいすがたかたちを持って生まれながら、かっこいいだけかわいいだけ、を敢えてかなぐり捨てるように生きてきた人なのだと、私は思っています。それは草川さんだけが持っている稀有な才能だし、草川さんだからこそ、めんどくさくてどうしようもなくてだからこそその人間臭さを捨てきれない真実の湊晃を、立体的に見せることができる。そこにいるだけで、キャラクターに人生を背負わせることができる。

 人の人生に立ち入るのと、自分の人生に人を立ち入らせるのは、どちらがより難しいことでしょうか。
 湊晃が後者を許すためには、来た道を一度一人で戻り、そこに立っている過去の情けない自分一人一人と殴り合いの喧嘩をしなければいけない。それはあまりに酷なことです。かといって、そこに立ったままの情けない自分を直視できるほど達観はできていない。自分は逃げて来たのだという自覚があればなおさら。
 人生は長く、恐ろしい。湊晃を見ているとそのことをどうしても思い出してしまうのです。
 あの時こうしていれば、あの時もう少しなにかできていれば、何もかも違ったかもしれない。そんな思いを一瞬たりとも抱かないで生きていける人間はそう多くないでしょう。今は分からなくても、きっと誰もがいつか、湊晃を真に理解する日が来る。
 私がここでお伝えしたいのは、『みなと商事コインランドリー』は人生の後悔の物語であり、私たち一人一人にもあらゆることを投げかける作品であるということです。


 ……ところでさ、超特急が4人増えて9人になったんですよ。
 4月に新メンバー募集オーディションの開催を発表してから早3ヶ月と少し。短いようでやっぱり短いその期間で、本当に超特急自身が満足できる結果が得られるか、もしくは好きなグループが思わぬ方向に変わってしまうかもしれない、そう考えて胃を痛められたファンの皆様も多かったことでしょう。私たち……よく耐えたよな………その間最高に楽しい全国ツアーが開催されていたとはいえ…。
 でもさ、正直言っていい?なんかすごい…すごく、結果として、ベストを超えたベストっていうか…本当に素敵な4人が加入してくれて、その4人を間違いなく選び取ることができた5人が私は誇らしいです。9人のパフォーマンスはまだ1曲しか見れてないし、4人のことはおろか5人のことも実際私はまだよく知らないなと思うことが多いのですが。

 何より一番嬉しかったことがあって、それは超特急が「オーディションそのものをエンタメにしなかった」ということです。
 途中経過として公開されたオーディション映像は、参加者の顔が完全に非公開。歌ったり踊ったりしているのはなんとなく分かるけど「この子いいな」と思う余地がないくらいほぼ参加者の情報がこちらに伝わってこないように作られていました。
 オーディション番組というのは古来からよく使われてきた採用方法で、私が知る限りではモーニング娘。からEXILE、EXILE TRIBE、最近で言うと韓国資本から吉本さんとこのファン投票形式、虹プロやTHE FIRSTのオーディションは私も楽しく観たしもう泣けちゃってね…すごく面白かったんですよ。候補生たちがオーディションの中で成長したり、候補生同士で暖かな心の交流を繰り広げていたりすると彼女ら彼らの行く末に幸せを願うしかなくなる。そうやってデビュー後も熱量高く応援してもらえるための一つの着火点として、オーディション番組というのは機能してきました。
 一方で、これはTHE FIRSTにおけるSKY-HIさんや、LDHの最新オーディションにおけるEXILE SHOKICHIさんに顕著だったことですが、どうしても「選ぶ」ことに苦しみを覚える主催者も目立つようになりました。私日高さんのこと何も知らないけど、誰かを選ぶと同時に誰かを選ばない、という行為に追い詰められてメソメソ泣く姿にもらい泣きしちゃったもんね。
 誰かの人生を華やかな場所へ押し上げることが同時に、誰かの人生を置き去りにすることでもあるというのに気づいた時、選ぶ側の心に負担がかかるのは当然のことでしょう。
 超特急が開催したオーディションも、当然受かった4人の陰にそれ以外のたくさんの候補生がいたはずです。けれど、「超特急のオーディションに落ちた名前のある誰か」は客観的には存在しません。オーディションの持つ残酷さを背負いながらも、「超特急のオーディションに落ちた○○」としてこのさき生きていかなければならない人間を、超特急は作らなかった。私はそのことが嬉しくて、ありがたかったんです。超特急のファンとして。

 新メンバーお披露目の場で、オリジナルメンバーの7号車タカシさんは苦しそうにこう綴りました。

「人の人生を左右させることって初めてだったので、自分も押しつぶされそうになったりとかしたんですけど」

 彼の真面目さ、やさしさ、心のあたたかさはファンである我々は当然知るところですが、オーディション結果の報告に際してまずこれが出てくるタカシくんの誠実さのなんと美しいことか。けれどそのやさしさがただの漫然としたやわらかさではないということもまた、ファンの多くが知るところかと思います。
 そもそもなぜこのオーディションが開催されたのかという話に遡ると、おそらく、これは本当に私の推察ですが、今まで不本意な形でのみメンバー構成に変更を余儀なくされてきた上、そのために負った苦しみも計り知れない彼らにとって、前に進むために「自分たちで決める」ということが、何より必要なことだったのではないでしょうか。なぜなら、やはりこれは彼らの人生だから。
 とすると、5つの連なった車両の後ろに連結されるのもまた人生そのものである。そのことをよく理解し、言葉にしていたのは2号車カイさんだったように思います。

「たくさんの候補生がいる中で、もちろんその人たちの人生が変わるのもそうだし自分の人生もそうだし、8号車(※ファンのこと)のみなさまの人生もそうだし、9号車(※スタッフのこと)のみんなの人生もそうだし、いろんな人の人生が変わるっていうことを大前提に考えてすごく悩んだんですけど、この4人と進んで行けたらという気持ちになっております」

「ただ僕はあまり嘘をつけるタイプではないので、本当にこの合格が正解だったのかはいまはわかっていません。正解にしていくべき、だと思っているし、正解にしていくためには今この瞬間を大事に積み重ねていって未来に繋げていくことが大事だと思っています」

 カイさんの聡明さは、正直さを装いながら超特急に連なるすべての人の人生をかけがえのないものだと認め、どこか切なさを以って守ろうとしているようにすら思えました。それは過去と現在の肯定であり、未来への決意表明に他なりません。

「10年て長いねほんとね、長かったよ。長かったけど、ほんとに長かったけど、まだ諦めてないんすよ夢」

 5号車ユーキさんのその涙まじりの叫びは、10年という長い年月に捧げた自分の人生、そこに混じる苦しみや悔しさをひとつも隠してはいませんでした。それらに真っ向から向き合って、直視して、その先に進もうとしていました。

 超特急は人生そのものであるからにして、新しく加わった一人一人の人生、もしかするといつかどこかの誰かの人生にとって取りこぼされてしまったものだったかもしれない人生や、今までそっと側を走っていたかもしれない人生や、どこに辿り着くのか見えないまま走っていたのかもしれない人生や、どこか別のレールに乗って走っていく道があったかもしれない人生を、そして不特定多数の全てのファンの人生を、何もかもひっくるめて連れて行こうとしています。
 だから私も終着駅まで、笑顔で走って行こうと思います。だって3号車リョウガくんがさ、超特急なら大丈夫って言ってたからね。

 そしてこの怪文書を最後まで読んでいるそこの奇特なおまえ。
 もし未乗車なのであれば、飛び乗るのは今です。
 超特急はいつだってあなたの人生を待っています。楽しいぞ、じゃあな。