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悪魔祓いって現存するらしい

ひらちゃん

「ブラジルに行く。奥地の村で世話になる。そこではまだ ”悪魔祓い” をやってるんだ」

 祖母はたくさんのきょうだいの第一子長女で、でもその弟の一人、私の大叔父にあたるというその人に会ったのは、おそらく初めてのことだったと思う。
 祖母は祖母で、仕事で東京に来る度にその頃東京で大学に通っていた私を連れ出して、自分で言うのもなんだけれど多分、見せびらかしたかったのだろう。若くて背が高くて丁度よく利発そうな顔をした当時の私を、祖母がひとに見せたがった気持ちはなんとなく分かる。綺麗な祖母と並んで「あら、お孫さんそっくり」なんて言われて、私だって悪い気はしなかったから。
 その時もそういうつもりで出かけたはずだった。だから六本木のカフェで悪魔祓いの話になるとは露程も考えていなかったのだ。

 言うにはそのブラジルの奥地で行われている悪魔祓いの儀式とやらは、次のようなものらしかった。
 悪魔に憑りつかれた人間を囲み、一族で飲み食いする。お祭りのように大騒ぎして、みんなで一晩を過ごす。
 それだけ?そう思うかもしれないけれど、勘のいい人ならなんとなく察しが付くと思う。ここで言う悪魔祓いとはある意味誇張された表現であって、悪魔に憑りつかれた人というのは簡単に言えば「病気の人」のことらしい。
 病気になるのは、孤独だから。孤独なのは、コミュニティから離れてしまったから。
 つまり病の原因を大きく社会性の問題と捉え、その人を一族の、もしくは村のコミュニティに戻してやることを悪魔祓いの儀式と称しているのだという。
 宗教って元々社会のそういう機能から生まれて人々の間に根付いていったものなわけで、だから全く意外でも不思議でもなく、単純にすごく興味深い話なんだけど、ていうか、でもさそこで「じゃあその村に行こう」ってなる?

 その後大叔父と会ったのは祖父の葬式が最後だ。その時は確か北海道あたりをふらふらしていて、なんだよく分からない新しい楽器を広める活動をしていると言っていた。亡くなったという話は聞かないので多分また新しいなにかを見つけてどこかで楽しくやっているのだろう。

 あれからずっと憧れている。
 あれになれるかと考えることがある。
 一人で、自由で、でも孤独は感じさせず、上品な話し方をする大叔父。
 土着のコミュニティに根を下ろして生きてはいないのに親族の葬式にはきちんとやってきて、すぐに人の輪に加わることのできるあの人に、憑りつく「悪魔」はきっと、いない。