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-Vol.13-プロ野球選手と社会人野球①~出身社会人チームの解析~<32年分の選手名鑑から平成とプロ野球選手を読み解く>

筆者が一年一年購入してきた『日刊スポーツプロ野球選手写真名鑑』32年分、32冊から、様々なデータを解析、紹介するnoteのVol.13

本記事では、プロ野球選手を輩出する社会人野球チームについて、平成年間での変化や、輩出しているプロ野球選手の数のなどを解析したのでご紹介したい。

なお、断りなく“選手名鑑”と記述しているものは、一般名称としてのプロ野球選手の選手名鑑を指し、“プロ野球選手写真名鑑”と記述しているものは、私の大好きな『日刊スポーツ選手写真名鑑』のことを指すように記述している。そんなに意識せずとも読み進められるとは思うがご承知いただきたい

なぜ筆者がこのようなシリーズでnoteを書いているか、お時間がある方は、詳細は下記の自己紹介の記事を読んでいただけると嬉しい。


○社会人野球

皆さん、社会人野球にご興味はあるであろうか?

勝手な想像であるが、アマチュア野球といわれる、高校野球、大学野球、社会人野球の中で、今の時代となっては、社会人野球の注目度は一番低いのでは無いかと思う。

筆者自身も、この記事を書こうと思うまでは社会人野球についての知識と言えば、都市対抗野球を東京ドームでやっていて、プロに即戦力で人材を送ってくる、という程度の浅い知識であり、試合もほとんど見たことが無かった。

しかし、今回、社会人野球について調べていくうちに、地域に根付く企業とそのチームの関係、自分の勤める会社に野球チームがあるということ、クラブチームという組織がプロ野球にも人材を送り込むこと、など、これまであまり意識してこなかった社会人野球の魅力に気付くことができた。

また、社会人野球チームの団体である日本野球連盟のホームページには、その歴史や過去の資料が膨大に掲載されており、読むのにいくら時間があっても足りないほどの充実した内容となっている。
過去の会誌や歴史を記した資料などは、当時の輝きと時代背景が良くわかる一級品の資料であり、プロ野球ファンにも是非一度見てみていただきたい。

本記事では、1989年(平成元年)から2020年(令和2年)にプロ野球選手に在籍した選手のうち、主に社会人野球出身の選手878人について解析した内容を紹介したい。
”社会人野球出身”としているが、これらの選手には、日本野球連盟に属さない企業やクラブからNPB入りした選手や、平成初期の球団職員(練習生)という身分からNPB入りした選手も含まれる。
ただし、社会人野球に属していた経歴もあるが、海外のチームや国内の独立リーグからNPB入りした選手は、含まずに解析している点はご留意いただきたい。

〇NPB入りする選手の出身母体別の人数の推移

まずは平成年間で、NPB入りした選手の出身母体別の人数の推移を見てみたいと思う。

下記が、各年度毎の、出身母体が「高校」「大学」「海外のチーム」「国内独立リーグ」「社会人野球」の一年目のシーズンを迎えた選手の人数の推移である。

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平成年間のプロ野球での、一つの大きな制度改革が、2005年(平成17年)より始まった育成選手制度である。

育成選手制度は、この出身母体別の人数にも影響を与えていて、特に高校出身選手の近年の人数の伸びはこの制度によるところも多い。

ただ社会人野球出身の選手の人数についてはその影響は無い。
なぜなら、日本野球連盟とNPBの取り決めで、社会人野球の選手は育成ドラフトでは指名しない事となっており、これまで解散となったチーム以外からの育成選手としてのNPB入りはほとんど無いからである。

社会人出身の選手の数は、年度によりかなりバラツキがあるのだが、徐々に減少傾向に見える。
特にここ4年は少し減少傾向が見られており、特に2020年(令和2年)は11人と近年で最低の数となっており、今後どうなっていくか注目していく必要がある。

○1989年在籍選手と2020年在籍選手の出身社会人野球チームの比較

それでは続いて、平成の初めの1989年(平成元年)と、現在、2020年(令和2年)にNPBに在籍している選手の出身社会人野球チームについて比較して見てみたいと思う。

まずは両年の出身母体別人数を下記に示す。

8920比較

前項で上げたように、育成選手の関係で社会人野球出身選手の割合は大きく減っており、人数も割合ほどでは無いが減少している事がわかる。

それでは加えて、両年の社会人出身選手の出身チーム数を見てみる。

   1989年(平成元年) / 95 チーム
   2020年(令和2年)  /  43   チーム

実に半減である。

平成年間で企業スポーツを取り巻く環境は大きく変わった。
平成年間の日本野球連盟の加盟チーム数の推移を下記に示す。

日本野球連盟

1993年(平成5年)に148あった企業チームは、10年後の2003年(平成15年)には89と激減した。

1990年代、バブル崩壊後は、休部、廃部する企業チームが相次ぎ、そこまでは行かなくても、企業が支援する形のクラブチームに変わったりするチームが続出した。

〇1989年に在籍していた選手の出身チーム

実は1989年(平成元年)に在籍していた社会人出身選手の出身チームの多くも現在は無いチームが多い

下記に、1989年(平成元年)に在籍していた社会人出身選手の出身チームで、3人以上の在籍選手がいた27チームを在籍人数が多い順に下記の表に示す。

表の備考にはチームの現在の状況を示す。
チーム名は当時の名前では無く最新のチーム名になっている。

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実に27チーム中の13チームが休廃部している。
このようにプロ野球選手を多く輩出していたこれらのチームでも多くが休廃部してしまっている事がわかる。
なお、逆に上記のチームの中で未だに残っているチームについては、名門チームとしての地位を維持しており、すべてのチームの出身者が2020年(令和2年)にプロ野球選手として在籍している。

〇現在には見られない不思議な出身母体

上記のように2020年(令和2年)に比べて、1989年(平成元年)の方が、社会人野球出身の選手が断然多かった。

ただここで一つ整理したいのが、今回の解析で区分している”社会人野球出身”については、出身元が日本野球連盟所属の社会人野球チームのみの選手ではないことである。

2020年(令和2年)の社会人野球出身の区分の在籍選手については、すべての選手が日本野球連盟加盟のチーム出身の選手であったが、1989年(平成元年)は日本野球連盟加盟チーム以外の雑多な選手がいた。

それらの出身元と選手を下記に列記する。

出雲信用組合   広島 大野 豊
ONOフーズ   西武 森山 良二
高崎信用金庫   巨人 松原 靖
清水商店     ダイエー 川越 透
幸福相互商事   近鉄 広政 秀之
専売公社鹿児島  巨人 栄村 忠広
ロッテ球団職員  ロッテ 福沢 洋一
日本ハム球団職員 日本ハム 佐藤 誠一
大洋球団職員     横浜 片平 保彦
中日球団職員     中日 大豊 泰昭
西武職員 西武     高山 郁夫

有名な広島・大野投手の軟式野球出身など、当時は、軟式野球部のある企業からテストなどでドラフト外で入団する例に加えて、草野球出身などの面白い経歴の選手もいた。
西武の森山選手のように、野球部の無い企業からドラフト一位指名された例すらあった。
また”球団職員”という身分を持っているが、当時の練習生という制度でそのチームに参加していて、その身分から契約に至る選手もいて、その選手にはこのような”球団職員”という経歴がプロ野球選手写真名鑑に刻まれていた。

今後、このようなことが起こらないとは言えないと思うが、独立リーグなどもできた現在では、当時よりは少なくなることであろう。

〇平成年間でプロ野球選手を多く送り込んだ社会人野球チーム

それでは最後に1989年(平成元年)から2020年(令和2年)にNPB入りした選手について、出身人数が多い社会人野球チームについて見てみたいと思う。

下記がその人数のランキングである。

順位1

順位2

堂々の第一位は、JR東日本。
元阪神の赤星選手や、広島の田中広輔選手が出身として知られる。このJR東日本は、平成の初めの10年間のNPB入り選手はいなかったが、赤星選手を筆頭に、平成十年代より、多くのNPB入り選手を輩出したい。

続いて第二位は、ENEOS。
チーム名が「日本石油」や「新日本石油」、「JX-ENEOS」など紆余曲折があったが、昭和の時代から多くのプロ野球選手を輩出し続ける名門チームである。メジャーリーグに直接挑戦し物議を醸した田澤純一投手が有名どころであろうか。
年代別に見ると、平成ヒトケタは12人、十年代3人、二十年代12人と、十年代は少しNPB入り選手が少なかった。

第三位はHonda。
「本田技研」の時代から、多くのプロ野球選手を輩出している。
平成年間も、通して安定した人数のプロ野球選手を輩出している。

第四位は日本通運。
平成十年代は11人の選手を輩出して、その時期はトップの人数を送り込んだ。しかし平成二十年代は人数をおとしている。

少し飛ばして、第七位のプリンスホテル。
昭和からの名門であるプリンスホテルは、平成ヒトケタの時代も12人、平成十年代も6人を輩出している。2000年(平成12年)に解散となったが最後の年も
大沼幸二 選手 (西武)
水田圭介 選手 (ヤクルト)
福井強 選手     (西武)
の3選手がNPB入りしている。

そして、2013年(平成25年)を最後に
宮本慎也 選手 (ヤクルト)
星野智樹 選手 (楽天)
水田圭介 選手 (ヤクルト)
の3選手が現役を退き、プリンスホテル出身者はプロ野球選手からいなくなった。

第十七位の日本製鉄かずさマジック。
「新日本製鉄君津」時代からプロ野球選手を多く輩出してきたが、企業経営の問題により、2003年(平成15年)に、クラブチームに近い運営方針に変わった。その後低迷があったが、平成二十年代には「かずさマジック」となってから初のプロ野球選手が輩出している。

第二十三位のシダックス。
1993年(平成5年)創部と、平成創部の新しい企業チームである。キューバ選手の入団や、野村監督の就任など、話題の多かった印象があるが、短期間で話題を振りまき2006年(平成18年)に廃部となった。
野間口投手が自由獲得枠で巨人に入団するなど、平成十年代のみで9人のプロ野球選手を輩出している。

第三十二位のセガサミー。
こちらも2005年(平成17年)創部の新しいチームである。
日本ハムにドラフト第二位で入団した浦野投手が活躍し、一躍有名となったチームである。

〇最後に

今回は社会人野球出身選手の社会人野球チームについて少し解析をした。

今後、これらのチーム出身者の成績や、ドラフト順位など、少し細かい事も解析していきたいと思う。

最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
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