お題:誰かに「頼ることができた」経験は?

大学前半のぼくは、どうしようもなく不安でした。そして、その不安を見つめられないくらいには幼かったのです。

何者かになりたいという理想があって、しかし何者にもなれそうにない現状がありました。周りのひとばかり輝かしく見えて、苦しいのは自分だけじゃないかと思い悩みました。
努力しました。朝から晩まで、起きているあいだはすべて、何者かになるための勉強に身を捧げました。理想の姿になるために、これくらいはできて当然だと思い込もうとしました。自分の失敗をゆるせなくて、失敗をなくそうとしました。自分の理想は、完全無欠のヒーローのような存在でした。そうならないと、世界のなかで生きていけないと思っていました。弱い人間を軽蔑していました。たったひとりで強くなろうとしたのです。

予兆はありました。
心がザラザラしてきたり、ご飯がおいしく感じなくなったり、世界から色が失われていったり、友達と話しても楽しくなかったり。
もうこれ以上頑張りたくないなとも思いました。
しかしそう思った瞬間、
「自分に甘えるな!」
と言う声がして、責めたてられるように努力を続けました。そうする選択肢しか見えませんでした。

ある朝、ベッドから起きようとして、起き上がれない身体を発見しました。
どんなに身体に力を入れようとしても、身体は抗って動こうとしません。
「動けよ!」
と怒鳴っても動きません。何が何だかわからなくて、現実を受けとめられなくて、ぼくはただ涙を流しつづけました。

数日間、泣きつづけました。
どうやっても意志どおりに動かない身体がありました。何かを考えようとした瞬間に、まとまりかけた思考の束が霧散していく脳みそがありました。
自分とは何なのか、まったくわからなくなりました。
ベッドで寝返りを打つしかできなかった日々を過ごすうち、考えるのではなく感じることを憶えました。理性を使うのではなく、身体の声に耳をかたむける。心の声に耳をすませる。ゆっくりと自分のなかに沈みこんで、肥大化した自分を、等身大の自分にあわせていきました。
等身大のぼくは、ちっぽけでわがままでした。
とても怖がりで、寒さに凍えていて、近づいてくるものを極度に警戒していました。
こんなに弱い人間だったのかと気づきました。
弱くて傷つくのが怖くて、完璧な人間にならないと誰かに受けいれてもらえないと思っていて、差し伸べられた手を自ら拒絶しながら「さみしいよ」と叫んでいました。

ぼくは、自分をゆるさなきゃいけなかったのです。ダメな自分だけれど、そのダメなところをゆるさないといけなかった。何者でもないし何者にもなれないかもしれないけど、そんな等身大の自分をゆるさなくてはいけなかった。
ぼくは、他人との関係で悩んでいたのではなくて、自分自身との関係に悩んでいたのです。自分からひとりぼっちになっておきながら、ひとりでいることに苦しんで、この世界にはぼくしかいないと思っていました。

すべてに気づいた瞬間、手を差し伸べてくれたひとがいました。
ぼくは、その手にしがみつきました。あまりにも温かくて驚いて、けれど手を離そうとしませんでした。その手を離したら、また冷たい海の底に逆戻りする気がして怖かったのです。
もう一度その手の強さと温かさを確認して、ぜんぶさらしました。
卑屈で、弱虫で、さみしがりで、クズのような自分を、そのひとのまえにぜんぶさらしました。
「ごめんね、嫌いになるよね。聞いてもらっただけで救われたから、反応しなくていいよ」
そう言ったら、そのひとは
「打ち明けてくれてありがとう。嫌いになるわけないよ」
と言ってくれました。

はじめて、誰かの前で涙を流しました。

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。