少年のアビス感想—「魔性」とは責任転嫁のことばではないのか—

ひたすらに主人公である黒瀬令児が気の毒で、かつ何故か彼だけが感想においてほとんど同情されない状況の異様さがずっと胸を占めていたのである。その結果、もしかしたら少年のアビス自体が「魔性」を描くようで否定する物語なのではないか?と妄想を膨らませた。

私の黒瀬令児に対するスタンスというか、彼を見るたびに響いてくるのは「金色のガッシュベル」の第1話の名演である。

だまれ!!!お前に清麿の何がわかる!?清麿は悪くない!!!だから私は清麿を助けに来たんだ!!!
清麿は、好きで天才になったわけじゃないんだぞ!!!
清麿の父上が言ってたぞ!小学校までは普通に友達と遊んでたって!!
中学になって、だんだん友達が清麿の頭の良さをねたみ始めたって!
清麿が変わったんじゃない!!!
清麿を見る友達の目が変わったんだ!!!
清麿が実際何をした!!?
今日、学校に来た清麿が何をした!!?
おまえのように誰かを傷つけたか!?
おまえみたいに弱い者から金を奪ったか!!?
学校に来なくていいのはおまえの方だ!!でくの坊!!!
これ以上私の友達を侮辱してみろ!!!
お前のその口、切りさいてくれるぞ!!!」
 
これは天才ゆえに疎まれ、学校で浮いている主人公・高嶺清麻呂を馬鹿にした(というか天才でムカつくから排斥していいのだとのたまった)いじめっ子に対する台詞である。
 黒瀬令児もまた同じだと思う。実際黒瀬令児が何をしたというのか?
峰岸玄のように弱い者から金銭を搾取し、暴力を奮ったのか?
柴崎由里のように、弱い立場の子供から性的搾取を行った浩作?
似非森浩作のように、病んだこどもを自分の感傷の為に弄んだか?
黒瀬夕子のように、自分の満足の為に子供の人生を使いつぶしたか?
秋山朔子のように、性的搾取を受けた友人の噂を流したか?
青江ナギのように、自分が死にたいからと未成年を自殺に誘ったか?
黒瀬父のように、自分と妻の問題を子供に八つ当たりして殺しかけたか?

精々彼がした悪いことといえば、騒音系DV兄へにパシらされた食べ物をまだ食べられる廃棄品で済ませたことくらいではないのか。それも仕返しにしてはあまりにささやかな部類ではないのか。
こうした贔屓目極まりない目線で書かれているので、けして公平なめせんではないことを注釈させて頂く。



・「結局令児は自業自得である」という感想への違和感


私見だが、黒瀬令児と主要キャラクターの関係を、私は以下のように認識している。
➀青江ナギとの関係:青年が未成年を(知らなかったとはいえ)性行為に誘ったうえ、心中に誘うという形の自殺教唆をした。
②柴崎との関係:自殺を止めた教師と、彼女に悩みを相談した生徒。教師は精神摩耗した生徒に肉体関係をせまり、生徒は助けを求めて体を売る選択をするものちに後悔するが、以後も付き纏われる。
➂秋山朔子との関係:(若干の見下しや理想化はあったものの)共に励まし合う友達であったが、無謀な町脱出計画が失敗に終わる。その後は
➃峰岸玄との関係:友人であったが、黒瀬夕子の策謀により峰岸が令児に執着を抱き、令児を虐待しナギも道連れにした殺人未遂にまで発展する。
⑤黒瀬夕子との関係:彼女の心中という夢の為に苛烈な虐待を受け命すら奪われかける。
⑥黒瀬一正との関係:体罰を含む勉強指導を受けるも、おおむね良好。母によりともに虐待を受けた結果、一正自身も令児に暴力的(壁越しに暴れる等)
⑦黒瀬祖母との関係:ヤングケアラーとして奉仕するも、嫌われ暴言を浴びせられる
⑧似非森との関係:金銭援助などを餌に、彼の創作と若き日の感傷の解消に利用され、それを遠因として心中思想を植え付けられ命を落としかける。

このように、私には一貫して黒瀬令児は被害者にしか見えず、唯一対等に傷つけあっているのはチャコだけのように思える。
特に➂について「柴ちゃんを目覚めさせたのだから」「巻き込んでおいて」という意見があるが、何故「虐待された未成年が担任教師に悩みを相談する」というごく当たり前の行為を責められねばならないのか?倫理的に考えれば、それに付け込んで肉体関係を迫った教師の方が問題がある。実際、峰浪先生の前前作である「ヒメゴト」でにたような状況に陥った未果子と教師は明確に悪とされていた。しかし令児は男だというだけで「ダメ男」「クズ」「無責任」などと言われ、加害者のように扱われているのである。また、柴崎もはっきりと彼との関係を憂さ晴らしと言っており、売春であるとむしろ自分から示している為、令児に騙されたという見方も成り立たない。そのうえ、令児は何度も柴崎に引き返すよう促しており、のちにはっきりと拒絶もしているのである。その間「あなたが好きだ」「二人の未来の為に」などと、リップサービスでさえ言っていないのである。未成年と教師という関係を抜きにしても、令児に落ち度があるようにはどうしても思えない。
 また➂については、あまりにも理不尽に「玄可哀想」「令児はひでー男」という言説が多すぎて、峰岸玄というキャラクター自身に酷い拒否感がでてしまった故に別項に移す。

・令児原因説への反論


 前節のようなことを述べても、反論として「実際に令児に出会うまでは大丈夫だった人々が令児によりおかしくなるのだから令児のせいなのだ」という意見もあるだろう。しかし数少ないとはいえ描写があるメインキャラ以外からの評価的に、彼に問題があるようには思えない。実際、醜聞が巻き起こった時の中学時代の同級生らしき女子は「奴隷くん(笑)」「峰岸君の舎弟」とはいっても他の悪口は言っておらず、悪口を言われる場面においても鳥沙汰されるような欠点はないのだろう。また、通っていた高校でも名前で呼ぶ友達がおり、平凡ないち生徒の一人のような描写である。彼はおかしな人が周りにいなければ、周りに溶け込んで大人しく暮らしているといえよう。本当に彼に原因があれば、友達もできず、あるいはおかしな友達や彼女にまとわりつかれているはずである。言動だけ見ても、主体性がないという点では褒められた性格ではないと言えなくもないが、けして言えば貶されるような人格ではないのだ。メインキャラでひとり知り合いになるなら、間違いなく私は彼を選ぶ。少なくとも、こういう人が身近にいて迷惑だという気持ちにはならない。病的な虚言や居心地の悪いほどの持ち上げ、あるいはその場にいない人を悪く言うタイプの「いい顔をする」ならともかく、別に困った相手ではない。意志薄弱とはいっても、迷惑がかかるほどの依存性や指示待ちという風には、バイト描写から見ても見えない。事実、バイト先のおじさんなどは「令児の家に問題がある」とは言っても彼自身に何も言わないし、彼自身が迷惑であればわざわざ話しかけるとも思えない。つまり黒瀬令児は当たり障りなく、どころか不快な思いをせずにちょうどいい同僚になってくれそうである。苛烈な虐待を受けている点を鑑みれば、奇跡的にまともな人間といっても過言ではないのではないだろうか。
その点ほかのキャラは薄っぺらいどころか、洒落にならない劇物を抱えているのである。それを考えれば、状況的には奇人の中に回避能力が低い子供が投げ入れられているようにしか見えない。
雑な言い方をすれば、この状況で黒瀬令児を責めることは、ストレスフルな状況でいじめが発生した際のいじめられっ子に「こいつがいじめたくなるような顔をしているから悪い!」と言っているのと同義にみえる。大本はいじめっ子のストレスであり、ちょうどはけ口にできそうな人がいたからそれがいじめという形で噴出しただけなのに、なぜか「お前がいなければいじめは起こらなかった!お前がみんなを巻き込んだんだ!」と責められているように思える。
しかし不思議なことに「いじめたくなるような顔をしているから」を「好きだから」に挿げ替えた途端に、なぜか「いじめられっ子(令児)が悪い!」といいう感想が噴出しているように見受けられる。

似非森版「長い言い訳」としての少年のアビス


 黒瀬令児に関する評価で、一番象徴的かつ理不尽だと感じるのは似非森による黒瀬親子=アビス論である。いかにもタイトル回収、作品の本質といえることをのたまっているように見えるが、個人的には何を言ってるんだという風にしか感じなかった。私にとっての野添は、端的に言えば「メンヘラに引っかかって人生をダメにしたことをなんか壮大にとらえて自分を納得させる為に子供を搾取する人」である。
 まずおかしいのは、明らかに作為的に人を殺し操っている夕子と、搾取されているだけの令児を一緒くたにしていることだ。夕子は自ら近づき、囁き、欲望のままに行動している。しかし令児はそうではなくただただ皆の感情にはけ口にされているだけである。これは彼が本質なんぞ何も考えず、己の後悔の自己正当化として「アビス」という大仰な言い方をして酔っている証左であるように思える。
彼は夕子を悪魔として過剰に美化し貶めていて、単に性格の歪んだ可哀想な女の子だったと認められないのだ。そんな俗なことで自分の人生が狂ってしまったことを認められないので、なにか壮大でどうにもならない大きな流れだったと思いたいのだ。
まず黒瀬夕子への似非森評である「アビスはただそこにあるだけで悪意はない。堕ちる者もいれば堕ちないものがいる」が、あまりにも酷で、あまりにも甘い。
この二つは矛盾するようだが、共存する。
例えば化物語シリーズの羽川翼が(多重人格となり分離した人格が怪異となって無差別傷害事件を起こした)自身を振り返る場面で、こんな表現がある。
「私は誰よりも私を甘やかし、誰もよりも私を虐待してきた」
これは苦しみのあまり無関係な人間への互いに走る自身について、二重人格として切り離すことを「狂ったのだから仕方ないだろうと放置している」ことと、「狂うほど苦しい自分の心を無視した」ことを表している。野添はこれを、愛しているはずの相手に対してすることで自分を守っている。
野添はただただ動物的に(自分がされたように)他者を踏み台にして生きているだけの夕子に対し、雑に悪魔だのこの町の怨念だのとオカルト交じりにくくることで彼女の俗で、みじめで、めんどくさい—―けれども子供の駄々と屁理屈であり根気よく付き合えば解消されたかもしれない——部分を見るのをやめている。さらにいえば、神聖視と背中合わせの悪魔化をして、永遠に美しく恐ろしいコンテンツとして楽しみまくっている。
勿論野添少年は夕子の親でも教師でもないのだから、あんな極限状態において、否、そうでなかったとしても彼女を救う義務などない。大嫌いだと言って逃げたことは当然だし、二人でこれ以上惨事になる前に逃げることは正しかったとさえいえる。小説に描いたことも、自己セラピーをして生きながらえるしかなかったという見方もできよう。(ただ自分の人生に中途半端にかかわって逃げた相手が自分を小説にし、勝手にセラピーに使われて勝手に飯のタネにされた夕子は不快じゃないのか、という感情論は理解できる)
野添の件で私が罪深いと感じるのは、罪もない令児にその自己正当化の為の幻想をかぶせて弄び、あまつさえ「お前はそういう恐ろしい存在なんだ」と呪いをかけたことだ。大人が自分の人生を肯定、それが無理でも納得する為に虐待を受けている子供の人生を食い物にしているのだ。結果的に令児が(昔の自分を救いたいという欲望のために)良い方向にいったとしても、やっていることの本質は「町に残った自分は正しいと証明する為に息子の人生を搾取した」黒瀬夕子となにも変わらない。
故に、似非森が自己正当化の為のアビス理論に酔っぱらったまま何やら満足死だけはしてほしくないと考える。

悪党たちの悪夢としての、黒瀬令児の自我の目覚め

 似非森の態度からしてわかる通り、チャコの「底で待っててくれる」という言葉の通り、自分のどうしようもない人生をなんかいい感じの夢見がちな物語にしてくれるお人形がアビスとか言われるものの正体のような気がする。ただ自覚的なアビスである黒瀬母は夢を見せるのにきっちりと料金を徴収するし、それは彼女の夢の国を作る為の費用にされる。彼女は夢を見せろと詰め寄られておままごとに付き合わされまくったので、そろそろ自分用のお人形が欲しくなって息子を生んだのだろう。しかしあまりにも傑作に育ちすぎてしまった為、おままごとしたがる人々に横取りされそうになったことで争いが起こってしまった。似非森は脚本「少年のアビス」を書くことで人形を壊すことには成功したけど、それは人形が勝手に意思を持つということで、彼をお人形にしたい人にとってはホラーなのかもしれない。実際、一番長くお人形を狙っている峰岸は怒っているというより怯えているし、黒瀬夕子は子供のように泣き出してしまった。本当に怖いのは人間をお人形扱いする人間だけど、彼らは彼らで震えている。ストレスを引き受けるお人形を喪ったら、星新一の『悪魔』のような惨劇が起こるかもしれない。

雑な結論と妄想―丁寧に剝ぎ取られる魔性のヴェール

 雑な結論として、黒瀬令児は読者に対する自己演出力(同情を引く力)がとても低い。これは黒瀬夕子や似非森や、峰岸玄をはじめとした他の登場人物がエモく自分を憐れむ姿勢とは対照的である。この差は、おそらく意図的なものである。
 少年のアビスというのは基本的に魔性に振り回される人々の話でありながら、その実「魔性と呼ばれ搾取される人間」を主人公としている。いかにも黒瀬令児が悪いような演出をしながら、彼に具体的な罪(嘘や誘惑で相手を動かす行為等)を犯させはしない。彼は悪い状況に流されるだけで雰囲気で糾弾されるが、それはする方がおかしいという反論を多分に含んだ立場である。実際彼を空っぽでその場で都合のいいことをいうだけだと罵倒した峰岸は、正論を返された時黙り込むしかなかった。黒瀬令児は一貫して被害者であり、それを正当に主張すれば全員を糾弾することが可能なのである。
つまり最終的に彼が「俺のせいじゃない、魔性(アビス)とかいって人のせいにしないでくれる?」と皆につぶやくとき、一気に勝手に醸し出されていたエモのヴェールが剥がされ、彼を使って自分の不幸のエモ演出をしてきた人々の生々しい地獄が顕現するのではないか?そこにはもちろん、責任転嫁で彼を散々苦しめてきた追加罪状も加算されている。そんな自業自得の地獄に、魔性という麻酔を切られた人々の阿鼻叫喚が響く――というような展開を妄想している。実際どうなるかわからないが、魔性の少女を描いてきた峰浪作品が魔性を主人公に据え徹底的に被害者として描く試みが、もし「魔性など周りが勝手にいっておるだけ」な黒神めだかばりの強烈なカウンターを決めるかもしれないことに対しては期待せずにはいられない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?