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花のかげ

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母を介護した時の記録です。脳腫瘍を患い、手術、治療をしましたが、認知症が進行し、病気も再発して、2021年1月8日に亡くなりました。母を介護した時の記録とその時その時の思いをまと…
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#認知症

花のかげ~おわりに

 母の発病から母が亡くなった後までを区切ると、発病から手術までが第一楽章、術後から再発と…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~終章(6)

六.花のかげ  そこからはあまり慌てることもなくゆっくりと時間が流れた。母を安置する場所…

関谷志摩
3年前

花のかげ~終章(5)

五.夜の病院  電車の中で妻からメールがあり、病院に行くのは四時ということになった。意外…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~終章(4)

四.そしてそのとき  年末にWeb面会をおこなったが、結局母はずっと眠っていて話すことは…

関谷志摩
3年前

花のかげ~終章(2)

二.実質的な別れ  ふくやま病院では受付で少し待たされた。本来なら先について待っているは…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~終章(1)

一.ふくやま病院への道のり  母が大学病院に緊急入院してから十日ほど経った。その間、母は…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~第4章 瓦解(8)

八.転 院  母が入院すると同時に私たちは次の手を考えなければならない必要性に迫られていた。もし大学病院で打つ手がないと言うことになった場合、残された道は母の療養をどこでするかということになる。ここまでくると、家で介護することは現実的ではないと思われた。  家で介護するということと、療養型の病院や施設に入れることについては個人の見解が分かれるところだろう。家で最期を看取るまで介護することを選択しても、施設や病院に入れることを選択しても、どちらも間違いではないと私は考える。こ

花のかげ~第4章 瓦解(7)

七.まだ早い  十一月八日の日曜日。この日はどうにも母の調子がよくなかった。朝はなかなか…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第4章 瓦解(6)

六.急速な衰え  母の次の受診は十一月九日になった。その日は私もちょうど休みになっていた…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第4章 瓦解(5)

五.施設に行こうか  十月の入院は九月の時に比べて問題なく終わったと言ってもいい。退院す…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第4章 瓦解(4)

四.治療をやめたい  抗がん剤投与のための入院は、母に相当な精神的ダメージを与えたようだ…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第4章 瓦解(3)

三.二度目のショートステイ  十月の上旬に、私たちはひまわりの郷へ三泊四日のショートステ…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~第4章 瓦解(2)

二.外と内  母が通うデイサービスのひまわりの郷は、相変わらず塗り絵ばかりしているという…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第4章 瓦解(1)

一.また入院  九月に入ると、五日に私の姉夫婦が娘と孫を連れてやってきた。母にとっては初めてのひ孫に会えることになった。ひ孫は生まれてもう三か月を過ぎており、母はひ孫を抱いては涙したという。残念ながら私はこの日仕事だったために会えていない。だが母からすればやっと娘に会えただけでなく、孫はおろかひ孫に会えたことでそれは充実した一日だったはずである。  しかしコロナの関係もあり、姉たちは数時間滞在したのちにとんぼ返りするように帰っていった。姉たちが帰宅した後、母はひ孫の写真に嬉