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埋葬方法を自由に選択できることのデメリット

このような記事が話題になっています。

中を読むと、

多文化共生社会の実現のためにも各都道府県に「多文化共生公営墓地」を一つずつ設ける、国の責任と調整によって宗教を問わず埋葬方法を自由に選択できる公営墓地を新設する、あるいは、既存の公営墓地の一部を土葬区画とする――ことを要望する予定という。

 とありました。

 前者はまず不可能であると私は思います。埋葬方法は、民族や宗教により様々であり、あらゆる宗教や文化圏におけるニーズを満たすことは不可能だからです。もし採択されたとしても、国側の負担が大きくなることが予測されます。

 まず、世界には日本人に馴染みのある火葬から、キリスト教徒やイスラム教徒がよく行う土葬、そして洞窟に棺を置く埋葬方法をとる人達も世界には存在します。そして、遺体を風雨に晒す風葬や、遺体を鳥に食べさせる鳥葬を行う人達もいます。土葬はまだしも、洞窟葬は場所が限られますし、風葬や鳥葬は死体遺棄や死体損壊といった刑罰との兼ね合い、公衆衛生との兼ね合いもあります。他にも私が知らない埋葬方法があるかもしれません。

 また、一見同じように見える埋葬方法でも、国や地域、民族や宗教によりやり方が異なります。日本の火葬は近代的な設備の火葬場で行われますが、インドでは野焼きをすることも少なくありません。同じ土葬でも、キリスト教とイスラム教では方法が異なります。また、チベット仏教における鳥葬とゾロアスター教における鳥葬もやり方が異なります。

 ただ、仮に後者の土葬区域を認める案を選んだとして、現実的にイスラム教徒の人の意向に沿う(イスラムの教えに合うなど)お墓が作れるとは限りませんし、イスラム教徒向けのお墓を作ることで、「私達の文化にも合う埋葬方法を認めて欲しい」と主張する人が出てくる可能性もあります

 墓地にも多文化を認めることのデメリットをしっかり議論上で判断されるべきだと思います。近年では簡単に「様々な文化を受け入れるべき」と言われていますが、異文化を受け入れるというのは本来とても難しいことなのです。世界の料理を食べたり言葉を学ぶだけが異文化理解ではありません。学術的な意味でも、世界の人々がどのような生活をしているのか、きちんと学んだ上でこのような問題に意見できる人が増えることを願います