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尾道日記vol.4 そして流れ星にのる



五月十五日 月曜日
そして流れ星にのる

 
 たっぷり八時間寝た。今日から連日暑くなる。水がなくなりそうなので、四十円を節約するためにとなりのコンビニでなく、すこしあるいた先のイオンへ散歩がてら行く。道すがらに、きっちゃ初という友人におすすめしてもらった朝食の店の前をとおり、今日はまだと思っていたのに吸い寄せられるように入ってしまう。

 揚げたての手製がんもの朝食に、麹納豆をつけて注文。水のコップを片手に「いらっしゃい」とこちらにやってきた店主のみきさんが、私のつけていたネックレスをまじまじ見るや、キスでもしそうな距離で沈黙。それから目をまんまるに見ひらいて、感想と観察のあいだくらいの温度で「かわいい」と言った。それはちいさな子どもが道ばたでたんぽぽか何かをみつけて「あ、咲いてる」と言っているみたいだった。これはインディアンの飾りをモチーフにしたみたいですと言って、私は首からそれをとり、みきさんに渡した。え、いいんですか、とみきさんはじぶんの首元にもっていくわけではなく、それを朝のひかりに透かすように空中にかかげて、しばらくみていた。


昭和三十年代のものだと思う、という台所に背を向ける形で配置されたカウンター席でしばし読書をしていると、待ちかねたごはんがやってきた。きつね色にこんがり揚がった食欲をそそるがんも!口に入れると、外側は枯れ葉を踏んだときのような心躍る「カリッ」。内側は新雪のように口のなかで雪崩を起こすような「ふわあ」・・・なはずなのに具材の歯ごたえもしっかり感じる。なんでだ。おいしい。おもわず追加でもうひとつもらえますか、と聞いてしまった。みきさんは気さくに色々話してくれるので、私はいつもここに朝ごはんをたべにきている常連さんみたいに、いや、登校前の朝ごはんの食卓でお母さんにあれこれ話す子どもみたいになる。

 そこへ三人組のお客さんがきた。ひとりは地元、二人は東京かららしい。再会をよろこぶ地元の人とみきさん。東京のおんなの人の声が声優さんみたいに弾力がある。がんものセットか、魚か、どっちにしよう。三人が朝の小鳥みたいに賑やかにメニューでまよっているのを、さいごのひとつのがんもに集中しながら背中で聴く。


三人の元にも熱々がんもが運ばれてきた。みきさんがめしあがれと言う。東京のおんなの人の空気がくっと集中したのがわかった。そして、がんもにむかって言った。
「つぎに会うときは再会になっちゃうから。」

初さんの、かわいい刺繍のれん

 イオンで水を買って宿へ戻り、今日はなにをしようか、なんとなくだらだらするか、でも電車に乗りたいな、そうだ、尾道にくる前にまさこさんにおしえてもらった福山の神勝寺にいこう、と思いたつ。山陽本線の上り電車に乗り込むと、うしろから「あれ」と声がして、レモンチューハイを片手にしたけんごさんと、はじめましてのこうじろうさんがいた。これから福山でとある打ち合わせにいくけど、一緒にどう?と言ってくれたので、じゃあ、となにも考えずに着いていくことにした。プロのウェイクボーダーであるこうじろうさんが夏に因島でイベントをひらくので、出店してほしいハンバーガー屋さんのオーナーに会いにいくそうだ。

 「目がきれいですね」と、会うなりそのオーナーさんが私に言った。いつのまにそう思ったのかわからないくらいさりげなかった。そのとき、おなじことをおなじように、十何年も前に私に言ったゆりさんという人のことを、思い出した。たしか今は東京郊外の天文台で働いているのだったか。もうすいぶん会っていない。「きれいなものをきれいということが、もうできるんですよ、この年になると」と、午後は暑くなるみたいですよのテンションでオーナーさんは付けくわえた。こういうことを森の木がしゃべるように自然に言える人の、うそのない目と唇をいいなと思った。

 オーナーさんがやっている別の店にはしごして、そこでもオレンジジュースを飲んだ。色々な話をして、みなさんと別れた。近くに自然食品店をみつけたので、のぞいてみる。大しめじ、テンペ、米油を買った。そういえばおなかが空いているなあと思って駅ナカで買った高野豆腐と切干大根のおかず、たこめしを、福山城のふもとでたべる。夏の顔をした陽射しが容赦なく照りつける。おとといの冬到来がうそのよう。こんなにおおきな変化のなかで日々生きていることが、そこに命が適応してくれていることがうれしい。生きて今ここにあるということが手のひらの上で意味もなくきらめいている。



 尾道へ戻り、海が目の前のYard Cafeでミントブレンドを注文。ひさしぶりに、といっても数日ぶりだけど、パソコンをひらく。仕事の連絡と日記を書く。やさしい潮風にあたって、心なのか体なのかわからないものがどんどんほぐれていく。こんなこと、いつぶりに思うだろう、ずっとここにいたい。この町に、まだずっといたい。

 そんなことを思うのはあれだ、滋賀の、琵琶湖に浮かぶちいさな有人島で過ごした七年前の真夏以来だ。あの時は映画を撮っていた。あれからどんなに時間が流れたのか、冷静になっても把握することができない。なぜならそれはけっして過ぎ去ったのではなく、今もどこかで、あの空気があのまま流れているのを感じるからだろう。時間の外側にあり、向かう先もない、ひたすらえんえんとつづく今として、それはいつも私のそばにある。なにも新しくはじまらないし、なにもいよいよ終わらない。



 夜、けんごさんが「あそこはぶっとんでるから一度行ったほうがいい」と言っていた山のうえのタイ料理屋タンタワンさんへ、ゆみかさんとみゆうさんに誘ってもらって行った。急な斜面に、くずれそうに古い家がぽつりぽつり建っている。ずっとこうして海やそのむこうの島々を見守ってきたのだろう。真っ暗闇に逆らうように草がぼうぼう生い茂り、このまますごく昔に語られたものがたりのなかへまぎれこんで帰ってこられなくなるような気がした。

 ハーハー息をきらして店に着き、春雨のスープを頼んだ。おんなのこたち、がんばろう、とゆみかさんが締めた。たくさん笑った。帰り、店のオーナーさんが自前の派手なトゥクトゥクで山の下まで送ってくれた。おまけにほとんどだれもいない夜の商店街をぐるりと駆け抜けてもくれた。人生初のトゥクトゥクがタイでなく尾道でなんて、いつの私が想像できたろうか。尾道界隈ではこのトゥクトゥク、かなり名物らしい。二度パトカーとすれちがったが、オーナーさん曰く「顔が割れているから、なんにもいわれない。」

 そもそもトゥクトゥクは公道を走ったってよいのだ。地元民は見慣れているのでおどろくことはないが、観光客らしき人びとはすれちがうたびにきょとんとして、流れ星でもみたかのようにこちらを見る。そりゃそうだ。私だってきっとそうなる。なにがおかしいのかわからないくらい三人でずっと笑いながら、私は今年でいちばんお腹を抱えて笑いながら、トゥクトゥクデビューを満喫した。



 商店街の終点で降ろしてもらうと、目の前にYESという怪しげな店があった。ボトルカフェらしい。娘さんがいるゆみかさんは帰宅して、みゆうさんと行くことに。しんとしずまり返った喫茶ハライソの中をとおり抜けるとYESへの入り口がある。ほそい階段をのぼる。その先に洞穴のような暗がりが広がっていた。天井も壁もあるのに、天井も壁もないみたい。店は三階だが、ジャックと豆の木みたいにつたをのぼってだいぶ空に近いところへきたようでもある。ふとのぼってきた階段が消えてしまったような気がして振り返ったが、ちゃんとあった。

 店内に電気はなく、ろうそくの明かりだけが肌をなでるようにそっと灯っている。イギリス王室御用達のりんごジュースを頼み、ごくごく飲んだ。オーナーさんがおもむろに窓ガラスを外し、「これは冬仕様。今日から暑いから」と衣替えを始める。夜風が遠慮がちに入ってくる。気持ちがいい。気づいたら十一時半で、真っ赤な可愛い自転車で颯爽と走り去るみゆうさんを見送り、私も帰る。

 ふとんに入ったが、二時間くらいで目が覚めてしまう。時計をみると深夜二時半。せわしく点滅しっぱなしのインターホンモニターの青い光をぼんやり視界の片隅に入れながら、今朝のきっちゃ初さんで出会った東京のおんなの人のことばを思い出した。つぎに会うときは再会になっちゃうから。再会なんて、でもきっと人生にはないんだろうな。ぜんぶ一度きり。来世でもし会えたらそれを再会というのだろう。この人生でのことはすべて一回のうち。一度きりが、人生ぜんたいに渡っているのだ。

 ところで、来世があるのかどうかはわからない。今のところ前世はあるような気がするから、おなじように次もあるかもしれないと思う。でも気のせいなだけで、ただ「無」がまっているだけかもしれない。以前観たコゴナダ監督の『アフターヤン』に、こんな台詞があってひどく納得した。
「There is no something without nothing. 無なしで有はありえない」

 今わかるのは、この人生での出会いがすべて一度きりなこと、それだけだ。



+ + + + + つづく 




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