でもあなたのせいじゃないんだよ。

悲しいニュースが立て続けに起こっている。
今日はただぼんやりしかしていない。
何もしていない。


愛犬と愛猫が同じ部屋ですやすやと寝ている。
それだけで、ああ幸せだなと思う。


何もしないことを悪だと思ってしまいがちだけれど
生きるために、何もしたくない日を肯定することだって大切なのだ。
そう自分を甘やかしていかないと、色々と立っていられない。


本当に自死なのかな、と
三浦春馬さんのことも未だに感じてしまうし
今回の竹内結子さんは、なんというか、尚更そう思ってしまう。
というか、信じがたい。
まだ意味がよく分からない。

「順風満帆」
「美男美女」
「成功者」
「結婚している」
「子どもがいる」
「充実している」

「なのになぜ?」

「幸せそうに見えたのに。」

冷静に考えると、この意識もちょっと変なのだ。
揚げ足取りだが、


「幸せじゃなかったら死んでも仕方ない」
「満たされていないなら自死を選んでもいい」
ことになってしまう。

いや分かるよ。幸せの証拠を並べて、
生きていくのが楽しいはずじゃないの?
と思うのは当然のことだと思う。



私はたぶん自分では死ねない。
別に完全に満たされているわけではないけれども、死ねない。
手に入れていないからこそ、なのかもしれないけれど。


仕事があるのはありがたいが、とても楽しいかと言われたら分からないときもあるし
悩みはあるし
30代で結婚していないし子どもも持っていないし
健康面にも不安はあるし
友人は多いほうではないし
あるとき突然、何もかも終わらせたいと思うときも
終わらせたら何も考えなくていいんだな、とハッとするときも
確かにあるけれども─



でも死なないんだ。
なんとなく分かる。
自分と付き合って、そこそこ長いもの。



何か辛いことがあっても、
とりあえず泣いて、文字で吐き出して、
ごはんが食べられるまで生きのびる。



愛犬も愛猫も、家族も、好きな人たちもいるからね。
そして何より自分が、死にたくないと言っている。
どんなにボロボロになってもだ。

ここまでくると、このままの私でどこまでいけるのか 
自分の未来も気になるしね。






ふっと自死を選ぶ人たちが、
それを考える判断力すら失われていることも
とにかくただ休みたいだけなのかもしれない
ということも知っている。



本人の想いが知れたら、とはどうしても思ってしまう。
遺書があれば、「なぜ?」の答え合わせは多少はできるかもしれない。
残された人の苦しみが少しでも和らぐように
もちろん死なないことが一番、誰も傷つかないけれども
せめて、せめて言葉さえあれば。
そう思ってしまうのは的外れだろうか。



でも、誰のせいでもない。



もし、もし私が前言撤回で
やっぱ無理だわ、と
突然死を選んだとしても


それも、誰のせいでもない。


私の場合は、ただの自分のせいなのだ。



あの人と何かあったから辛いとか
そういうことではないんだ。
そういう次元をもう超えてしまっている。




言葉を残すなら、
「誰が悪いわけでもありません。自分の中の問題です。わがままでごめんなさい。みんなのせいでは絶対にないので、誰のことも、自分のことも責めないでください。」

そう説明したい。



まあそこまで考える余裕があるなら、多分生きるし
たとえ真意を伝えたとしても、
「何かできることがあったのでは」と
周囲が悔やむのは当然のことだろう。



悲しいな。




今日はただ生きようと思う。




彼女の本。
『たけうちマルシェ』、持っています。
おいしい「差し入れ」への熱い想いとキュートな一面が垣間見えて、見ていて楽しくなれる。
とても好きな本です。


アイドルや芸能界に一番興味があった10代の頃、購入した雑誌で彼女を知りました。
木曜の階段。1996年だったんだね。
彼女のデビューからブレイク、その後の活躍を見ていることが
24年前から当たり前だったから
これから、私の人生も少し変わってしまうんだな。


責めているわけではなく、
ただただ悲しく切ないです。
きっとここに辿り着いた皆さまも同じ気持ちですよね。


あの人もあの人にも生きていてほしかったけど、
自分の人生は自分だけのものだから


ただ今日を生きていきましょう。辛いけど。



気持ちが落ち着かないので、
少しでも誰かとこの想いを共有したくて
まとまりのないまま投稿します。




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