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トマス・ウィン宣教師と駿河敬次郎先生

駿河先生の「一生現役で働きたい」という価値観は、どのように作られたのでしょうか。その原点は少年期の金沢での体験にあります。

駿河先生が10歳の時に、金沢で1人の宣教師が亡くなりました。トマス・ウィーンという名前のアメリカ人宣教師です。駿河先生は、小さい時から金沢殿町教会というご自宅前の教会に通っていました。この金沢殿町教会を宣教師トマス・ウィンがジェームズ・ポーターなどと共に作りました。

駿河先生の小さいころキリスト教は耶蘇と呼ばれ投石を防ぐため金網を教会窓ガラスにつけていた


1931年2月8日、ウィン宣教師は 金沢日本キリスト教会の礼拝説教者として教会の最前列のベンチに座っていました。ウィン宣教師は、教会の人と一緒に賛美歌を歌い、聖書朗読を聞いていました。ウィンさんが講壇で話し始める直前の開会の祈りの途中、大きな息のような声がしました。同時にウィン宣教師の体が静かにベンチの左の肘掛けに傾きました。ウィン宣教師は教会の礼拝堂で倒れ、その場で脈拍・息が途絶えました。

トマス・ウィン宣教師

同じ金沢に住み、ご自分の身近にいたウィン宣教師が、命をかけて働いた教会という現場で仕事の最中に亡くなる。この出来事は、駿河先生の中でご自分の死生観を作る原体験となりました。


参考文献:『日本の使徒トマスウイン伝』中沢正七編
     『トマス・ウィン宣教師』北陸学院編


参考
駿河先生の死生観に影響を与えた本間医師


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