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「越後の龍」、ないしは「越後の虎」などの異名で知られる戦国武将の上杉謙信は、武田信玄と並…
室町時代に播磨・美作・備前の守護となった赤松氏は、嘉吉の乱によって一時没落するものの、応…
JR大垣駅から徒歩数分の所にある大垣城は、戦前までは天守閣が現存していたが戦災で焼失し、現…
足利一門の大名で室町幕府の管領を務める家柄(三管領家)の一つであった細川氏は、その宗家の…
三重県の県庁所在地である津市の中心部にある津城は、江戸時代初期に藤堂高虎が築いた城郭であ…
中国地方に覇を唱えた毛利元就の孫で、その後継者となった毛利輝元は、後に豊臣秀吉に臣従し、…
さざえ堂(栄螺堂)は、正式には「三匝堂」と言い、百観音(坂東・西国・秩父の三十三観音)の霊場を一ヶ所でめぐることが出来る施設として江戸時代後期に東北や関東で建造された仏堂であり、「さざえ堂」はその構造からついた名である。 内部は螺旋構造となっており、入口から出口まで、同じ場所を通らずに参拝が出来る。 明治以前のさざえ堂で現存するものは全国で六ヶ所あるが、このうち福島県会津若松市の旧正宗寺三匝堂(白虎隊自刃の地として知られる飯盛山の中腹にある)・群馬県太田市の曹源寺本堂・埼
水野勝成は三河刈谷の出身で、徳川家康の従弟(家康の生母の甥)に当たる人物であり、後に家康…
栃木県鹿沼市にある東武鉄道樅山駅北方の踏切の手前に、「吉次が墓」と呼ばれている石塔がある…
群馬県太田市の岩松町は、新田岩松氏名字の地である。 県道142号の岩松の信号からやや西に行…
もう随分昔になるが、千葉氏の居城である亥鼻城跡に行ったことがあり、探してみたらその時の写…
武田信玄の話題が続いたので。数年前に長野県長野市の八幡原史跡公園を訪れた時のこと。 この…
ナウマンゾウの発掘で知られる長野県信濃町の野尻湖は、避暑地やマリンスポーツ、あるいは合宿…
応仁の乱以降、室町幕府の政権中枢に関わった将軍や管領、有力大名などの墓所で、京都・大阪に所在するものを中心に初回していく。 まず、京都府京都市右京区の龍安寺の細川家墓所。 過去に紹介した細川勝元以外にも、細川家当主の墓所がある。 勝元の子で、明応の政変を演出して将軍の首をすげ替え、「京兆専制」と称される体制を築いて幕府の実権を握った細川政元の墓(下の写真一枚目)は、勝元の傍らにある。 政元は政略に長けた人物であったが、修験道に凝って女性を近づけず、複数の養子を取ったこ