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【3分で読める世界史】フビライ・ハン即位とモンゴル帝国の分裂

弟フビライ、フラグを遠征させ、征服活動を展開していたモンケ・ハンが死亡。

今回は、いよいよフビライ・ハンが即位します。

この記事を読めば、モンゴル帝国の転換点が分かります。


①フビライ・ハンの即位

遊牧国家

モンケ・ハンの死去を受け、1260年にフビライが第5代目の大ハンに即位しました。

日本史の元寇でおなじみの、フビライ・ハンの誕生です。

しかし大ハン位の継承をめぐり、次々に内乱が起こります。


まず反旗をひるがえしたのが、首都カラコルムを守っていた弟のアリクブケ

この抗争は4年にわたり、フビライが勝利します。


次にフビライ・ハン即位に反対した勢力が、親戚であるオゴタイの孫ハイドゥです。

この内乱はハイドゥ死去までおよそ40年間も続きました(ハイドゥの乱)。


②モンゴル帝国の分裂

チンギスハンの征服

広大な領域を支配してきたモンゴル帝国ですが、この頃、各地に遠征した将軍がハン国を建てるようになってきました。

ただし、完全に独立したわけではなく、モンゴル帝国全体で、ゆるやかにつながっていた点に注意です。

1.チャガタイ・ハン国・・・中央アジアに建国。首都はアルマリク。

2.キプチャク・ハン国・・・バトゥが南ロシアに建国。首都はサライ。

3.イル・ハン国・・・フラグが西アジアに建国。首都はタブリーズ。

※このうちイル・ハン国はガザン・ハンの時代にイスラームを国教化しました


③元の成立

オゴタイの時代

ふたたび、フビライ・ハンに話を戻します。

大ハンの地位についたフビライ・ハンは、前述の3ハン国より東のほうを活動拠点とします。

国名を中国風に「元」と名付け、南宗を滅ぼして中国の皇帝にも即位します。

そして首都をカラコルムから大都(現在の北京)に移転。元朝を成立させました。


終わりに

まとめ

いかがだったでしょうか。今回はモンケ・ハン亡きあとの、チンギス・ハンの誕生とモンゴル帝国の分裂を見ていきました。

次回はモンゴル帝国時代の、東西交易の状況をお届けします。お楽しみに!


参考文献


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