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16.4.2 情報技術革命と生命科学の進展 世界史の教科書を最初から最後まで

コンピュータの開発

コンピュータ(電子計算機)は第二次世界大戦中のアメリカ合衆国ではじまった。当初は弾道の自動計算などが用途だったが、1946年に実現して以降、まずは学術分野に転用されていった。

コンピュータは当初はかなり大きな構造だったのだが、トランジスターや集積回路が発明されたことで、小さく安価になっていき、1990年代にはパーソナル=コンピュータが各家庭に普及。インターネットや携帯電話の普及が加わって情報技術革命が進んだ。大量の情報が国境をこえて瞬時に行き交う状況が生まれ、情報の飛び交う空間は現実の空間に加え「サイバー空間」として認知されるようになっていった。

1994年にAmazon創業。
1994年にYahoo創業。
1998年にGoogle創業。
1998年にテンセント創業(中国)
1999年にアリババ創業(中国)
2000年に百度(バイドゥ)創業(中国)
2004年にFacebook創業。
2005年にYouTube創業。

2010年代にはスマートフォン(2007年にiPhone発売・Android発表)という形で世界のあらゆる人が日常的に使うツールに。
ネット常時接続が可能になったことから、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)によって、人と人が頻繁にリアルタイムのコミュニケーションを取り合うようになった。


インターネットにおけるコミュニケーションや取引など基幹的な場を提供するプラットフォーム企業は巨大化し、個人情報収集のあり方、課税、接続をめぐり国と国との対立が生まれる状況も生まれている。


国境をこえて活動する企業にとっても、通信コストの低下と通信容量の増大は、世界各地における生産・流通・宣伝・取引を促進し、グローバリゼーションを促進する役割を果たした。
2019年以降、5G(ファイブジー)という通信規格が普及しつつあり、インターネット技術はデバイス以外のあらゆる空間に浸透しつつある。
その一方、2010年代は、インターネットがもつ人と人をつなぐ機能よりも、人と人を分断する機能が全面に出た時代でもあった。


バイオテクノロジーの発達

1929年に〈フレミング〉(1881〜1955年)がペニシリンを発見したことで、抗生物質の製造が可能に。感染症などの治療に貢献する一方、薬剤に対する耐性をもつウイルスも見られるようになっていく。


1953年には〈ワトソン〉と〈クリック〉によって遺伝子の基本となるDNAのらせん型構造がが明らかとなった。

それ以降、分子生物学は飛躍的に進歩。1973年には遺伝子組み換え技術が登場した。
遺伝子組み換え技術は動植物の品種改良にもちいられたが、生態系に対するマイナスの影響は未知数だ。

1990年代にはじまった人間の遺伝子の解読をすすめるヒトゲノム計画は2003年に完了。1990年代末にはすでに同一の遺伝子を持つクローン技術がヒツジやウシに応用されて、難病の治療薬の開発に貢献した。


失われた皮膚や臓器などの再生医療への応用にも期待が集まっており、日本人の〈山中伸弥〉(やまなかしんや、1962〜)の発見したiPS細胞は臨床実験を通して実用化が目指されている。


一方で、「遺伝子の操作はどこまで許されるか」「人間にはどこまで技術を適用してよいか」といった問題をめぐり、論争が続いている。

資料 ユネスコ総会「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」(1997年11月11日採択、全25条より抜粋)
A.人間の尊厳とヒトゲノム
第1条
  ヒトゲノムは、人類社会のすべての構成員の根元的な単一性並びにこれら構成員の固有の尊厳及び多様性の認識の基礎となる。象徴的な意味において、ヒトゲノムは、人類の遺産である。
 第2条
(a)何人も、その遺伝的特徴の如何を問わず、その尊厳と人権を尊重される権利を有する。
(b)その尊厳ゆえに、個人をその遺伝的特徴に還元してはならず、また、その独自性及び多様性を尊重しなければならない。
 第3条
  ヒトゲノムは、その性質上進化するものであり、変異することがある。ヒトゲノムは、各人の健康状態、生活条件、栄養及び教育を含む自然的・社会的環境によって様々に発現する可能性を内包している。
 第4条
  自然状態にあるヒトゲノムは、経済的利益を生じさせてはならない。

この宣言では、ヒトゲノムが人類の共有財産であるとうたわれているが、ヒトゲノムをもとにした研究成果を特許化すること自体を否定しているわけではない。



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