1.1.6 東地中海世界の諸民族② ヘブライ人 世界史の教科書を初めから最後まで
”船乗り民族”フェニキア人と”ラクダの商人”アラム人のほかにも、パレスチナで特色ある民族に育っていった民族がいる。
ヘブライ人(ヘブル人、イスラエル人)だ。
ヘブライ人のご先祖はメソポタミア出身
彼らの伝説上の御先祖(アブラハム)は、メソポタミアのウルという都市国家で暮しており、家畜を連れながらパレスチナ方面に移動してきたとされている。
エジプトへの”引っ越し”と”大脱走”
で、彼らは前1500年頃(今から3500年前)にパレスチナに定住したものの、一部はエジプトに移住する。
しかし、新王国時代のエジプトでは、ヘブライ人は奴隷として厳しい暮らしを余儀なくされてしまう。
そんな中、だいたい前13世紀頃(今から3200年前頃)、ヘブライ人たちをエジプトから ”脱出”させたのが、モーセという指導者だ。
この大脱出劇は「出エジプト」として語り継がれているよ。
当時、複数の神々を信仰していたヘブライ人をまとめるため、モーセは、「たった一つの神様」(ヤハウェ)と契約を結ぶという形をとった。
このときモーセが人々に提示した神との契約を「十戒」(じっかい)という。
ダビデとソロモンによる統一と分裂
その後パレスチナにたどり着いたヘブライ人は、先住のカナーン人と戦い、ダビデ王によって王国の基礎が築かれた。
のちに16世紀(今から約500年前)に、ミケランジェロという天才芸術家がつくった「ダビデ像」が有名だね。
ダビデ青年が持っている石は、カナーン人の巨人兵士(ゴリアテ)を倒したときのものだよ。
さらに、”賢者”としても知られる”ダビデの子ソロモン王は、強大な権力を握り、厳しい支配がしかれた。
ソロモン王の死後、王様の権力強化に批判的な北部のグループは「イスラエル王国」を建国。
それに対して南部のグループは、従来の都であるイェルサレムを中心に「ユダ王国」を建国。
こうしてヘブライ人は2つの国に分裂してしまった。
北の王国はアッシリアに滅ぼされる
その後、北部のイスラエル王国は、その後アッシリア王国という外部の王国に滅ぼされることに。
イスラエル王国の住民はその支配下に置かれた。なかにはアッシリア人と結婚し「ヘブライ人」とは別々の道を歩んでいった人たちもいる(サマリア人)。
南部に逃げた住民も少なくなかったけれど、国外に離散してしまったグループもいたらしい。これら「失われた10支族」の中には、中国や日本にまで逃れたグループがいるんじゃないかというトンデモ説もある(おもしろいけどね)。
このように、踏んだり蹴ったりのヘブライ人たち。
「どうしてこんなことになってしまったのか」と悩む中で、「かつて唯一神との間に結んだ契約をやぶってしまったからじゃないか」という説も叫ばれるようになっていく。
”強制連行”に耐え、「ユダヤ教」が生まれる
しかし残るユダ王国も、アッシリアの滅亡後にメソポタミアに建国された新バビロニア王国によって滅ぼされ、住民の多くがバビロンに強制連行されてしまう。
これが世にいう「バビロン捕囚」(ほしゅう)だ。
そんなピンチに際して、故郷を離れて厳しい暮しを余儀なくされたヘブライ人たちの中では、自分たちの歴史を掘り起こし、「唯一神」(ヤハウェ)への信仰を復活させようという動きが起きた。
” 自分たちヘブライ人は、唯一神に「選ばれし民族」(選民思想)。
いつか世界が終わるとき、ヘブライ人だけが救われる。
そのときには、救世主(メシア)がこの世に出現するはずだ。"
実際に、バビロン捕囚から50年後、ヘブライ人たちはペルシア人の王国アケメネス朝によってバビロンから解放され、パレスチナに帰還することができた。
ヘブライ人たちは唯一神に感謝を捧げ、イェルサレムの町に神殿を作った。
これがユダヤ教の始まりというわけだ。
このとき築かれた神殿は、のちに改築され、結局ローマ帝国によって破壊されてしまう。
現在のイェルサレムにある「嘆きの壁」は、その遺構だ。
一般に、バビロン捕囚後のヘブライ人たちのことは「ユダヤ人」と呼ぶのが習わしとなっている。そして、ユダヤ人の神話と歴史をまとめた聖典のことを、のちに『旧約聖書』と呼ぶようになった。
その後ユダヤ人がどうなっていくのかは、世界史を勉強していく上でも要チェック項目だ。
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