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世界史の教科書を最初から最後まで 1.2.7 ペルシア戦争とアテネ民主政


アテネの平民たちは、着々と政治に参加する権利を手に入れつつあった。

そんな中、エーゲ海をはさんだ対岸では、アケメネス朝というペルシア人の国が領土を急激に西へと広げていた。
その王はダレイオス1世である。

彼は、エーゲ海沿岸のイオニア地方というところにあるミレトスに目をつけた。ミレトスはギリシア人の植民市であり、商業の中心地として栄えていたのだ。
植民市での反乱を支援したダレイオス1世は、アテネに遠征軍を差し向ける。地中海でギリシア人のライバルだったフェニキア人の海軍も利用し、地中海に経済的に進出しようとしたわけだ。

ここからはじまるのが、ギリシア人とペルシア人が真正面からぶつかったペルシア戦争だ。




しかしアテネの誇る重装歩兵軍は、前490年(今から2500年ほど前)のマラトンの戦いでこれを撃破。
このとき、ある兵士が武装したままアテネまで走り、「われわれは勝った!」と言い残して絶命したという。
諸説あるけれども、この出来事をルーツとして、1896年の第一回オリンピック大会において、マラトン~アテネ間の40kmを走る”マラソン”競技が始まったんだ。




その後もアテネは、テミストクレスの下で海からの再侵略を恐れて海軍を拡張していった。


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その成果が実ったのは、前480年のサラミスの海戦だ。


三段の座席を持ち、オールをいっせいにこいで高速移動することができる秘密兵器「三段櫂船(さんだんかいせん)」が威力を発揮したのだ。


前479年には陸上でもアケメネス朝を倒し、ペルシアがその後ギリシャを攻めることはなくなった。


これらの勝利に貢献したアテネは、一躍「ギリシャ世界のリーダー格」にのぼりつめる。
アテネが勝利に酔いしれる中、将軍ペリクレスは、アテネの全市民が参政権を獲得する体制をつくりあげたことで有名だ。


彼は前431/30年にとりおこなわれた戦没者の葬儀の際、次のような演説をした。

資料 ペリクレスの戦没戦士葬送演説

「われらがいかなる理想を追求して今日への道を歩んできたのか、いかなる政治を理想とし、いかなる人間を理想とすることによって今日のアテーナイ(アテネ)の大をなすこととなったのか、これを先ず私は明らかにして戦没将士にささげる讃辞の前置きとしたい。…中略…

 われらの政体は他国の制度を追従するものではない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範を習わしめるものである。

 その(政体の)名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、|民主政治《デーモクラティア》と呼ばれる。」

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ペリクレス(紀元前495?~429)



「なぜギリシャ人はアジア人に勝てたのか? それはアジアには自由がなく、ギリシャには自由があったからだ!」というわけだ。

なお、演説は次のように続く。

資料(続き)

私的な係争に対しても法に従って万人に平等な権利がわかち与えられ、誰でも名望ありとの評価に従って、身分からではなく能力から国事への栄誉を与えられる。貧乏人であろうとも、いやしくも国家に益を行ない得る者が微賤びせんゆえにみちをとざされることはない。……我らは質素な態度で美を愛し、文弱におちいらぬ態度で智を愛する。我々は言辞を自慢するよりも、まさしく行為の豊かさを旨とする。…一言でいえば、(我が)ポリス全体がヘラス(ギリシア)の学校である。…

(出典:トゥキディデス(金澤良樹・訳)『歴史』、江上波夫監修『新訳 世界史史料・名言集』山川出版社、1975年、13頁)




政治参加の拡大は、国を挙げての戦争の後に起こるもの――世界史を通じてよく見られる現象だ。この時代のアテネの場合、武器が買えなくても、その身ひとつで「船の漕ぎ手」となりえた三段櫂船さんだんかいせんのおかげで、財産を持たない市民に政治参加への道が開かれたわけだ。

こうしてアテネ人の生まれである両親を持つ18歳以上の男性であれば、誰でも民会でアテネの政策決定に関わることできる仕組みが整備されることとなる。
将軍ストラテゴスのような特別な役職をのぞき、くじ(抽籤)によって役人(1年の任期)がえらばれた。裁判にも民衆が陪審員として参加し、投票で有罪・無罪を決めた。

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ただし、この徹底的に平等な権利は奴隷や外国人、女性に適用されることはなかった。
政治に携わることができるのは、あくまで「国防」の義務を果たすことのできる人だけだったのだ。



それでも、現代の世界に広まっている「民主主義」という考え方
―つまり「君主や一部の市民によってではなく、全市民による多数決によって政治的な問題を解決していこう」という考え方のルーツは、この時代のアテネにある。

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そういう意味で、アテネに生まれた民主政治の仕組みは、世界史的に考えても大きな意義があるといって良いだろう。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊