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14.2.5 ソ連の社会主義建設 世界史の教科書を最初から最後まで

1922年に成立した「ソ連」(ソヴィエト社会主義共和国連邦)では、1924年に “建国の父” レーニン が亡くなると後継者争いが表面化。



その頃、ライバルを巧妙に叩き落として急速にのし上がっていったのは、グルジア(現ジョージア)出身のスターリン(1879〜1953年)だった。

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1922年に共産党の書記長に就任していたスターリンは、大したポストではなかった「書記長」という役職にに権力を集中。

成功したロシアの革命方式を「世界に“輸出”しよう!」という世界同時革命を主張するトロツキー(1879〜1940年)を追放した。

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資料 トロツキー『永続革命論』(1930年出版)
「9.プロレタリアートによる権力の獲得は、革命を完成させるのではなく、ただそれを開始するだけである。社会主義建設は、国内的および国際的規模の階級闘争にもとづいてはじめて考えうる。この闘争は、世界的舞台での資本主義的諸関係の決定的な優位性という条件のもとでは、不可避的に、国内的には内乱の勃発を、対外的には革命戦争の勃発をもたらす。まさにここに社会主義革命そのものの永続的性格がある。この点では、その国がほんの昨日民主主義革命を成し遂げたばかりの後進国であるか、民主主義と議会主義の長い時代を経た古い資本主義国であるかにはかかわらずそうである。  
10.一国の枠内での社会主義革命の完成は考えられない。ブルジョア社会が危機に陥った基本的理由の一つは、それによって創出された生産力が国民国家の枠ともはや両立しえなくなっているという点にある。このことから、一方では帝国主義戦争が、他方ではブルジョア的ヨーロッパ合衆国のユートピアが生まれる。社会主義革命は、国民的舞台で開始され、国際的舞台へと発展し、世界的舞台で完成する。こうして、社会主義革命は、言葉の新しくより広い意味において永続的なものとなる。それは、われわれの惑星全体での新社会の最終的勝利にいたるまで完成することはない。  
11.以上のような世界革命の発展図式は、社会主義にとって「成熟している」国と「成熟していない」国という、現在のコミンテルン綱領が与えている衒学的で生気のない分類をきっぱり退ける。資本主義は、世界市場と世界的分業と世界的生産力をつくり出したかぎりにおいて、全体としての世界経済を社会主義的刷新に向けて準備することになったのである。」
(出典)レフ・トロツキー『永続革命論』光文社、2008年


これに対しスターリンの意見は、「世界中で同時に革命を起こそうとしなくても、まずはソ連1国だけで社会主義を建設することに集中したほうがよい」とする「一国社会主義論」だ。
1928年、一部資本主義をとりいれたネップ(NEP)の政策に代わり、スターリンは「個人事業を制限し、国主導で重工業を推進しよう」とする第一次五カ年計画を推進する。
まずは国を豊かにしなければ、「みんなが豊かで平等な国」なんてつくれない。
国が貧しいままでは「みんなが平等に貧しい国」になっちゃうからね。

まずはソ連が社会主義を実現しなければ、”お手本“ にもならない。
「開発」をトップダウンで進めて生産力をアップし、社会主義と、その”ネクストステージ“である共産主義の実現に向けて頑張ろうと主張したのだ。


同じように農業現場でも、個人の畑が次々に没収。
レーニンの新経済政策のときに、土地経営をして成功した地主たちは、”反革命分子“として弾圧の対象となった(お仕置きの典型は、”シベリア送り“だ)。

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至る所にあった収容所(グラグ)



土地は集団のものとされ、広い畑を耕すために機械化が命じられた。
すでにガソリンやディーゼルエンジンで動く自動車の技術が、耕運機(トラクター)にも導入され、大量の肥料が投入される大規模な農業がはじまった。

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じつはこれ、ベルトコンベヤーによる流れ作業方式を開発したことで知られるアメリカ合衆国のフォード・モーターの生産したトラクター(フォードソン・トラクター)。
ソ連は国家主導でアメリカ合衆国の企業とも普通に貿易をしていたんだよ。



なお、土地・農具・家畜をシェアするように命じられた農民たちの共同農業経営組織をコルホーズ(集団農場)といい、農業経営のモデルとして農民たちを国の司令通りに働かせる国営の大規模農場はソフホーズ(国営農場)と呼ばれた。
「何をどれだけつくるべきか」は国の司令にもとづいて決められ、収穫物は国の決めた値段で納められる決まりだ。




政府は「集団化」に抵抗する多数の農民を逮捕・投獄。むりやり生産物をとりあげたため、1932〜33年には農民に多数の餓死者が発生。
多大な犠牲をはらいつつ、農業の集団化はほぼ完了した。


ソ連一国での社会主義化をめざすスターリンの主張が優勢となると、世界中の革命運動をサポートするための第3インターナショナルコミンテルン)も、「まずはソ連という国を、立派な社会主義の国にしなければ」という主張に変化していく。


スターリンの牛耳るソ連共産党の指導部が何を考えているか」ということが、しだいにコミンテルンの活動だけでなく、ソ連全体を縛るようになっていったんだ。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊