0.1.2 農耕・牧畜の開始と国家の誕生 世界史の教科書を最初から最後まで
約10000年前に氷期が終わると、地球は温暖化に向かっていく。
これ以降の時代を地質学的に「完新世」というよ。
ホモ・サピエンスは世界各地のさまざまな環境に適応する中で、前7000年頃の西アジアにおいて、土を耕すことによる麦の栽培と、ヤギ・ヒツジ・ウシの飼育が始まった。
土を耕して植物を栽培することを農耕、家畜をてなずけて飼育することを牧畜というよ。
これ以降の人間は、自然にあるものを狩猟と採集によって取る「獲得経済」をおくっていましたが、それまで以上に積極的に自然をコントロールし、食料を生産する生活を営むようになる。
これを生産経済というんだ。
これによって食料の生産がアップし、人口は急増。
以前から存在した定住集落も、しだいに大規模なものになっていった。
とはいえ初期の農耕は雨水だけにたより、肥料はもちいられないものだったから(乾地農法とか略奪農法という)、焼畑などによって移動をしながら耕作していたところも多かった。
人間は織物や土器をつくり、そのデザインによって自分たちの「まとまり」を表現するようになっていく。
また、木々を伐採したり植物を刈り取るために石斧が作られ、穀物を加工するために石臼(いしうす)がつくられた。
これらの石器は刃先を鋭く加工され、磨製石器と呼ばれる。
磨製石器の出現を目印に、それ以前を旧石器時代、以降を新石器時代と区分する。
新石器時代の文化(新石器文化)は、アフリカ大陸やユーラシア大陸だけでなく、南北アメリカ大陸にも広まっていった。
その後、西アジアのメソポタミア(現在のイラクのあるところ)で、河川の水を利用した灌漑農業(かんがいのうぎょう)が発明されると、食糧生産は飛躍的にアップし、やしなうことのできる人口も急増。
少数の支配層が食料生産による収穫物をコントロールすることで、特定のエリアにいる人々・家畜を囲い込み、統一的に支配する国家という組織が生まれることとなった。
「国家」は話し言葉では「国」(くに)と呼んでもいい。
ただし現在の国とは違って、当時の国の領域はとっても狭い。
「面」的な広がりを持つ現在の国とは違い、当時の国は都市(=「点」)とその周辺の限られたエリアを支配する都市国家だった。
宗教と交易の中心である都市を中心にして、周囲の農村が支配される構造になっており、領域もはっきりとしていない。一定の領域をちゃんと支配するだけの力も方式も、当時の支配者にはまだまだ備わっていなかったのだ。
このような都市においては狩猟採集生活を送っていたときのような平等な関係ではなく、支配する人と支配される人という不平等な関係が発達した。
支配層は、軍事力と都市を精神的にまとめる宗教をもちいて、官僚(国家の支配者につかえる人々)、軍人(内外の敵と戦い、国家の安全を守る人たち)、商人(都市の中にある物を都市の外に運び、交換などによって物を都市の外から運んで来る人たち)、職人(日用品や贅沢品などをつくる人たち)、農民・牧畜民(農耕・牧畜を営む人たち)をまとめていった。
収穫物は役人によって取り立てられ、身分に応じて人々に配分された。土地や家畜の貸付や取引も行われ、そうした物のやりとりや権利関係を記録するために文字が発明されていく。
文字が発明されたことで、当時の人々がどのような社会を築いていたかが、より具体的にわかるようになっていく。
ここから後の時代を「歴史時代」というよ。
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