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ゼロからはじめる世界史のまとめ⑳ 1848年~1870年の世界

今回は1848年~1870年の世界をみていきます。
イギリスで始まった、「工場」の「機械」を「蒸気力」で動かすイノベーションが、世界の「設定」をさらに大きく変えていきます。
日本でいうと、江戸時代の終わりから明治時代の初めにかけての時代を眺めていきましょう。

産業革命の影響が世界に広まっていく時代②

イギリスに「追い越せ追い抜け」と、ヨーロッパ諸国は頑張っていますね。
―そうだね。
 「国が一丸(いちがん)となること」が、新しい時代には何よりも求められたことだ。
 そのために、王様が独断(どくだん)でイバっていればよかった時代は終わり、ルールに基づいて国民が納得する形で国を建設していこうという時代になっていったわけだ。


「ルール」とは憲法のことですね。
―そう。
 「国を運営する人たちが守らなければいけないルール」だ。
 ただ、「国民」っていっても、「誰が政治に参加できるか」をめぐって、この時代はまだまだモメている(注:イギリスのチャーティスト運動)。


「貧しい人」は政治に参加しちゃいけないっていうことですか。
―そういうこと。
 お金持ち主導で強い国をつくろうってときに、「貧しい人」たちが「平等な国をつくろう!」なんて言い出したら、ジャマなわけだ(注:労働者の国際組織である第一インターナショナル)。

 結果的に労働者(雇われる人)の政治に参加する権利はなかなか認められず、経営者(雇う人)や出資者(資金を持っている人)の意見ばかりが政治に反映されていくようになる。

 すると次第には、なるべくそういう人たちの意見を反映させようと、海外の植民地を増やそうという行動に出るわけだ。
 そうすることで票が得られるし、植民地を増やせば「豊かになる」と信じられたからね。結果的には、進出した先の人たちからのちのち「恨み」を買うことになるのだけど。


でも、いつまでも内輪もめしている場合じゃないですよね。
―そうだね。
 そこでヨーロッパやアメリカ合衆国では、お金がないからといって文句をいうんじゃなくて、まずは国のことを優先的に考えられる人を育てようと、教育制度を整えていくことになるよ。方言をなくそうとしたり、国の“正しい”歴史を教えたりね。
 まあ、経済が豊かになっていけば、次第に「生活レベル」も上がっていき、給料も上がっていく。だから、だんだんと雇う人と雇われる人の対立は、特に先進エリアの西ヨーロッパでは減っていくことになるよ。
 でも、遅れた地域である東ヨーロッパでは、しだいにこの対立が激しくなっていくことになるんだ。


アメリカ合衆国はどんな感じですか?
―13の植民地が寄せ集まって成立したのがアメリカ合衆国というグループだ。
 みんなで集まってひとつの国を形成しているんだけど、あくまでひとつひとつの元・植民地は「国」という扱いだ(地図:アメリカ合衆国の領土の変遷)。


日本の都道府県とは違うんですね。
―そう、違うんだ。
 だから、それぞれの「国」ごとに文化も違えば産業も違うわけ。
 北のほうはイギリスを見習って機械を使ったものづくりにトライしていくんだけど、南のほうはあいかわらず大勢の奴隷を使った綿花づくりをしていた。

 北のほうの「国」は、好きなときに必要なだけ働く人を雇いたかった。
 だからできれば南の方の黒人を働き手として雇いたかったんだ。
 でも、南部では黒人は「奴隷」という身分。
 自由にバイトを募集できない。しかも、奴隷なんてかわいそうだ。

 それがきっかけになって南北戦争という大きな内戦が起きたんだ。

 結果は北部の勝利。
 その後は北部のペースで工業化が進んでいき、西部にもインディアンたちから土地を奪いながら領土を拡大していくよ。


アジアやアフリカはどうなっていますか?
―東南アジアはフランスとイギリス、オランダによる植民地化がいちだんと進む。
 中国も、イギリスとフランスが戦争を仕掛けて惨敗。
 インドではイギリスに対して大反乱が起きるけど鎮圧。

 西アジアではオスマン帝国の領土が、ロシアをはじめとするヨーロッパ諸国によって「取り合い」になっている。
 
 また、医療技術の進歩もあって、アフリカの内陸への進出も進んでいくよ。

なんだか、ヨーロッパ諸国の都合のいいように世界が作り変えられていくようですね。
―そうだね。
 でも、進出を受けたアジアやアフリカの国々が、100%従っていたわけではないよ。
 国にとっては危機的な状況でも、民間商人は各地で活発に取引を続けているんだ。
 「ピンチ」を「チャンス」に変える感じだね。

 この時代の日本は、アメリカ合衆国の軍艦がやって来て「脅し」を受ける形でヨーロッパ諸国との貿易を始めた。
 「こりゃかなわない」と観念し、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国を見習って新しい技術や文化を導入し、国を作り変えることを決めたんだ。
 植民地にされるのを間一髪でまぬがれた形となったよ。

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◆1848年~1870年のアメリカ

―この時代のアメリカ合衆国では、大量の金と石油が見つかった。
 これにより西部への移住がブームとなり、アメリカ合衆国の領土はあっという間に太平洋沿岸に到達するよ。

 一時、南北戦争という南北の2グループに分かれた大きな内戦があったものの、太平洋に到達したアメリカ合衆国は今度は太平洋の横断を目標にしていく。

 当時さかんだったのはクジラの漁。巨大な体から油をとることが目的だった。
 その「休憩地点」として重要ポイントとなったのが、ハワイや日本だったんだ。
 アメリカ合衆国は軍艦を派遣して日本を脅し、貿易をはじめることに成功


アメリカはどうしてこれだけ急拡大できたんですか?
―ヨーロッパからたくさんの労働者を移民として受け入れたんだ。
 アメリカにはヨーロッパのような「伝統」がないから、みんなゼロから頑張って成功することを夢見たんだ。

 それに土地がたくさんあった。
 インディアンたちから奪った土地なんだけどね。
 カナダにも進出しようとしたけど、そこを手放したくないイギリスからの働きかけもあって、カナダは「自治領」(じちりょう)という「まとまり」を形成する。完全な独立ではないけれど、これが今のカナダのルーツだよ。

 こうして次第に「アメリカっぽい文化」がつくられていくんだけど、そこには入れてもらえず差別を受け続けた人たちがいるんだ。


黒人ですか?
―その通り。
 この時代に、憲法に書き足される形で黒人差別は禁止されるんだけど、とくに南部で黒人に対する嫌がらせやあからさまな差別は続くんだ。


中央アメリカや南アメリカは、相変わらずヨーロッパ諸国の「子分」のような状態ですか?
―そうだね。
 せっかく独立したけれど、結局国の大部分の土地を持っているのは少数の支配者だった。
 彼らの多くはアメリカ生まれの白人。
 肌の色によって社会的なステータスが決まるきゅうくつな社会は続いていたんだよ。


ヨーロッパ諸国に反抗しなかったんですか?
―いうことを聞いていれば「もうかる」からね…。
 特に支配権をもっていたのはイギリスだ。
 イギリスにとっては、鉱産資源とか農産物を現地から安定的に輸出してくれる支配者が、良い支配者だ。
 だから、反対勢力をやっつけるための武器や資金を、そういう人たちに惜しみなく分け与えた。
 すると、軍隊がどんどん強くなっちゃうよね。
 そうなると、軍隊が武力を使って政治家を倒す事態も頻発する。
 要するに「どうやって資源を売ってもうけるか」ってことしか考えていないんだ。


それじゃあダメだって考える人はいなかったんですか?
―いたにはいたよ。
 自分たちで牧場を経営しようとか、産業をおこそうとかね。
 そういう人たちは、イギリスの協力者との間に熾烈な争いを繰り広げていくよ。

これじゃあ、なかなかまとまりそうにないですね。

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◆1848年~1870年のオセアニア

―オセアニアもこの時期に植民地化が少しずつ進んでいく。

オセアニアに一体何があるというんですか?
―船の補給基地という役割が大きいね。
 ほかには、鳥の糞をゲットしたいという動機もある。

どうしてまた鳥の糞なんかを…。
―鳥の糞に含まれている成分が、火薬や肥料の原材料になることがわかったんだ。
 化学的な成分を抽出して化学肥料を合成すれば、いままでは育たなかった場所でもたくさんの作物が育てられるようになったんだ。

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◆1848年~1870年の中央ユーラシア

―この時期にユーラシア大陸の中央部では、ロシアと中国がにらみ合う情勢が続いている。
 イギリスにとっても、大事な植民地であるインドを守るためにロシアの南下は防ぎたいところだ。

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◆1848年~1870年のアジア

◇1848年~1870年のアジア  東アジア

日本
 この時代、日本にアメリカ合衆国が軍艦で来航し、武力で脅して貿易を要求した。
 日本は対応をどうするべきかモメますが、中国がイギリスに負けたニュースを知っていたことから現実的な対応が選ばれ、アメリカをはじめとするヨーロッパ諸国とのビジネスがスタートしたんだ。

 こうして、日本は植民地化こそまぬがれたものの,不公平な形で,ヨーロッパとアメリカ合衆国中心の経済のシステムに参加することになったわけだ。

 「ヨーロッパ諸国」に一人前の国として認められなければ、不公平な状態はずっと続くだおる。
 それを避けるには国の「大改造」が必要だ。このままでは植民地になっていまうという危機感を抱いた若手の支配層が動き、将軍をトップとする武士の支配が倒された。
 代わりに天皇をトップにヨーロッパを見習った国づくりがすすめられていったよ。


中国
“お隣”の中国はどうですか?
―この時代にもヨーロッパ諸国の強引な進出に苦しめられるよ。


ちょっと前にイギリスが「自由な貿易」をしようと、戦争をしかけたばかりですよね?
―そうだよね。
 だけど戦後も貿易額が伸び悩んだことにしびれを切らしたイギリスは、今度はフランスを誘ってまたまた中国に戦争を仕掛けるんだ。


結果は…?
―またまた中国のボロ負けだ。
 ロシアはこのすきに北部の領土をゲットしている。
 戦後の条約によってヨーロッパ人が自由に中国の内陸に「旅行」できるようになった。また、中国人の外国への「旅行」も許可されたよ。


「旅行」ですか。良いこと?なんでしょうか?
―いやいや、問題だらけだよ。
 ヨーロッパ人はますます中国に進出しやすくなるし、中国人は“奴隷”同然の働き手として外国に輸送されるようになっていく。
 反発も強まるよね。
 矛先(ほこさき)が向かったのは外国はもちろん、何の対処もできなかった中国の皇帝だ。
 この時期にはキリスト教の影響を受けた漢人が、農民たちを率いて中国の皇帝を倒して平等な国をつくろうとしたけれど、失敗した。


また「農民反乱」ですか…。
―皇帝はこの反乱を自力で鎮圧することはできず、地方の有力者を頼った。
 皇帝は少数派の女直人という民族だったけど、地方の有力者は多数派の漢人だ。

 漢人たちは思う。
 「このままでは中国はヨーロッパ諸国の植民地になってしまう…」

 彼らの実力を認めた皇帝は漢人の官僚にチャンスを与え、兵器や軍隊をヨーロッパ化するプロジェクトを始動した。結果はどうなることやら…。


◇1848年~1870年のアジア  東南アジア

―ベトナムはフランスの進出をもろに受け、カンボジアと合わせて植民地になった。
 インドの東のビルマはイギリスの進出を受けて、どんどん領土が減っている。

 イギリスとフランスによる両サイドからの侵略のサンドイッチを受け、 「これはまずい」となったのがタイだ。


タイはどんな対応をしたんですか?
 イギリスとフランスとしても「正面衝突」をして無駄な争いをするのは避けたいところ。タイの王様はそのことをよく理解していた。
 両国とのバランスをうまくとり、近代化(ヨーロッパ化)をすすめながらイギリスとフランスの緩衝材(クッション)として、植民地化されずに生き残っていくよ。


◇1848年~1870年のアジア  南アジア

イギリスはインドを植民地にしているんですよね?
―そうだよ。
 インドは綿花を育てるのに最適な場所だし、鉱産資源も豊富だ。
 もともといろんな国があったんだけど、イギリスはそのほとんどをそのまま残し、間接的に支配をしたんだ。そうすれば住民からの不満が直接イギリスに向かわなくて済むからね。


でも、さすがに不満はたまりますよね?
―この時代にはその不満が爆発し、インド各地のさまざまな身分の人が参加する大反乱となった。
 反乱鎮圧されたけれど、イギリスは直接インドを支配しようと仕組みを整えていくよ。


どうしてそこまでして支配したかったんですか?
―インドから得た税が、そのままイギリスの利益になるからだ。
 当時のヨーロッパやアメリカ合衆国では、イギリスが開発した最先端の蒸気機関をマネして、工業中心の社会ができあがりつつあった。
 つまりイギリスにもライバルが増えていたんだ。

 でもイギリスには世界津々浦々に植民地や拠点を持つという「強み」があった。しかも、これまでの「もうけ」もたくさんある。
 イギリスは「ものづくり」部門の赤字を、船の運行やお金を貸すことで穴埋めしようとするようになっていくんだけど、インドから得る収入も、その「赤字穴埋め」のためは重要な収入源だったんだ。


イギリスも大変だったんですね。じゃあ、インド人は貧しいばっかりですね。
―そんなこともないよ。
 インド人の商人の中にも、イギリスの機械を導入して工業にチャレンジし、富を築く人も現れた。
 綿の糸や織物の会社で億万長者となり、日本、東南アジア、中国との取引でさらにビッグになっていく財閥も出てくるよ。

 ちなみに、午後の紅茶のお茶っ葉の農園で有名なスリランカのお茶畑は、このときにイギリスの会社が切り拓いたものだ。働き手には南インドの人たち(ヒンドゥー教徒)が採用されたから、もともといた仏教徒との関係がしだいに悪くなっていくよ。


◇1848年~1870年のアジア  西アジア

―アフガニスタンでは遊牧民の王様が広い範囲の統一に成功し、イギリスの攻撃に立ち向かいます。

どうしてイギリスはアフガニスタンなんて狙ったのですか?
―大切な植民地であるインドを守るためだ。
 でもアフガニスタンは山がちで、倒すのは容易ではない。

 同じくイギリスの侵入を受けたのはイランの王国だ。ここには北からロシアも下がってきている。
 何もできない王様に対して批判的な宗教グループが大反乱を起こしている。反乱はロシアの支援も受けて鎮圧され、さらに東のほうの領土はイギリスに奪われる始末だ。


アラビア半島の様子はどうでしょうか?
―イランとアラビア半島にはさまれたペルシア湾は、古来、真珠の産地だったんだけれど、イギリスはここに目を付けた。
 インドと地中海の間に位置する重要ポイントでもあるからだ。

 当時のペルシア湾にはいろんな勢力が自由に貿易をしていた。それをイギリスは武力で鎮圧し、個々に服従させていったんだ。

 今のアラビア半島の北のほうには小さな国がいくつかあるよね。

地図見てみます。
えーと、クウェート、カタール、バーレーン、アラブ首長国連邦、オマーン…。
―そうそう。そのへんの国々のルーツは、このときにイギリスと個々に条約を結んで、「もう反抗しません。言うこと聞きます」って観念した国なんだ。

 当然それがイヤな人たちもいる。
 内陸では、今のサウジアラビアのルーツになる国が息を吹き返しているよ(前の時代に一度滅んでいた)。


なんだかどんどんヨーロッパ諸国、とくにイギリスが西アジアに進出していきますね。
―オスマン帝国が全然しっかりしていない状態だよね。

なんとか手は打たなかったんですか?
―オスマン帝国の皇帝はヨーロッパから資金を借りて、ヨーロッパの技術を導入しようとしたんだ。
 これが元で借金漬けになってしまう。
 しかもロシアとの戦争に単独で勝つことができず、助けてくれたイギリスやフランスの言うことをますます聞かざるをえなくなった。

 そんな皇帝に「うまいもうけ話がある」とフランスの実業家が誘って作ったのがスエズ運河だ。地中海とインド洋を船に乗ったまま渡ることができる人口の水路だ。
 でも、フタを開けてみれば大赤字。

なんだか無残ですね…。
―オスマン帝国の皇帝って、イスラーム教徒の多数派グループのリーダー格でもあるよね。「カリフ」といって、イスラーム教徒を始めた人の「代理人」という意味だ。

 そんな悲惨なカリフの姿を見て、こんなふうに考えた人がいた。
 「われわれイスラーム教徒が苦しんでいるのは、自分たちにも責任がある。「ヨーロッパ文化」にかぶれて、自分たちのイスラーム教の伝統を見失ってしまったからだ!」
 「ヨーロッパに対抗するのに、ヨーロッパみたいになる必要はない。われわれイスラーム教徒が、国や地域や民族を超えて団結することが必要だ!」

 この考えは、次第に共感する人を増やしていくことになるよ。

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◆1848年~1870年のアフリカ

―この時代のアフリカはヨーロッパによる「植民地化」前夜だ。
 まずは「下調べ」として、国の応援する探検家たちが内陸の冒険を加速した。
 地図もなければ情報もない。
 言葉もわからない、まさに「暗黒大陸」。


すでに南アフリカにはイギリスが植民地化をすすめていますね。
―そう。先に移住していたオランダ系の人々は、北のほうに追われてしまった。

西アフリカにはフランスが進出していましたね。
―そうだね。でも当時はまだ現地の遊牧民たちがイスラーム教を旗印に建てた強い国も健在だ。

北アフリカはオスマン帝国がほとんど支配できずにいますね。
―ヨーロッパ諸国の進出を受けて支配どころではなくなっているからね。
 フランスはアルジェリアを、イギリスはエジプトの支配を強めているよ。

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◆1848年~1870年のヨーロッパ

前の時代ではすでにヨーロッパの中で発展に「差」が生まれていましたね。
「機械でものづくり」をおこない、海外に植民地を広げていた西ヨーロッパと、
 このご時世になっても「領主の持ち物である農民」たちに農業をさせて、それを西ヨーロッパに輸出することでもうけていた東ヨーロッパとの「差」だね。


東ヨーロッパの国々は、その「差」を埋めようとはしなかったんですか?
―あまり「差」があるってことの自覚もなかったんだよね。
 でも東ヨーロッパのロシアは、西ヨーロッパのフランスとイギリスとの戦争でボロ負けして、ようやく目を覚ました。

 「農業ばっかりやってる場合じゃない」ってね。
 農民が領主の持ち物のままじゃ、工場をつくっても働き手が足りない。
 そこでロシアの皇帝は、領主よ、農民を解放しなさいと命令した。ほとんど実効性はなかったわけだけど。
 ちなみに、ロシアが困っているタイミングを見計らって、支配を受けていたポーランドの人たちは大反乱を起こして失敗している。


そういえば、「ドイツ」はどうなっていますか?
―前の時代はまだ「ドイツ」っていう国はなかったよね。
 ドイツ語を話す人たちがヨーロッパの真ん中に分布しているだけで、国はバラバラのままだった。
 でも、このままだとイギリスの製品がドバっと押し寄せてきて、経済的にイギリスの言うことを聞かないといけなくなる…と心配する声はあがっていたよね。

 声をあげたのはプロイセン王国だ。
 「ドイツ人地域」の中でも、特に先進工業地帯だった。
 王様にも政治家にも、ドイツ人たちをまとめようとする野望もあった。

そこでこの時代には、手始めに「練習試合」として北のデンマークと戦って領土を奪った。デンマークはこの戦争に負けた後は、酪農(らくのう)にいそしみ経済力を付ける国づくりをしていくよ。
 さらに宿敵オーストリアと戦い「ドイツをまとめるのはプロイセンだ!お前じゃない!」ということを認めさせ、さらにフランスの皇帝を生け捕りにすることに成功。


快進撃ですね。っていうかフランスって、また「皇帝」の国になってるんですか?
―前の前の時代に、軍人皇帝がヨーロッパ征服を一瞬成し遂げたことがあったよね。


 彼の甥(おい)が「三代目」として、また国民による人気投票で皇帝になっちゃうんだ。

どうしてですか?
 それぐらい混乱していたんだよ、当時のフランスは。
 そういうときに限って国民は「強く頼もしい(ようにみえる)指導者」を選びがちだ。
 
 ただこの皇帝(注:ナポレオン3世)は非常に現実主義的な人で、相談役に最先端の経済学者をたくさんつけたんだ。
 だからこそ、その期待にこたえるべく世界中で植民地を増やすための戦争をやっている。
 それもこれも、イギリスになんとかして追いつこうとするフランスの執念だ。



このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊