同時に学べる!世界史と地理 Vol.10 紀元前後~200年
国のサイズが巨大化する時代③
世界史と地理を同時に学んでしまおうという欲をかいた企画の10ピース目。
本文内のリンクは主としてGoogle検索リンクに飛びますので、さらに勉強したい場合は適宜お飛びください。
目次
10-0. 紀元前後~200年の世界
10-1.紀元前後~200年の南北アメリカ
10-2.紀元前後~200年のオセアニア
10-3.紀元前後~200年の中央ユーラシア
10-4.紀元前後~200年のアジア
10-5.紀元前後~200年のアフリカ
10-6.紀元前後~200年のヨーロッパ
*ヨーロッパ中心主義回避のため、あえてヨーロッパを配列の最後方に回しています。
ユーラシア大陸の西にはローマ、東には漢というように、さらに国のサイズが巨大化していますね。
歴史:そうだね。
どちらも現在の各地域の「土台」をつくった国といえるよね。
どういうことですか?
歴史:だって、ユーラシア大陸の西のほうの文字と東のほうの文字はそれぞれ?
「ローマ」字と、「漢」字です!
歴史:というわけだ。
ローマ字はそもそもフェニキア人の文字から発達したんだったよね。
フェニキア人の文字は、現在でいうとアラビア文字のご先祖にあたる。
どちらも「右から左」の方向に書かれる文字だ。
ローマ字は「左から右」、漢字は「上から下」ですよね。
歴史:つまり文字の記し方からみると、
ユーラシア大陸は西から、「左から右」 →「右から左」→「上から下」に分かれていったとみることができる。
*1 青+ピンクはローマの文字由来(左→右)。今から約500年前からの植民地の拡大と、ロシアのアジアへの拡大(ピンク)によって世界中に広がった。
*2 緑はアラビア語で、右→左。イスラム教の拡大によって北アフリカやユーラシア大陸中央部にも広がった。
*3 黄色は中国語。このあたりは縦書き(上→下)が多い。
出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/WritingSystemsOfTheWorld_ja.svg/1280px-WritingSystemsOfTheWorld_ja.svg.png
なるほどー。
ちなみに当時の地球の気候はどんな具合ですか?
地理:地域ごとに差があるけれど、特にヨーロッパでは温暖な気候を経験している。
ローマが北のほうに領土を拡大できた理由もそこにあると考えられる。
ということは農業エリアも拡大していくと―
地理:その通り。
地中海沿岸でおこなわれていた二圃式農業(にほしきのうぎょう、土地の半分を休め、半分を農地にするローテーションを組む農業)が、ヨーロッパの北にまで拡大していった。
小麦は軍隊にとって大切な食料となる。
歴史:というわけでユーラシア大陸では「西の横綱」ローマと「東の横綱」中国が、それぞれ巨大な国の代表格となったわけだ。
ユーラシア大陸では各地をつなぐ陸と海の貿易もますます盛んになっている。
南北アメリカ大陸の様子はどうですか?
歴史:単純に進み具合が「速い」とか「遅い」とか決めることはできないけど、ユーラシア大陸に比べるとスローペースだよね。よく言われるように、鉄、馬、戦車がないことが一番の理由だろう。決して「人種の優劣」ではない。
南北アメリカは南北(タテ)方向に伸びているから、長い距離を移動するとなると気候の変化が大きく大変だし、ユーラシア大陸に比べると移動手段に季節風も使えない。
というわけでユーラシア大陸では貿易ビジネスで利益をあげる国が、陸でも海域でも現れる。もちろんアメリカでも貿易は行われているけど、規模が違うね。
ユーラシア大陸の巨大な国では支配システムを整備して繁栄を迎えるけど、しだいに問題点も見えてくる。
ローマにしろ中国にしろ、「拡大することが繁栄につながった」面があるけど、拡大には限界があるから、そこで行き詰まってしまうというわけだ。
社会が安定すると人口も増えそうですね。
歴史:たとえ人口が増えたとしても、食料の生産にはスピードに限界があるからね(注:マルサスの罠)。
ふつう食料の生産スピードは、人口の増加スピードに追いつかない。だからどこかで結局無理が生じるわけだ。スピードに追いつこうとすれば開発のしすぎで環境破壊になるしね。
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●紀元前後~200年のアメリカ
歴史:この時期には北アメリカのメキシコに大都市が出現。王様はトウモロコシの農耕や貿易ルートを支配し、巨大なピラミッドを建てて「すごさ」をアピールしていた。
南アメリカはどうですか?
歴史:アンデス山脈の方面で、神殿を中心に広い範囲を越えて支配する指導者が現れるよ。現在のペルーというところでは巨大な「地上絵」を大地に描いて雨乞いの儀式を行う人々もいた。
雨乞いっていうことは、乾燥した気候なんですか?
ペルーってわりと赤道に近いから、雨が多いんじゃないですか?
地理:ペルーの沖合には温度の低い海流が流れている。
つまり、上昇気流が起こりにくく、雨を降らすような湿った風は、ペルー沿岸にはなかなか吹き付けない。
そういうわけでペルー沿岸には砂漠(注:海岸砂漠である、アタカマ砂漠)が広がるんだ。
砂漠って、海の影響によってもできるんですね。
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●紀元前後~200年のオセアニア
歴史:南太平洋の気候に適応したポリネシア人たちは、少しずつ東(北を上にして右方向)に移動をすすめているよ。
どうして「少しずつ」になっちゃうんですか?
地理:赤道付近の海域は、「東から西」に向かう海流が支配的だ(注:北赤道海流、南赤道海流)。
それを補うように「西から東」に流れているところもあるけど(注:赤道反流)、星以外に目印のない大海原(おおうなばら)を航海するのには、熟練した技能が必要だった。
どうしてそんな海流が生まれるんですか?
風の動きが大きく関わっている。これをみてみるとよいだろう。地球上の風の動きをビジュアル化したものだ。
なるほど。ニュージーランド方面に向かうのもむずかしそうですね。
地理:海流の関係を考えると、難しいね。
ニュージーランドにはまだ人類は到達できていない。
オーストラリアの先住民は外界との連絡なしに、狩りや採集で生活を送っている。文字を残していないので、詳細はわかっていない。
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●紀元前後~200年の中央ユーラシア
歴史:中央ユーラシアの遊牧民は、乾燥した気候を逆手にとって馬をはじめとする家畜の飼育によって勢力を増している
西のほうではアラン人というグループ、東のほうでは匈奴(きょうど)に代わって鮮卑(せんぴ)というグループが勢力をキープしているよ。
どうしてユーラシア大陸の内陸部ってあまり雨が降らないんですか?
地理:陸地のほうが温まりやすく、海のほうが冷めやすい性質が関係している。
巨大なユーラシア大陸は、例えるならば「巨大な鉄板」のようなものだ。
太陽に照りつけられる夏場には、ユーラシア大陸は急速に暖められる。
それに対して、海はそこまで温まらない。
いくら太陽が照りつけても、それだけで水が「沸騰」してしまうようなことってないよね。
たしかに。
というわけで、暖められた地面に「上昇気流の中心」が生まれる。
ユーラシア大陸でいうと、インドの北西部が「低気圧の中心」だ。
そこに向かって海の方向や、ユーラシア大陸の北のほうから季節風が集まってくるのが、7月頃の風の動き。
日本もその動きに巻き込まれ、南東方向からの季節風に吹き付けられて雨が多くなるシーズンだね。
冬場はどうなりますか?
地理:冬は逆に日射時間の少なくなる影響から、ユーラシア大陸の冷え込みがハンパない。
寒すぎて上昇気流がまったく起きなくなるんだ。
それに比べると海側のほうがまだ上昇気流が起きる余地がある。
というわけで海側で上昇した空気を補うように、ユーラシア大陸から寒い風が海のほうに流れていくわけだ。その中心はモンゴル高原のあたりにあるよ。
モンゴル高原ってそんなに寒くなるんですね。
地理:地球上でもっとも寒くなる地点(注:寒極)もこのあたりにある。
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●紀元前後~200年のアジア
◇日本
歴史:日本では小さな国同士が争う戦争の時代となっている。
「自分のほうが偉いんだ!」とアピールするために、中国の皇帝を“親分”として頼る国も登場。
この国が中国に送った使いは、日本に関する史上最古記録となっている(日本には文字がなかったので、中国の記録に頼るしかにないのだ)。
気候はどうですか?
地理:しだいに気候が寒冷化(注:古墳寒冷期)に向かうと、西日本を中心により広い地域の政治的な統一が進んでいくことになる。
◇中国
中国では一時期皇帝が倒されてしまう(注:新)けど、短期間で復活。
でも皇帝の力はとても低く、地方の有力者が高いステータスを求めて上京し、豪遊する状態となっていた。
それを止められない皇帝はめげずに改革に専念し、儒教によって国をまとめようとしたんだ。
中国では儒教が唯一の「オフィシャル」な考え方だったんですか?
歴史:どちらかというと儒教は、国のために働く役人が守るべきものという意味合いが強いよ。
普通の人たちはご先祖や仙人(せんにん)などにご利益(りやく)を求めてお祈りをしていたし、この時代にはインドからはるばる仏教も伝わるよ。
仏教はインドからどうやって伝わったんですか?
歴史:当時の中国は西の砂漠地帯を支配下におさめていたから、インドから北まわりで伝わったと考えられているよ。
お経はまだ漢字に翻訳されていなかったから、よっぽど勉強しないと意味はわからなかったけど、しだいに広まりをみせていくよ。
海を渡る交流もさかんで、この時代の中国の南の方(ベトナム)にはローマ帝国の皇帝(中国側の史料による)の使者を名乗る船もたどり着いている。
中国の繁栄は長続きしたのでしょうか?
地理:温暖な時期が終わりを迎え、しだいに気候が寒冷化(注:中世寒冷期)に向かった。
歴史:そんな気候変動の影響もあって、この時代の終わりにかけて、衰えをみせるようになる。
皇帝を操り人形のように思い通りに利用しようとする人たちが現れるんだ。皇帝のおそばにつかえた家来や親戚、儒教の学者、それに地方から出世した豪族らが、「自分のこと」ばかり考えて、文句を言わない少年皇帝を“お飾り”として立て、気に入らなければ今度は“赤ちゃん皇帝”を立て…ということが繰り返されるようになったからもうメチャクチャ。
おまじないで農民を救おうとした宗教グループが大反乱を起こすと、皇帝はこれを鎮圧することすらできない。
各地で有力者たちが自分たちの土地を守ろうと一斉に立ち上がり、巨大国家は分裂に向かうこととなるのだ。
◇朝鮮
朝鮮には中国の支配が及んでいましたが、この時代に地元のグループ(注:韓人)が成長していく。
まず、朝鮮の北のほうでは狩りを得意とする民族(注:高句麗)が国を建てている
。
そして、朝鮮の南のほうでは、東岸と西岸にたくさんの小さな国が建てられ、日本列島の国々ともさかんに貿易がおこなわれている。
この時代には現在の「国境」なんて関係ない。
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◇紀元前後~200年のアジア 東南アジア
歴史:季節風を利用した貿易の利益をコントロールした支配者が、あちこちで国をつくっている。
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◇紀元前後~200年のアジア 南アジア
歴史:南アジアでは遊牧民がインドに進出して国をつくっている。この時期には新しい種類の仏教が誕生する。
どんな仏教ですか?
歴史:仏教っていうのはもともと、生活に余裕のある人にしか実践することができないような代物だった。そもそもブッダも貴族出身だ。
インドには位の高い人が理想とするような生き方があって、ブッダの実践した「出家」も、仕事を早期にリタイアして自分の「セカンドライフ」を考える期間(注:林住期)にあたる。
でも、そんな余裕なんてないよっていう人の期待にこたえたのが、この時期の「新しい仏教」だ。「出家」なんてしなくても大丈夫と説いたんだ。
地理:現在では仏教を信仰する人は世界の約7%にとどまる。各地の民族の宗教と混じり合う傾向が強く、発祥の地であるインドでは、やがて伝統的な信仰とミックスされてヒンドゥー教の信仰に飲み込まれていくよ。
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◇紀元前後~200年のアジア 西アジア
歴史:西アジアでは、騎馬遊牧民が定住農耕民の世界にまで支配を広げ、西(北を上にして左)のローマと領土争いをしている(注:パルティア)。
また、この時代にはローマ支配下のパレスチナというところでキリスト教が生まれているね。
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●紀元前後~200年のアフリカ
歴史:エジプトはローマの支配下に入っていて、南のほうのエチオピア高原の国(注:アクスム王国)は季節風を利用した貿易ビジネスで稼いでいる。
どんな商品を取り扱っていたんですか?
地理:アラビア半島南部が原産の、めちゃめちゃいい香りのするお香(おこう)がヒット商品だ。乳香っていって、ユダヤ教やキリスト教の儀式で重宝され、インドも好んで輸入した。
当時の商人向けガイドブック(今でいえば「地球の歩き方 インド洋周辺編」)にもその旨が記載されている。
現在は紛争地帯になってしまっているイエメンは、その取扱いで繁栄し「幸福のアラビア」っていわれるよ。
現在のイエメンの首都サナアが平和だったころ
アラビア半島の南部は農業もできるから、エジプト方面とインドの中間地点にあってとっても繁栄したんだよ。
中央アフリカはどうですか?
歴史:バントゥー系の人たちはしだいにアフリカの東や南のほうに拡大しているよ。
地理:熱帯の草原エリア(注:サバナ)では、土地を焼く方式の農業やウシの牧畜がおこなわれている。
食料の大量生産はむずかしく、大きな国はあまり生まれなかった。
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●紀元前後~200年のヨーロッパ
歴史:ヨーロッパの地中海沿岸では、ローマという大きな国が広い範囲を支配しているよ。
地理:さっき紹介したように、この時期は温暖期(注:古代温暖期)にあたる。
それを追い風に、ローマは北のほうに拡大することができた。
ローマはどのくらい強い国だったんですか?
歴史:広さでいうと最大時には日本の10倍以上の面積にまで広がった。「ローマのおかげで戦争もなく平和な世の中になった」と、讃えられたほどだ。
でも、広くなればなるほど維持費はかかるし、平和になったらなったで大事な労働力である奴隷も得られなくなる。戦争で負けた敵が奴隷になることが多かったからね。
ローマの文化は現在のヨーロッパにも大きな影響を与えていますね。
歴史:そうだね。「ヨーロッパっぽい建築」をみてみると、たいていローマの影響を受けている。
「大英博物館」も意識的にローマの建築を再現したもの。Photo by Tamara Menzi on Unsplash
ローマの文化は“先輩”とされるギリシャを受け継ぎ、文系・理系・芸術にいたるまで多岐にわたって発展し、その後のヨーロッパにおける「教科書的文化」となっていく。
宗教はどんな感じですか?
歴史:ローマではさまざまな神様が大切にされ、皇帝も神様の一人とされていたよ。
一方で、「この世界をつくった神様はひとつ」とするユダヤ教という宗教も、ローマの国内では信じることが認められていた。ユダヤ教の人たちはローマの神々の儀式には参加しなかったけど、伝統的な宗教ということで一応みとめられていた
でも、ユダヤ教の中にはこんな意見を出した人がいた。
「ローマ人だって神様がつくった人間なんだから、神様はすべての人間のことを大切に考えているはずだ。そのことに気付くべきなんじゃないかな」
支配者のローマ人だって、同じ人間だ。敵味方関係なく愛し合おう。
この考え方はローマからも、ユダヤ教の多数派からもにらまれた。結局この考えを広めようとした人は十字架にかけられ、亡くなってしまったらしい。
でもその死後、「あの先生の言っていたことは、正しかったんじゃないか。見殺しにしてしまった僕たちが、こんどはこの考えを広めるべきだ」と弟子たちがローマに出向いて活動するようになった。
そのうちに、彼らの考えはユダヤ教とは別の考え方に発展していったんだ。
それが「キリスト教」ですね?
歴史:長い時間をかけて、しだいにユダヤ教から分離していったわけだ。はじめから「キリスト教」っていうガッチリした宗教があったとは思わないほうがいい。
でもローマでは次第に皇帝から目をつけられるようになり、大きな弾圧事件も起きた。
それにもめげずに、キリスト教のグループはローマ中に勢力を広げていくよ。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊