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"世界史のなかの"日本史のまとめ 第8話 日本中央部への稲作文化の広がり(前400年~前200年)

Q. 稲作文化はどのように広がっていったのだろうか? ②

―ちょっと日本列島外に目を向けてみよう。

 騎馬軍団を整備した新興国が、遊牧民と対抗しつつ東西方向に領土を広げようとしている。(注)1: マケドニアの王国。アレクサンドロスという大王に率いられ、アジアの海陸の貿易ルートをねらったのだ(下図・上)。 2: マウリヤ朝(下図・)。アレクサンドロスの進軍を阻止したのちに建国。 3: は分裂。多数の思想家が現れた(下図・)。遊牧民の軍事技術を導入した(しん)が領土を拡大した。

 この時代のユーラシア大陸では、遊牧民が馬を動力にして鉄器で武装するようになり、広範囲を武力でコントロールすることが可能となり、それに合わせて定住民の国も遊牧民の戦法を取り入れるようになっていったことが大きいね。

 国のスケールが大きくなるとともに、「生き方」「考え方」に関する複雑な思想も現れるようになる。

「複雑な思想」って何ですか?

―まず背景を考えてみよう。
 人を支配する組織が巨大化し、「人が人を支配する」システムが整備されていく。
 また、物の取引もさらに活発化し、新たに経済的に力をつける人々も出てくる。
 それにともなって、以前はなかったような案件をめぐる「争い」も増えていった。

従来のような小さな群れ、小さなコミュニティでは解決できないような問題が続出したわけですね。

―そうそう。

 群れが小さければ、「このあたりでは昔からこうやってきたんだ」っていう慣習を共有することが可能だ。
 でも群れが巨大化すればそれも通用しない。

 新たに「こういう取り決めにしませんか?」と、ルールを設定することも必要になっていく。


 なるほど。群れの論理が通用しないのであれば、それを超えて「すべての人間」に通用する「良いこと/悪いこと」は何なのか、考えるようになったと―。

―そう。
 もちろん、支配者の決めた理不尽なルールに対する「批判」も生まれるようになっていくよ。「昔のように、小さなコミュニティで暮らしていたころのほうがよかった」「よりよい社会をつくるにはどうすればいいか」と考える人も出てくる。

じゃあ当時の日本でもそのような動きは起きていたんでしょうか?

―あったかもしれないけど、文字による記録がないから詳細はわからない。

 それに日本の農業規模は、ユーラシア大陸でおこなわれていたほどではなかったから、この時代にはまだまだ集落の規模は小さかった。
 大きな集落(注:大規模環濠集落)はまだ現れていないから、人間社会に関する思想もそこまで複雑化していなかったのではないだろうか。


中国からの影響はありますか?

―人の移住はあったようだね。
 この時代には、周という王に従っている各地の有力者が、領域を広げようと戦争をするようになっていた時代。

 周という国は黄河の流域(中国北部)にあったわけだけど、長江の流域(中国南部)は「の中国」とは異なる伝統や文化を発達させてきたから、なかなか折り合いのつかない部分があったわけだ。

 そこで、各国は自分の国を強くするために有能な人材を雇うようになっていく。

 昔は周の王様に与えられた位(くらい)によって、えらい国がどの国かが決められていた。でもすでに周の王様の権威は衰えている。これからの時代は実力がすべてだ。「新しい時代をどう生きるべきか?」「どうすれば国は生き残れるのか?」

 儒学というグループを立ち上げた人は、こう言った。

 「周の時代を思い出そうではないか。あの頃は、周の王様が儀式をおこない、それによってちゃんとした秩序があった。礼儀をちゃんとすれば、人々の心も家も国もまとまるはずじゃ」


その考え、日本っぽいですね。

―のちのち日本に伝わり、様々な形で影響を受けていくからね。
 ちなみにやはり日本に大きな影響を与えることになる「仏教」は、この時代のインドで生まれている。

仏教の開祖が活動したインドの都市ブッダガヤ


で、結局中国はまとまったんですか?

―ううん。結局、周の王様は秩序を復活させることはできず、家来たちのコントロール不能なバトルロワイヤルがはじまっていく。この時代のことを指して「戦国時代」と呼んでいる。
 中国では最新のテクノロジーである鉄器の使用がさかんになり、日本に鉄器・青銅器がさかんに流入するようになっている。

 昔はこの時代の戦乱の影響から逃れた人が、日本に「初めて」稲作を伝えたんじゃないかと考えられていた。でも、今では稲作の導入はもっと昔のことだと言われているよ

ところで、弥生文化って、三重県や愛知県のあたりで拡大がストップしてましたよね?

そうだったね

若狭湾~琵琶湖~伊勢あたりが境界線となっているふとまにより)


で、東日本にはまだ色濃く縄文文化が残っていたんですよね。

―そうそう。
 稲作社会の文化は日本列島の中央部と日本海側を北上するように広まっていくけど、関東地方にはなかなか拡大していかないんだ。詳細については、まだまだわからないことも多いけどね。


当時の日本の状況について何か手がかりとなる情報はないんでしょうか?

―神話の中には、このころの日本の状況が反映されているんじゃないかと思うわれる記述もあるね。
 『古事記』には出雲(いずも)の勢力が「高天原」(たかまがはら)の勢力に服したというエピソードが収録されている。
 出雲(現在の島根県)には次の時代以降にも強い勢力が維持されている(出雲の人々の出自は遺伝的に縄文人にルーツがあるとも)ので、元ネタになっている可能性はある

 ただし神話というのは、のちの時代の権力者が「支配の都合がいいように」、古くからの伝説に自分たちの事情を重ねてストーリーを生み出すことが多い。どんな意図があったのか、解釈をしてみるのも面白いね。


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今回の「”世界史のなかの”日本史のまとめ」は以上です。
次回は前200年~紀元前後の日本を扱います(世界史のまとめ

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