センター試験「世界史B」のまとめ 第3回 前3500年〜前2000年
◆今なぜ、センター試験世界史B 30年の歴史を振り返るのか?
教科書に書いていないことを機械的に出題する悪い入試問題は近年減少してきました。関係者からの迅速なフィードバック、入試解答公表化の流れのほか、稲田義智さんの地道な啓発の影響も少なくないでしょう。
ましてやセンター試験となると、教科書に書いてあることからしか出題することができません。
限られた用語から出題するためにさまざまな工夫がなされています。
最近では、その用語が「どのような意味を持つのか」「どうして重要なのか」わかっていないとできない問題も少しずつ取り入れられるようになってきました。
そもそも、教科書の扱う内容は、「暗記すべきだから教科書に載っている」のではなく、「大切だから教科書に載っている」のです。
もちろん、「どうすれば暗記できるか?」を追究する戦術も必要でしょう。しかし「どうして大切なのか?」を問う戦略なき戦術は、「せっかく覚えたけど、意味がわからない」という寂しい荒野のようなものです。
「受験に出るから大切」なのではなく、「大切だから受験に出る」のです。もっと言えば、「何が大切か」ということも、時代の変化や見る人の違いによって変化するものです。
ーというわけで、そういった歴史の見極めに注目しつつ、センター試験を通して考えていこうと思います。
標準的な出題傾向を知るために、試行テストを含めた本試験の全出題データを基にしました(⇒世界史のまとめより)。
1. 土器はいつから使われ始めたか?
1-1. 出題例
前3000年紀になると、黄河中・下流域を中心に、黒色磨研土器(黒陶【セH24唐三彩のひっかけ】(下図は磨光压花纹黑陶鼎))を特徴とする竜山文化(りゅうざん、ロンシャン)が栄えた。
黄河流域の文化、のちのち王様の治める国へと発展していくことになる。
1-2. なんでそんなこと聞くの?
土器の登場は、農業がはじまったことを示すサインのひとつである。
農業がはじまると人口が増え、人間の「群れ」は「定住集落」へと発展していくことになる。
農業って人間しかやらないんですか?
ーほかにも農業する動物はいるよ。昆虫だ。
昆虫?
ーハキリアリというアリだ。葉っぱをホダ木にして、ある種のキノコを育てるのだ。
なるほど。キノコ畑ですね。
ーでも人間がアリと異なるのは、栽培植物のバリエーションの豊かさだ。
最近では特定の品目を食べないようにする健康法も話題だけど、それでも実にたくさんの品目を食べていることになる。
狩猟採集生活をしていたころに比べ、農業をはじめると人間はタンパク質よりも炭水化物を多く摂取するようになった。
穀物はそのまま食べるよりも、加熱させて化学変化を起こしたほうが、消化吸収しやすく、おいしい。
そのために必要なのが土器というわけですね。
ーそう。土器は割れやすいから、運びにくい。すなわち「定住生活」のサインでもある。また、煮炊きが可能になったことで感染症対策が可能となったほか、貯蔵が可能となったことで集落内部の経済格差にもつながったんだ。
1-3. ポイント
「仰韶文化は彩陶」「龍山文化は黒陶」といった細かな知識は本試験では問われないし、丸暗記してもあまり意味がない。土器が普及するのは農業が始まってからと考えておけばいい。
2. 文明はどこで生まれたか?
2-1. 出題例
前2500年~前1700年の間に、インド亜大陸の北西部のインダス川流域では、インダス文明【セH17ヴァルナ制は発展していない】が発展する。
ーインドのお隣、現在のパキスタンからインド西部にかけて栄えたインダス文明はよく出題されるよ。
2-2. どうしてそんなこと聞くの?
ーこの時期の「文明」の典型例だからだ。
農業生産が各地で充実すると人口が増え、周辺の集落との物の交換(=交易)がスタートする。
所変われば品変わるというわけで、こちらになくて困っている物でも、向こうの集落にはあるかもしれない。
では、ここで問題。
交易は普通、自分たちの集落の中でおこなわれると思う? それとも外でおこなわれると思う?
中ですか? 運ぶのが面倒ですし。
ーいやいや、普通は外でおこなうんだ。
どうして?
ー危険だからだよ。得体の知れない客人を自分の集落に招き入れるのは勇気がいる。言葉も通じないかもしれない。
そこで交易の拠点は、複数の集落の落ち合いやすいところ、さらに多くの人が集まっても養うことのできる食料が確保できるところにもうけられることが多いんだ。
交易がさかんになり、人の往来がさかんになると、そこでものづくりにいそしむ職人が住みつくようにもなる。
拠点の規模が大きくなれば、周辺から食料を運び込む必要も出てくるだろう。
また、さまざまなバックグラウンドをもつ人がごった返す交易拠点では、自分の集落の伝統や文化は通用しない。
異文化を理解しつつ、交易を安全に成功させる必要がある。
そこで求められたのが、多様性の高い交易拠点を支配する支配者だ。
支配者といっても、ただ単に「力が強い人」というのでは、みんな納得しない。
誰もが「すごい」と思うようなテクノロジーが必要だ。
その代表例が「時間を読み解く力」(注:暦法)と「この世を説明する力」(注:宗教)だったんだ。
こういう人たちは、「災害」「病」「死」といった目には見えない「不安要素」を「形」にして、都市から追い払うイベントをおこなった。みんなでイベントに参加すると一体感も高まるしね。
ピンと来ません…。
ー大勢の人が集まって同じことをすると、自然と気分が高まるでしょ。
スポーツの応援とか、コンサートとか。人の数には、人の心を揺さぶる力があるんだ。
今よりもずっと自然の猛威を受けやすかった当時のことだ。
人間の「弱さ」や「もろさ」は現代人よりもハッキリと感じていたはずだ。
そんなとき、「不安感」や「安心感」を利用して多くの人の心を納得させ、さらに正確なカレンダーによって天体・気象現象をもとに農業のスケジュールを予測することのできた支配者に、人々の支持が集まったというわけだ。
* * *
さて、インダス文明に戻ろう。
この文明は、複数の集落が運河や海路で結び付けられた大規模な交易拠点によって成り立っていたことがわかっている。
ひと昔前に考えられていたように、強大な王様が人々を奴隷のようにこき使っていたという説は否定されているんだ。
ほかに現在のイラクで栄えたメソポタミア文明も、東西の交易ネットワークの拠点として栄えたところとして有名だ。
神官の力が強いが、彼らの支持を取り付けた軍事的なリーダーが「血のつながりのない人たちを支配下に置く強い支配者」(=王)となって都市を支配したことが特徴である。
王は「自分が支配しているのは、神のご意思にもとづき、敵から都市を守るため」と宣伝し、支配下に置いた人々から物を徴収してそれを部下たちに分配した。
また、私腹を肥やすだけでなく、都市環境の整備のために一部を使ったりするようになると、そういう都市は「国」と見なされ、「都市国家」と呼ばれるようになる。
2-3. ポイント
2-3-1. インダス文明
2つの代表的な遺跡が問われる。
インダス川流域の上流部にある都市遺跡ハラッパー【セH2,セH5ラスコーとのひっかけ、セH30地図から場所を問う(下図は世界の歴史まっぷより)】と下流域のモエンジョ=ダーロ(モヘンジョ=ダロ) 【セH17,セH20ガンジス流域ではない】。
いずれも船や牛による交通によって、各地の集落と結びついていた。
交易がさかんになれば文字が使われるようになる。
未解読【セH15,セH24解読されていない】のインダス文字【セH15,セH21図版】が四角形の印章に刻まれているものがメソポタミアでも発見されている。
この文字に限らず、解読されているかされていないかを執拗に問うのもセンター試験のお家芸だ。
解読されていないものはほかに、ギリシアの線文字Aがある。かつては未解読とされることもあったマヤ文字や西夏文字は解読がかなり進んでいるから、”未解読”として出題対象となるのは、ギリシアの線文字Aとインダス文字くらいということになる。
・さらに一歩進んで、モエンジョ=ダーロは整然とした計画都市で、日干しレンガが積まれた建造物には下水の側溝が整備され、道路も舗装され、都市の中心には神殿がある。深さ2.5メートルの沐浴場【セH17】があるかが問われたことがある。
モエンジョ=ダーロ
2-3-2. メソポタミア文明
メソポタミア文明の特徴をおさえる
・ここでは、神をまつる神官の力も強かったが、「血のつながりのない人たちを支配下に置く軍事的な支配者」(=王)が神官たちの支持を得ながら力を持ったことが特徴だ。
当時の史料からは、「シュメールの都市支配者や王に課せられた義務は、外からの攻撃に対する防衛と、支配領域内の豊穣と平安を確たるものにすること」にあったことがわかる。
・都市の内部には、ジッグラト(聖塔) と呼ばれる巨大な神殿があった。コレは【平成30年度の追試験】に登場したくらいで、ダイレクトに問われた例は意外と少ない。
・また、【平成12年度の本試験】で「シュメール人の都市国家では、神官が政治的にも大きな力を持っていた」かどうかを問う問題があった。正解は○ということだが、宗教と政治が不分明な当時の状況を考えると、選択に迷う問題だったと言わざるを得ない。
シュメール人の代表的な都市はウル
・具体的に、都市の名前(ウル)【セH2 シュメール人の都市か問う、セH16シュメール人が建設したか問う】が問われ、さらにそれがシュメール人によって建設されたかも聞かれている。
地図上の位置も問われるから、知っておいたほうがいいだろう(注:下図は世界の歴史まっぷより。この地図の海岸線は現在のもの)。
(注)メソポタミア南部は、現在よりももっと海岸線が陸のほうに近かった。長い年月をかけて土砂が河口に降り積もり、しだいに海岸線が海の方向に伸びていったのだ。
河口付近には湿地が広がっていて、「砂漠」のイメージとは打って変わって葦が生い茂る「水の世界」だ。
次の時代になると”湿地帯の勢力”は独立して、「海の国」(バビロン第二王朝)を建て、内陸の都市国家と対立する。
海を舞台とする交易ネットワークをめぐっての争いだったのだろう。
メソポタミアでは楔形文字が粘土板に刻まれた
メソポタミア文明にも文字はあった。人々から集めた物の管理のためにも必要だった。シュメール人が粘土板(クレイ=タブレット)【セH8,H15】に楔形(くさびがた)文字【共通一次 平1:甲骨文字,満洲文字,西夏文字との写真判別、共通一次 平1シュメール人の文字だったか問う】を用いたかが出題されている。
右から左に向けて書いていくのは、この地域で現在もつかわれているアラビア語と同じだ。
その文字によって「世界の成り立ち」を説明する文学作品も書かれた。ウルクで見つかった『ギルガメシュ叙事詩』【セH30】だ。
シュメール人は六十進法を用いたが、ゼロは発見していない
また、六十進法【セH2 10進法ではない】で数値を記録したかも問われている。なお、ゼロの概念を発見したのはシュメール人ではなく、インド人【セH2 シュメール人はゼロの観念を発見していない】。
シュメール人は、セム語派の民族に滅ぼされた
シュメール人の都市国家は、前24世紀に〈サルゴン〉(位前2334~前2279) を王とするアフロ=アジア語族セム語派【セH5インド=ヨーロッパ語族ではない、セH29インド=ヨーロッパ語系ではない】のアッカド人によって滅ぼされることになる。
シュメール人がどのような民族系統であったかはわかっていないが、その後、彼らアッカド人をはじめとするセム語派という言葉の種類を話す民族が一気に勢力を伸ばすことになる。
なお、「アッカド人」という民族名が問われたことはない。
2-3-3. エジプト文明
エジプトはナイルのたまもの
エジプトの文明は、ナイル川が定期的にはん濫することによってもたらされる栄養分たっぷりの土によって成り立っていた。
これを表現した「エジプトはナイルのたまもの」という言葉は、後の時代のギリシア人の歴史家〈ヘロドトス〉(前485?~前420?)によるものだが、センター試験本試験での出題はない【共通一次 平1 トゥキディデスとのひっかけ(主著『ペルシア戦争史』を書いたのはトゥキディデス)】
象形文字であるヒエログリフが使われた
この時期にはいくつかの集落が合わさり、ナイル川の下流に都市が建設された。この都市名(メンフィス)はさんざん覚え込ませがちだが、本試験での出題例は意外と少ない。
すでに象形文字【共通一次 平1】であるヒエログリフ(神聖文字) 】【共通一次 平1】が用いられ、ヒエログリフは碑文や墓などの岩石【共通一次 平1】に刻まれたほか、パピルス紙に記録された【共通一次 平1:「主に碑文や墓に刻まれた」か問う】。
象形文字というのは、表そうとする物を「それを表す文字」で対応させた文字のことだが、実際には「その物」だけでなく「音」をあらわす表音文字としての使用例もあるから、象形文字と表音文字との境界線は限りなくグレーだ……というわけで最近ではめっきり出題されなくなった共通一次の遺物である。
エジプトの王はファラオ
・エジプト【セH16ヒッタイトではない】では王はファラオとよばれた。
エジプトでは測地術・太陽暦が発達した
洪水後に土地を区画したり大規模な建造物を建てるため測地術(測量) 【セH2フェニキア人の考案ではない】が発達した。また暦として正確な太陽暦【セH2 ユリウス暦のもとになったか問う】が用いられていた。
古王国にピラミッドが建てられた
この時期の王朝は、のちのち「古王国」【セH2都はテーベではない】として分類された。巨大なピラミッド(王墓と考えられる)が建設された時期にあたる。カイロ近郊のギザにある三大ピラミッド(〈クフ〉、〈カフラー〉、〈メンカウラー〉のピラミッド) 【セH20 セレウコス朝の遺跡ではない】が有名だ。
先ほどの「ヒッタイトの王はファラオ」というひっかけのように、この時期は同じ時期の無関係な国と混ぜるだけの単純なひっかけが多い。用語が限られているのでそれくらいしか出題する方法がないのだ。
(注)なお、都については「決められた都」がただひとつ存在するというのは幻想で、そんなことはない。複数解答が指摘されると問題として成り立たなくなるので、ほとんど出題されなくなった。受験生は世界史の先生から暗記しろと言われるから頑張って覚えるのだが、センター試験に関しては徒労に終わるのだ。エジプト観光するとなればそのときに『地球の歩き方』を読めば良いし、遺跡に興味があるなら随時参照すれば済むことなのに。その点センター試験はよくわかっている。
センター試験が好きなのは太陽神ラー
古王国では太陽神ラー【セH11インカ帝国で信仰されていない、セH21時代を問う】への信仰もさかんだった。これをインカ帝国の王(=太陽の子)とからめるのがやめられない止まらないようだ。
古王国の崩壊後、テーベの勢力がエジプトをまとめる
・結果的に上エジプトのテーベ(ナイル中流域) 【セH2 古王国の首都ではない、セH30ニネヴェとのひっかけ】の勢力が上下エジプトを再統一する。これをのちに「中王国」と呼ぶ。
先ほどの(注)にあるように、次の中王国の首都がテーベかどうかは問われなくなった。
代わりに同時代の他のエリアの都市を持ってきて判別できるか問うことが多い(クノッソス、バビロン、クテシフォンなどなど)。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊