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9.1.7 ポーランドの分割 世界史の教科書を最初から最後まで

ポーランドの強国化と衰退

14世紀後半(今から650年ほど前)のポーランド王国は、バルト海沿岸のバルト系のリトアニア人の王国と同盟し、バルト海から黒海にわたる大国をつくっていた。

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リトアニアのナウセダ大統領


現在の、リトアニア、

ポーランド、

ロシア、ベラルーシ、

ウクライナ

にわたる広いエリアを、一人の王が支配する形だったのだ。




しかし16世紀後半になると、国王を代々継いでいたヤゲウォ家が断絶。
有力な貴族たちによってポーランド国王は、貴族らの選挙で選ばれることになった。
これを「選挙王制」という。
王様が選挙で選ばれるなんて、なんとも頼りないよね(笑)

国内の貴族は大所領を持ち、農民たちを働かせて輸出向けの穀物や商品作物の生産にいそしむ「シュラフタ」という階級。

ポーランド国王はリトアニアの君主である大公も兼ねていたけれど、1569年に両国が“一体化”して「ポーランド=リトアニア」となって以来、有力なシュラフタたちの話し合いによって、国が運営されるようになっていた(この時期のポーランド=リトアニアは、「ポーランド=リトアニア共和国」とも呼ばれる)。

現在でいうと、「ポーランド」「リトアニア」に「ウクライナ」を足したエリアにまたがる、当時のヨーロッパでいちばん大きな国だったんだよ。





現在のリトアニアでは、この“一体化” は「ポーランドによってリトアニアが吸収されてしまった」というネガティブな見方が多い。



でも、当時のリトアニアの支配層はといえば、すすんでポーランド語やポーランド文化、ローマ=カトリックをせっせと受けいれていった。彼らにとってポーランド文化は箔(はく)がつくものだったんだね。



ポーランド=リトアニアの貴族階層は「だれを王様にするか」をめぐってしばしば争った。
国王の権力をしばるっていう意味では、イングランド王国の立憲制のようではあるものの、

国王の権力が “なさすぎる” のも、逆に問題だった。
そこに周辺のスウェーデンやロシア、フランスなどが介入して、何度も大きな戦争が起きてしまう。1648年にはウクライナ地方でポーランド=リトアニア支配に抵抗するコサックの反乱が起き、

結果的にウクライナ地方は、ロシア帝国の事実上の勢力下に置かれてしまった。


周辺の大国のロシア、スウェーデン、プロイセン、オーストリアに囲まれたポーランド=リトアニアにとってみれば、ポーランド=リトアニア国内がバラバラの状態のほうが都合がよかったからね。



大航海時代以降、「新大陸」という新たな土地を獲得していった西ヨーロッパ諸国に比べ、このように東ヨーロッパ諸国は “限られた土地” をめぐる争いに消耗していくこととなったわけだ。



ポーランドの分割と消滅

1772年にドイツ人のプロイセン王国は、同じくドイツ人でハプスブルク家のオーストリア大公国を誘い、ロシア帝国のエカチェリーナ2世(在位1762〜1796年)に対して「ポーランドを3つの国で分割しちゃいましょう」と提案。
それぞれの国境に近いポーランドの領土を奪ってしまった。


これに反発する形でポーランドでは、憲法を制定するなど、ようやく国の近代化がすすめられた。
しかし、時すでに遅し。

西ヨーロッパでフランス革命がおきて、ヨーロッパ諸国の目がフランスに釘付けになっている最中、1793年にプロイセン王国はロシア帝国とともに第二回の分割を実行。

ポーランドでは、アメリカ独立革命(1775〜1783年)に参加した経験ももつコシチュシコが義勇軍を率いて抵抗するも失敗。

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第二回に参加しなかったオーストリアも加えて第三回分割が実行に移され、1795年にポーランドは「消滅」した(ポーランド分割)。

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例え話じゃない。

ほんとうに「消滅」だ。


現在の「ポーランド」の大部分はプロイセンの領土となり、リトアニア、ラトヴィア、ベラルーシ、ウクライナの部分はロシアの領土となった。

また、ポーランド南部からハンガリーの北部、ウクライナの西部にかけての領土はオーストリアの領土に。

各国ともに、領域内にさまざまな言葉でしゃべる民族を抱え込むこととなったわけだ。


一般に、ポーランド語を話す人々は元・支配層であり、農民たちの多くは現地の言葉を話していた(たとえば現在のウクライナがあるエリアではウクライナ語)。ヨーロッパ各地で「ひとつの民族は、ひとつの国を持つべきだ」という考え方が普及していくと、しだいに「リトアニア人」「ポーランド人」「ウクライナ人」の、ロシア、プロイセン、オーストリアに対する “自分たち意識” も芽生えるようになっていく。



しかし、「ポーランド」と「リトアニア」と「ウクライナ」として独立を果たすには、第一次世界大戦の終結を待たなければならない。



このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊