5.3.5 封建社会の衰退 世界史の教科書を最初から最後まで
1000~1300年にかけて、農業生産アップ・人口増・対外拡大・商業の復活を経験した西ヨーロッパ。
そのような変化にともない、以下のような「封建社会」の”初期設定”が崩れていく。
①経済は自給自足が中心で、荘園の中では農奴が黙って領主のいうことを聞いている
②ローマ=カトリック教会が、国を超えてヨーロッパ全土に権威を持つ
③国王の権力は弱く、「領主」が各地の狭いエリアをバラバラに支配する
上記の①「経済は自給自足が中心で、荘園の中では農奴が黙って領主のいうことを聞いている」が崩れた原因としては、「商業の復活」によって貨幣をつかった取引が増えたことが挙げられる。
領内で取れた農産物・畜産物・手工業品を現物で徴収していた領主も、「お金がなければ不便だ」ということで、農奴たちからお金を徴収しようとした。
そのため、領主は自分の直営地で農奴に働かせる義務(賦役(ふえき))をやめにした。
いやいや働かせたって効率も悪いしね。
その代わり、農奴たちに自分の直営地をレンタルすることにした。農奴たちは、生産物を市場で売ってお金に換え、そのお金を領主に土地レンタル代(貨幣地代)としておさめるわけだ。
となれば、農奴にとっても、工夫次第で生産量を増やし、現金収入アップも見込めるかもしれないよね。
しかし、14世紀に入ると危機がやって来た。
中世温暖期と呼ばれる温和な気候が急転、天候不順や災害の頻発にともない、飢え死にする農奴が多発したのだ。
その後1348年頃にヨーロッパ全土を黒死病(ペスト)という正体不明のパンデミックが襲ったことがとどめとなる。
なんと当時の西ヨーロッパの人口の約3分の1が犠牲となった。
金持ちだろうが聖職者だろうが、黒死病にかかれば容赦なく死んでしまう。
この出来事は、当時の人々に「死は誰に対しても平等にやって来る」ことを実感させ、身分差別を当たり前のものとみなす中世の価値観を大きく揺さぶるような出来事でもあったんだ。
なお、こうしたとめどない不安に駆られたヨーロッパでは「病気が流行ったのはユダヤ人が井戸に毒を入れたせいだ」という噂が大流行。
ユダヤ人以外のマイノリティーもしばしば攻撃の対象になった。
社会全体が不安になると、社会の内部に”敵”を探して攻撃するというのは、時代や地域に関係なく見られる人間の”悪い癖”でもあるね。
飢えや病は、こうした社会内部の不寛容(ふかんよう)だけでなく、戦争をも引き起こした。
こうした負の連鎖によってさらに人口は減少。
このことが実は農奴たちの待遇に影響を与えることとなった。
労働力であった農奴の人口も減少したことで、生き残った農奴たちの価値は逆に上昇していくことになったのだ。
とくに西ヨーロッパにおける農奴の待遇は改善されていき、自分でお金を蓄えていった農奴は16世紀までの間に晴れて自由な身分となる者もしだいに現れるようになっていくよ。
その傾向がもっともはっきりしていたのはイングランド王国だ。
土地のレンタル代のお金による支払い(貨幣地代)が早くから普及し、領主から自分の土地を買い取ることのできる農民が現れたのだ。彼らのことをヨーマン(独立自営農民)というよ。
しかし、農奴が独立してしまい経済的に困窮する領主の中には、農奴に対する待遇を再び強くしようとする者も現れるようになった。
それに対する農奴たちの抵抗運動が、1358年のジャックリーの乱(フランス)や、
1381年のワット=タイラーの乱(イングランド)だ。
農奴が領主に集団で反乱を起こすなんて、封建時代真っ盛りの頃には到底考えられないこと。
教会の聖職者の中にも、ワット=タイラーの乱のときに農奴側に寄り添ったジョン=ボール(?~1381年)が「アダムが耕しイヴが(糸)を紡いだ(大昔の)とき、だれが貴族であったか!(いや、だれも貴族ではなかった。みんな平等だった)」と演説したように、身分別の差別をよしとする考えに批判的な人たちも現れている。
もはや、〈ローマ=カトリック教会が、国を超えてヨーロッパ全土に権威を持つ〉というのは昔の話。
『聖書』の解釈を独自におこない、教会中心の社会のしくみに反抗的な聖職者も現れるようになっていたということだ。
商業取引が活発になってくると、③のように〈国王の権力は弱く、「領主」が各地の狭いエリアをバラバラに支配する〉状況にも変化が生じる。
広い地域を統一的にちゃんと支配する国王を、都市の商人・親方(都市民のことを「市民」(ブルジョワジー)という)たちが望んだのだ。
だって商品や売上金を輸送しようというときに、領主のエリアごとに税金をとられちゃたまらないし、商売のルールが違うのも面倒でしょ。
中央集権的な政治権力がいてくれたほうが、ビジネスは安定するからね。
国王にとっても、諸侯の力をおさえるためには、大商人の財力はのどから手が出るほど欲しいもの。
大商人にとっても、権力者と結んでいたほうが、ビジネスを自分に都合よく運ばせるには都合が良いし、名誉欲も満たせる。
たとえば、フランスのシャルル7世と強いコネを築いたジャック=クール(1395〜1456年)という大商人が有名だ。
両者の利害が一致して、しだいに諸侯や騎士たちは、本当の意味で国王の”家来”となっていくようになった。
火砲の導入にともない、鎧をまとって馬にまたがる騎兵の必要性が抵抗したことも、騎士の没落に輪をかけた。
彼らは宮廷につかえる廷臣(ていしん)として、与えられた領地において農奴から土地代を取り立てる地主としての役目を果たすようになっていく。
とはいえ国内のすべての武装勢力が国王のコントロール下に置かれるまでには、まだまだ時間がかかった。
都市や、高級貴族、教会など、さまざまなグループの利害を聞かないことには、国内をまとめることは不可能だからね。
こうしたグループそのものを解体するには、「市民革命」の時代を待たねばならないよ。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊