13.2.4 列強の二極分化 世界史の教科書を最初から最後まで
1890年(今から130年ほど前)、ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世は「他のヨーロッパ諸国に気兼ねなく行動をしていく」決意で、ロシアとの安全を保障する条約の更新を見送ることにした。
これを警戒したロシアは、「工業化の元手となる資本を得よう」とフランス王国に接近。
1891年に、ロシア=フランス同盟(露仏同盟(ろふつどうめい))の交渉に合意した。
長い協議を経て1894年に正式に調印、ドイツ・オーストリア・イタリアがフランスまたはロシアを攻撃してきた場合、共同して防衛にあたる義務が明記された。
これによってドイツ帝国は、フランスとロシアという2つの敵国に “サンドイッチ”される形に。
そんなことも構わずドイツは、”突破口“を求めてインド洋への進出を急いだ。
インド洋に進出するためには、オスマン帝国の領域を通過する必要がある。
そこでオスマン帝国の皇帝(スルタン)に近づき、首都ベルリンから、イスタンブル(古い名称はビザンティウム)、そしてイラクのバグダードをリンクさせ、一気にインド洋への進出をねらう作戦に出た。
インド洋にドイツの軍艦が浮かぶ時代が来れば、インドを支配するイギリスにとっては致命的だ。
日本では、ベルリン、ビザンティウム、バグダードに共通する頭文字「B」をとって、「3B政策」と呼ぶことが多い。
一方、インド洋を取り囲むように、インドのカルカッタ(C)、エジプトのカイロ(C)、南アフリカのケープタウン(C)の”3つのC“を結ぶ「三角地帯」を”イギリスの海“にしようとしたイギリスの政策を、「3C政策」という。
これを食い止めようと、イギリスとドイツの間では、「できるだけ大きな軍艦を出来る限りたくさんつくろうとする競争」(建艦競争(けんかんきょうそう))が勃発。
従来の2倍の戦力をもつイギリスの恐るべき「ドレッドノート」
睨み合うヴィクトリア女王とヴィルヘルム皇帝の1898年の風刺画(一部切取り)
圧倒的な経済力と海軍力を背景に、ナポレオン戦争後にどの国とも同盟を結ぶことがなく「光栄ある”ぼっち“」(光栄ある孤立)の立場をとっていたイギリスは、ロシアの脅威に備えるために、なんと日本に接近。
明治維新以来ヨーロッパをモデルに近代化をすすめていた日本をサポートすることで、東アジアにロシア帝国が南下するのを防ごうとしたのだ。
これを日英同盟(1902年)という。
しかしその後、東アジアに”保険“をかけた上で、イギリスは1904年にフランスとの間に英仏協商(えいふつきょうしょう)を結ぶと、フランスの同盟相手であるロシアとの距離感は縮まることに。
やがて、日露戦争に負けたロシア帝国はが東アジアから手を引いてバルカン半島に進出。
ドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー帝国と、ロシア帝国との対立が激化すると、イギリスは「ロシアよりも、ドイツの拡大のほうが心配だ」と判断。
一方のロシア帝国の支配層も、「バルカン半島でドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国と対抗するためには、イギリスの力が必要だ」と見た。
こうして1907年に、中央アジアやインドをめぐる対立は一旦置いといて、”打倒ドイツ“の下に英露協商(えいろきょうしょう)ができたのだ。
この取り決めでは、イランでのイギリスとロシアの勢力範囲が決められたほか、アフガニスタンはイギリスの勢力エリア、チベットには中国(清)の主権を認めるという内容となった。
イギリス、フランス、ロシアは、ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国を”共通の敵“とみなし、国内だけでなくその植民地や勢力下に置いた地域(勢力圏)を死守しようとした。
この3国のグループを三国協商ともいうよ。
こうしたドイツとオーストリア=ハンガリー帝国の”封じ込め“を受け、ドイツとオーストリア=ハンガリー帝国との間に1882年に三国同盟を結んでいたイタリア王国の支配層は、不安に駆られる。
そこに接近したフランスは、「イギリス=フランス=ロシア サイドについてくれれば、「未回収のイタリア」(王国の領土外にあったイタリア系住民のエリア)がイタリアに戻るかもしれないよ」とイタリアを誘惑。オーストリア=ハンガリー帝国から「未回収のイタリア」を取り戻そうとしたイタリア王国の支配層は、しだいに裏でフランスに接近していくこととなった。
ひそかに三国同盟を抜けたイタリア王国。「三国」っていっても、その実態はドイツとオーストリアの同盟にすぎなくなっていたわけなんだ。
一方、ドイツ帝国の支配層は、唯一の同盟国であるオーストリア=ハンガリー王国との関係を強化。
こうしてイギリスを中心とする三国協商と、ドイツを中心とする三国同盟(イタリアは実質的に抜けている)のツートップのもとに、ヨーロッパが”対立“する中で、両方の陣営は「相手グループよりもよりたくさんの武器と兵士を備えておこう」と、1910年代にせっせと軍備を拡大していくこととなった。
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