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世界史の教科書を最初から最後まで 1.3.3 内乱の一世紀

ポエニ戦争後のローマ社会の激変をなんとかしようと、改革に立ちあがった兄弟がいる。

グラックス兄弟だ。

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兄は前133年、弟は前123・122年に相次いで護民官という、平民を守るための役職に抜擢。
大土地所有に制限をかけようとしたリキニウス・セクスティウス法を復活させようとこころみた。

しかし、大地主である元老院議員の抵抗により、兄は殺され、弟は自殺してしまう。

そんな状態じゃ、自由に意見を言うことなんてできなくなって当然だ。

その後、平民側に立つ政治家と、元老院議員側に立つ政治家は、それぞれ”組員”を抱え、私的な政治グループを形成。
言論ではなく、暴力による抗争に突入していくことになる。


平民側の”組長”はマリウスという将軍(Sexy Zoneじゃないよ)。マリウス派は「平民派」(ポプラレス)という”組”を従えた。

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対する、元老院側の”組長”はスラという将軍。スラ””組長””は「閥族派」(オプティマテス)を従えた。

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それぞれの”組”には”プライベートな兵”いて、ローマのためではなく親分のために戦った。
これじゃあローマという国は成り立つわけもない。

それをチャンスと見て、ローマに従属していた各地の都市(同盟市)が一致団結。
ローマと対等な市民権を求め、反乱を起こした。
同盟市戦争(前91~前88年)だ。

また、剣闘士スパルタクスによる大反乱が起きたのもこの時期だ。で
剣闘士とは、「人vs人」「人vs動物」の決闘イベントで働かされた奴隷のこと。死ぬまで戦わされることも少なくなかった。

奴隷による大反乱は、ローマの人々に大きな衝撃を与えたよ。


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こうした混乱を収めようとしたのが、スラの後継者として「平民派」を倒した将軍ポンペイウスだ。

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彼は地中海の海賊を退治しただけでなく、黒海沿岸で強大な国家を建設していたポントス王国を滅ぼした。
さらにシリアにも遠征してアレクサンドロス大王の後継国家であったセレウコス朝を滅亡させる。


当時、イェルサレムを中心に独立を保っていたユダヤ人の王国(ハスモン朝)も、ポンペイウスによってローマの支配下に置かれている。


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このようにポンペイウスは、圧倒的な功績を短期間で残し、一気に大物に上り詰めた。

でも元老院は、そんなポンペイウスの権力を警戒。

そんな状況下で、1人で目立つことをしたら「出る杭は打たれる」になってしまう。そこで「一人で政治はできない」と判断した彼は、前60年(今から2080年ほど前)に、「平民派」のカエサルと、スラ派の大金持ちクラッススとの間で、”その場しのぎ”的な個人的な同盟を結んだ。これをのちに「第1回三頭同盟」とよぶよ。

しかし、別々の思惑をもつ3人の同盟が長続きするわけもない。案の定、3人のバランスは崩壊。

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そのきっかけとなったのが、カエサルの大活躍だ。
宿願だった執政官に就任したカエサルは、現在のフランスに相当するガリアに遠征。

ケルト系の先住民らを従えて広大な領土を手に入れたことを、ポンペイウスが警戒したのだ。



カエサルは平民を味方に付け、ポンペイウスを倒すと、前46年にローマ全土の平定に成功。
独裁官(ディクタトル)に就任し、絶大な人気を得たのだ。

でも、平民受けをねらう彼のふるまいは元老院にとっては、ローマの伝統を壊す脅威と映った。
元老院議員にとって、ローマとはあくまで「元老院と、元老院の指導する民衆」によって成り立つもの。
王になる勢いをみせたカエサルを野放しにしておけば、「共和政」の伝統はこわれてしまう。
そこで元老院議員の共和派であるブルートゥスらが主導して、カエサルを暗殺。

こうしたカエサルによる独裁は前44年に幕を閉じた。


しかし、カエサルの部下は黙ってはいなかった。
彼の有力な部下であったアントニウスレピドゥス、そしてカエサルの養子であったオクタウィアヌスが、元老院の権力奪還を試みて、同盟をつくった(第2回三頭政治)。
しかし、属州の利権の配分をめぐり、早々にアントニウスとオクタウィアヌスが対立する。

アントニウスは、アレクサンドロス大王の後継国家であるエジプトのプトレマイオス朝の女王クレオパトラに接近。

クレオパトラはカエサルの愛人であったことでも有名だ。エジプト王国存続のため、そして王国内部の勢力争いを乗り切ろうと必死だったのだ。


しかし、アントニウスはオクタウィアヌスによって前31年のアクティウムの海戦で敗れ、前30年にプトレマイオス朝も滅んでしまう。

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うして、事実上オクタウィアヌスただ一人によって、ローマ全土が平定されることとなったのだ。



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