13.2.2 太平洋諸地域の分割 世界史の教科書を最初から最後まで
ヨーロッパの大国の進出は、太平洋エリア(オセアニア)にもおよんだ。
はじめに太平洋にやってきたのはスペインやポルトガルだったけれど、その後ネーデルラント連邦共和国(オランダ)が探検をし、18世紀になるとイギリスが、19世紀になるとフランス、ドイツ、アメリカ合衆国続いた。
コアラで有名なオーストラリアでは、5〜6万年前に人類が移住して以来、狩猟・採集生活(一部ではウナギの養殖なども)を中心に営み、質素ではあるけれども豊かな文化を送るアボリジニー(アボリジナル)の人々が生活していた。
しかし18世紀後半にイギリス領になると、イギリスから罪人を送る流刑(るけい)植民地とされたんだ。
しかしその後に自分の意思で移住する自由移民も加わり、19世紀中期に金の鉱山が見つかると、一攫千金(いっかくせんきん)を夢見て「ゴールド=ラッシュ」が起きて急速に発展していった。
そんなオーストラリアを中心に、イギリスはニュージーランド、ボルネオ島の北部、
ニューギニア島の一部も領有。
その中でオーストラリアでは先住民であるアボリジニーが住処を奪われていき、
ニュージーランドではポリネシア系の先住民 マオリ人の抵抗が武力で鎮圧されていった。
オーストラリアとニュージーランドの抱える“負の歴史”だ。
ドイツとアメリカの動き
遅れてやってきたのはドイツ帝国とアメリカ合衆国。
ドイツは1880年代以降に、赤道よりも南の「メラネシア」という地域(ビスマルク諸島)や、赤道よりも北の「ミクロネシア」という地域(カロリン諸島、マリアナ諸島、マーシャル諸島、パラオ)を獲得。
アメリカ合衆国は1898年にスペインと戦争し、スペインからフィリピンとグアムを獲得。
また同じ年1898年にはハワイ王国も併合。カメハメハ朝最後の女王リリウオカラニはクーデタにより退位することとなった。
さらに南太平洋の広い範囲に散らばる島々(メラネシアやポリネシア)も、20世紀はじめまでには続々とイギリス、フランス、アメリカ合衆国によって分割。
あっという間に太平洋エリアも、ヨーロッパ・アメリカで工業化を達成した国々によって切り分けられてしまったんだ。
これにより太平洋地域では、以前からヨーロッパ人の布教活動によって進んでいたキリスト教の信仰が拡大。しだいに土地の暮らしになじんでいった。
サンゴ礁でできた島々は資源に乏しく、集中的な開発は行われなかった。
しかし、たとえばメラネシア地方のフィジーでは、香料になるビャクダン(白檀)やサトウキビの大農園として適すると判断され、イギリスによって遠くインド(イギリスの植民地だった)から労働者が送り込まれた。この結果、現在のフィジーでもインド系の住民がフィジー系に次ぐ民族になっている。
一部の「工業化した国」の都合で、世界中の人や生態系が強く影響を受ける時代のはじまりだ。
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