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世界史のまとめ×SDGs 目標⑩人や国の不平等をなくそう:1979年~現在

 SDGsとは「世界のあらゆる人々のかかえる問題を解するために、国連で採択された目標」のことです。
 言い換えれば「2019年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
 17の目標の詳細はこちら。
 SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)が、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
 一見「発展途上国」の問題にみえても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
 しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
 「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。


◆人種間の格差

南アフリカでの黒人差別をアタリマエのものとした社会の仕組み(注アパルトヘイト)が撤廃される

ー南アフリカ共和国という国のあたりには、かつてバンツー系やコイサン系の民族の国々があった。

 日本人からみると「黒人」とひとくくりにされることが多いけど、実際にはさまざまな民族がいる。

 そこへ、あとから南アフリカの地にやって来たオランダ人(注:アフリカーナー)、続いてイギリス人は、先住民たちを差別する体制をつくっていく。
 第2次大戦が終わると、黒人(ズールー人、ソト人、コーサ人、ンデベレ人ツワナ人)やアジア人(インド系が主、ほかにマレー系。なお、日本人は“名誉白人”扱いをされていた)、カラード(白人とサン人コイコイ人との混血やアジア人との混血など)などの「有色人種」に対する差別的な体制が法的に確立されることに。白人(イギリス系やオランダ系(注:アフリカーナー))優位の社会が築き上げられていった(注:アパルトヘイト)。

黒人たちの暮らしはどんな感じだったんですか?

ー大多数の黒人は隔離された居住区で暮らすことを強いられ、アフリカーンス語の教育を強制されたよ。白人の農場や企業の下、低賃金で働かざるをえなかったんだ。

それに対して国際社会は?

ーこの時期になるとアパルトヘイトへの反対運動が活発化し、南アフリカ政府は国際的な経済制裁を受けるようになった。これを受け政権(注:ボータ政権)は1985年に差別的な法律(注:雑婚禁止法、背徳法、分離施設法)を廃止、1986年にパス法を廃止する。

 しかし、改革はまだまだ不完全。
 その後、1989年に就任した白人政権(注:デクラーク政権)はアパルトヘイトの廃止に向けさらに動き出した。

 まずアフリカ民族会議(ANC)を合法化(1990年)し、リーダー(注:マンデラ)を釈放する。

 さらにアパルトヘイトの廃止を宣言し(1991年)、人種登録法・原住民土地法・集団地域法を廃止したよ。

 そして、黒人でアフリカ民族会議のリーダー(注:マンデラ)が大統領に就任し、「差別のない南アフリカ」の建設をスタートしたんだ。

その成果は?

ー法的には平等になったけど、経済的な格差はまだまだ残っている。

 人種間の不平等を解消する政策も行き詰まり、後継の(注:アフリカ民族会議のムベキ)大統領の下でも黒人の高い失業率や、エイズの高い感染率はつづく。経済成長は順調で、調子のいい新興国の一つに挙げられるほどになったけど、人種間の差が完全に埋まっているとはいえないね。


肌の色がちがうだけで理不尽ですよね…

ーそうだよね。
 最近では肌の色を「真っ黄色」にすることで「どの人種にも属さない人」をあらわした絵文字を提供するIT企業も現れた。 

 これに対して「これは”黄色(おうしょく)人種”を現しているんじゃないか」「そんなに黄色い人間がいるわけないじゃないか」という批判も出た。


あんまり日本では問題にならなそうですが…

ー肌色といえば、多くの人が「この色」を指すと思うような同質的な社会だからね。

 しかし、冒頭の南アフリカやアメリカ合衆国のように、人種の違いをめぐる凄惨(せいさん)な過去を持っていたり、「経済格差」に色濃く関連していたりするような国では、人種の違いについて日本とは比べ物にならないほど敏感だ。

 誰もがSNSによって情報を発信できるこの時代、アメリカでは、明らかに”黒人だから”という理由で厳しい対応をしているんじゃないかという警官の動画がネット上にアップロードされ、瞬時に大きな問題として取り上げられるようにもなった。
 一方で、「黒人に権利を与えるべきじゃない」という主張を持つグループが会員数を増やすなど、火種は絶えない。


◆先住民との格差

世界各地で先住民の権利が見直されるようになった

ー16世紀にスペインやポルトガルが南北アメリカ大陸に進出したのを皮切りに、ヨーロッパ諸国・アメリカ合衆国(19世紀前半以降)・日本の政府(19世紀後半以降)は、軍事力を使って陸続きの地や異国の遠い地に、広い領土を得ようと競い合った。


 「領土の内側」にいる人々は「ひとつの国民」として管理下に置かれることとなり、彼らがもともと持っていた文化は否定されていったんだ。

 これが加熱したのは、世界史のまとめの「輪切り」でいうと1870年から1920年までのこと。
 この時期に地球上のほとんどのエリアが「特定の国の所有地」に組み込まれていったわけだ(「先住民」という発想自体が、かつて先住民に対して用いられた暴力を巧妙に覆い隠すものなのかもしれない)。

ーその体制は長く続き、先住民を言いなりにさせるのがアタリマエという政策が転換されたのは、ようやくこの時期(1979年~現在)になってのことだ。


 例えばオーストラリア
 先住民や白人ではない人々に対する差別的な政策(白豪主義)を転換し,アジア系の移民や世界各地の難民を受け入れ、多文化主義(マルチカルチュラリズム)の国づくりを推進していくようになったんだ。

 その中で、先住民アボリジニーの権利回復が推進されていった。

 また、カナダでは、この時期の初めにイギリスとは違う別個の憲法が制定され、独自色を強めていくことに(注:カナダ憲法、1982年)。
 先住民(インディアン)や北方のイヌイットの自治権が承認されている(1999年)。

カナダって、多文化の国って聞いたことがあります。

ーフランス人の多い地区もあるしね(注:ケベック州)。 
 カナダは世界各地から積極的に移民を受け入れ、多文化社会づくりを進めていった。

ー北ヨーロッパの例も紹介しておこう。

 ノルウェー、スウェーデン、フィンランドには、国をまたがって分布するサーミ人という民族がいる。

どんな生活をしているんですか?

ー伝統的にはトナカイの遊牧をして暮らしているよ。

 しかし、周辺の国境が決められていく中で、各国で差別的な扱いを受けることとなった。

ー権利を保護する取り組みも第二次世界大戦後以降活発化していき、ノルウェーではサーミ議会の設置が法律で制定(1987年)、さらにサーミ人の保護が憲法条文で義務付け(1988年)、さらにサーミ語が地域公用語に制定された(1990年)。フィンランドではサーミ語を地域公用語とするサーミ言語法(1991年)、憲法にサーミ人保護条項を付加しサーミ議会の設置法が制定されている(1995年)。スウェーデンではサーミ議会を設置する法律が制定され(1992年)、サーミ語を公用語の一つとし(1999年)、さらに言語法が成立しサーミ語が保護・促進する責任のある少数言語の一つに指定された(2009年)。


各地でさまざまな努力をしているんですね。

―そうだね。ただ、「それぞれの民族文化を尊重してあげること」と「その国の一員として生活すること」は、いつでも両立するとは限らない。

 支配的じゃないほうの民族を優遇する(注:アファーマティブ・アクション)ことで、逆に支配的な民族の反感を買ってしまうこともあるからね。

 例えばインドでは、”民族”というより、むしろ”民族内集団”というべき小さな職業別グループ(注:カースト)が無数に存在していることで知られる。いちばん低い(あるいは、そのさらに下に属する)職業グループに属する人々(注:不可触賤民)には、入学試験などに一定の枠の割当がなされている。差別をゆるめるための措置なのだけれど、上位の職業別グループによる反発も根強い。

 

ー最近も、先住民エリアに資源が見つかり、深刻な対立が生まれたことがあるね。


「先住民」の立場は決して強くはないんですね。

ーここで考えておくべきことは、そもそも「先住民」(Indigenous Peoples)なんていうのは、後からやって来た人々によって名付けられたカテゴリーにすぎないということだ。

だって、考えてみてほしい。

 この地球上で「後からやって来た人々がいない場所」なんてどこにあるだろう?

 例えば、歴史的に見ればトルコの「先住民」はヒッタイト人オスマン人だ。これまでさまざまな民族が交替してきた。地球上のあらゆる地域には「先住民」がいたわけだ。

 しかし、19世紀以降になると、科学技術を駆使した圧倒的な暴力によって、伝統的な暮らしをしていた人々の生活が次々に奪われていくことになった。
 アルゼンチンのグアラニー人、北アメリカのインディアン諸民族、南アフリカのコイコイ人やサン人などなど。

 こうした民族はレベルの低い人間と見なされ、そのグループは「族」(注:それは、政治的な組織(国)と一致することで「nation」を構成する)と呼ばれるよりも「」(tribe(ただし、こちらも参照(池田光穂「強い文化概念としての部族」)と呼ばれ、欧米風の市民社会が通用しないところと決めつけられた(そりゃあ、そのまま通用するわけなどないのはアタリマエなのだが)。

 そんなわけで、遊牧生活や狩猟採集生活を送っていた人々の生活エリアは次々と狭められていったのだ。

世界の狩猟採集民の分布社会データ図録9448より)


現在「先住民」と呼ばれている人は、その時点での「先住民」に過ぎないわけですね。

ーそういうこと。「先住民」というと、悠久の昔から同じ場所にいて、まったく生活を変えていないというイメージがあるかもしれない。

 もちろん秘境に近いエリアでは隔絶された生活をし続けていた民族もいるけどね。
 多くはこの時期以降の「近代化」の影響を少なからず受けているといっていい。これまでお金のなかったところにお金が入ってくるとか、外来の便利な文化が入ってくるとか。

影響は大きそうですね。

ー伝統的な農耕民・遊牧民・狩猟採集民の生活や思想には、持続可能な世界をつくっていくヒントが隠されていることが多い。
 
 そういったことを互いに学び合うよりも先に、「国家」とか「所有権」といった定住民の「論理」のほうが優れているのだといってそれを押し付けるのは、互いにとって損失だ。


 で、国連が中心となって「先住民」の権利が認められるようになったのは、ようやく21世紀に入ってからのことだった(注:先住民族の権利に関する国際連合宣言、2007年採択)。
 各国で「土地」に関する制度の違いが尊重されるようになっているけど、政治的な駆け引きに巻き込まれることも憂慮されているよ。


そもそも「民族」間の争いなんて、しなければいいのに。

ーほんとにそのとおり。
 世界各地で、民族や宗教・宗派の違いによって争いが起きているようにみえるよね。
 でも、「民族が違うから」「宗教宗派が違うから」争っているように見えても、実はその背景には異なる集団同士の対立する”真の原因”が潜んでいることがほとんどといっていい。



 その地域のグループ間の人間関係を無視し、力ずくで欧米風の一院制議会をつくってしまったイラクは、今なお大混迷の中にある。


 酒井啓子さんのエッセイを紹介しておこう。

 そう、ここ(筆者注:イラク)にあるのは宗派の対立ではなく、ある特定の、政治的に優位にある宗派なり集団が、自分たちが当然でしょと考える考えは他の集団にとっても当然であるべきだ、と考えることの問題である。そして、政治的に劣位におかれた集団にとっては、優位におかれた集団がやることなすこと、それがいかに合理的であっても自分たちをないがしろにしている、と感じることだ。
(中略)
 ことの始めから、宗派は対立していたわけではない。だが、いったんすべての差異が宗派のせいに見えてしまった後は、それをどう「見えなくする」ことができるのか。それが問題だ。


◆経済の格差

すべての国が平等とは限りませんね。

―そうだね。貧困の章で見たように、世界全体を見渡すと全体として「不平等」は着実に改善されていっている。
 ただ、その動きには大きな差があるのが現実だ。


 例えばアメリカ合衆国では、同じアジア系であってもインド出身のITエンジニアと、戦乱を逃れてきた難民とでは雲泥の差だ。

 特定の人種・民族に対する偏見が左右していることも大きいね(注:スティグマ)。もちろん偏見の根拠は合理的ではない。
 でも、それが一度定着してしまうと払拭するのは容易ではない。

 ほどのアメリカ合衆国の場合、同じ白人であったとしても、出自やエリアによって経済的な格差も大きいよ。「ヒルビリー」と呼ばれるスコットランドに出自を持つ人々のように、歴史的な経緯から貧しさから抜け出せない人々もいる。


国を超える人の移動が活発になっていることの影響もあるのでしょうか。

ーそうだね。
 先ほどの例でいうと、アメリカ合衆国に流れ込むインド人はIT産業で高い給与を獲得することができるけれど、そのような教育を受けることができなかった人はそういうわけにはいかない。

教育の格差ですね。

ーそう。とくに理系の技術に関する教育(注:STEM教育)を受けられるかどうかが、大きな分かれ道だ(⇒目標④質の高い教育をみんなに)。

そもそもテクノロジーに接することができないと、これまた格差になりますよね。

ーだよね。
 先進国と違って、そもそも電気が通っていないとか、それ以前に学校への安全な交通手段が確保されていないとか(⇒目標⑨産業と技術革新の基盤をつくろう)。
 そういった基本的なことが途方もないハードルになってしまう。

 技術革新そのものが、経済格差を生むという説もあってね。かつて「自動車が普及し人力車がなくなった」ように、AI(人工知能)が普及するとなくなる仕事がでてくるのは必至だろう。

イノベーションの波
現在起きているのがナノテクノロジー、ライフサイエンス、ビッグデータ、ロボテックス、人工知能を生み出す第5の波。その後、第6の波として、バイオミミクリ―、グリーン化学、工業エコロジー、再生可能エネルギー、グリーンナノテクノロジーが産業を牽引するとする論者もいる(ReseardhGateより)

ーただ問題なのは、そういった技術革新を学ぶ機会から取り残され、それが経済格差につながってしまうことだ。世界銀行によると、とくに途上国・新興国では技術の進歩が格差につながる傾向が高い(外務省「世界経済の潮流 2017年 I」 第1章:グローバル化と経済成長・雇用 第2節:グローバル化と格差の理論より)。


先進国の中でも教育格差が生まれるとなると、海外から移住してきた働き手との競合も起きそうですね。

ー例えばイギリスは、ポーランドを始めとする東ヨーロッパからの出稼ぎ移民が増加していて、イギリス人の働き手からの不満も高まっている。

 こうなったのは、EU(ヨーロッパ連合)が自由な労働移住を認めているからだと、EU脱退を主張する政党(注:イギリス独立党)が欧州議会選挙で第一党となる(2014年)など、不満を「よそ者」に向ける悪い傾向も生まれているね(注:欧州懐疑主義、排外主義)。

 この動きは、EUからの脱退を問う国民投票にまで発展し、僅差で脱退派が上回ると首相(注:キャメロン)は辞任し、保守党の首相(注:メイ)に交替しました(注:ブリグジット)。

 しかし、EUから脱退することによる経済的なデメリットも大きく、その後の手続きは膠着(こうちゃく)しているのが現状だ。

 一方、新興国内部の経済格差も深刻だ。
 新興国の政府は「経済」を優先するあまり、国内の社会に「偏り」や「ゆがみ」をもたらすことも多いのだ。

 例えば、この時代に「自由な経済」を社会主義のタテマエを掲げつつ導入した中華人民共和国では、経済発展をガンガン推し進めていった(注:社会主義市場経済)。
 しかし、南部の臨海地方を中心とした発展に偏っていたため、21世紀に入ると貧しかった西部を発展させようと「西部大開発」が進められる。それでも内陸部と沿岸部の格差は大きく、貧富の差が社会問題となっている。
 かつての帝国(注:清)の領域を受け継ぎ、国内にチベット人やウイグル人といった民族を抱え、中国の多数派民族(注:漢人)との経済格差が開いていることも課題のひとつだ。


国内の格差は、いろんな要因によって生み出され続けているんですね。

ー問題となっている格差の原因をたどってみると、民族や出自といった”属性”の異なる集団の間に行使された、過去のある時点の「暴力」が上下関係を生み、それがいつの間にか固定化されてしまっている例がほとんどだね。

 無理に欧米風の「議会の多数決によって国全体の意思を決定しよう」という試みを導入しようとしても、うまくいかないことが多い。
 国によって集団を動かしている論理は異なるからだ。


 
 それもこの時期には「自由な経済」が国を超えて広がり、国外の動きと国内の動きが複雑に連動するようになるから厄介だ。

 しかし、国の間の格差の度合いは、刻一刻と変化している。
 「先進国」「中進国/新興国」「途上国」「最貧国」といった区分も、絶対不動のものじゃないし、「経済」や「環境」の変化が、「社会」の思わぬ変化に結びつく可能性も多いにある(注:分断社会)。

 次回のnoteでは目標⑪を通して、「都市」の抱える課題について考えていくことにしよう。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊