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世界の文化史(全範囲)の一問一答250題

石器時代からビートルズまで、全時代・全地域の基本知識250題にまとめました。ご活用ください。



●先史

1 北京原人には、埋葬の風習が見られた。
2 北京原人は、洞窟美術(壁画)を残した。
3 フランスのラスコーやスペインのアルタミラは、洞窟美術の遺跡である。
4 旧石器時代には磨製石器や骨格器の使用が見られた。
5 中国の仰韶文化では、鉄器の使用が見られた。
6 インダス文明では、インダス川下流のモエンジョ=ダーロ[モヘンジョ=ダロ]に都市遺跡がみられ、楔形文字が使用されていた。







1:×。埋葬の風習が見られるのは旧人(ネアンデルタール人)の段階以降から。
2:×。洞窟美術を残したのは新人。
3:○。フランスはラスコー → フラスコー と覚えましょう。
4:×。磨製石器や骨角器の使用は新石器時代。
5:×。仰韶文化は新石器段階です。中国で鉄器が使用されるのは、春秋時代の後期以降です。
6:○。インダス川上流にはハラッパーという都市遺跡があります。


●中国 先史〜秦・前漢

7 龍山文化では、黒陶が使用された。
8 殷では、甲骨文字により卜占が行われ、祭政一致の神権政治が見られた。9 諸子百家のうち、儒家の祖である孔子の思想が、『論語』や『春秋』を通して伝わっている。 
10 孟子の性悪説は、法家の思想を生んだ。
11 荀子の性善説は、王道政治(徳治主義)を理想とし、易姓革命を認めた。
12 墨家は兼愛・非攻を主張した。 
13 道家は老子の「無為自然」の主張を特徴とし、戦国時代には荘子が活躍した。
14 法家は、秦の始皇帝に仕え、什五の制を整備した商鞅が有名。
15 陰陽家は鄒衍が代表で、のちに五行説や神仙思想・老荘思想と合わさった。
16 兵家には、蘇秦・張儀がおり、『楚辞』や『詩経』を著わした。
17 秦の始皇帝は法家を弾圧し、焚書坑儒を行った。
18 前漢は五経博士として孔頴達をおき、儒教を官学化した。
19 前漢の司馬遷が編年体で『史記』を著した。







7:○。「彩陶」は先行する仰韶文化で使用されました。仰韶(彩陶)・龍山(黒陶)の組合せです。
8:○。
9:○。
10:×。孟子(もうし、前372〜前289)は性善説を唱えた儒家です。
11:×。荀子(じゅんし、前298〜前235)は性悪説を唱えた儒家です。この選択肢の内容は孟子の説です。
12:○。
13:○。
14:×。商鞅は、始皇帝よりも前の時代の君主である孝公(こうこう)に仕えた法家です。
15:○。*鄒衍は「すうえん」と読みます。
16:×。『楚辞』・『詩経』ともに、兵家に関連する書物ではありません。兵家の書物は『孫子』(春秋時代の*孫武(そんぶ)と、戦国時代の*孫臏(そんぴん)の著したものの2種類がある)
・『楚辞』は楚の屈原の詩を含む、中国の南方の韻文(詩)をまとめたもの。
・『詩経』は、周の時代の中国の北方の韻文(詩)をまとめたもの。
なお、蘇秦(そしん、?〜前317)は秦に対して燕・趙・韓・魏・斉・楚が連携して対抗しようとする合従策(がっしょうさく)を説きますが、のち張儀(ちょうぎ、?〜前310)が連衡策(れんこうさく)を成立させたために失敗しました。組合せも出題されますから、「合従連衡・蘇秦張儀」と覚えておきましょう。
17:×。始皇帝が弾圧したのは儒家です。焚書坑儒は「ふんしょこうじゅ」と読みます。
18:×。孔頴達は董仲舒の誤り。孔頴達は唐代の儒家で『五経正義』の編者。
19:×。編年体(時系列に記録するスタイル)ではなく紀伝体(テーマ別に記録するスタイル)でした。



●後漢


20 党錮の禁により、儒教の素養を備えた官僚が、宦官により弾圧を受けた。  
21 漢代には経典の解釈を研究する訓詁学が盛んとなり、後漢の鄭玄が代表。
22 後漢の班固が紀伝体で『漢書』を記した。
23 後漢の蔡倫により改良された製紙法は、751年のタラス河畔の戦い以後、西方に伝播したとされる。
24 中国に大乗仏教が伝来したのは紀元前後のことである。
25 後漢は、張陵の創始した五斗米道による黄巾の乱の混乱の中、滅亡した。

※23「前漢の蔡倫」を「後漢の蔡倫」に訂正しました。(2023/11/25)







20:○。
21:○。
22:○。
23:○。
24:○。
25:×。張角の創始した太平道の誤り。


●魏晉南北朝


26 魏晋では、清談が流行した。
27 西晋では陶淵明が田園詩人として活躍した。
28 南朝では昭明太子が『文選』で四六駢儷体を大成するなど、貴族的文化が隆盛した。29 顧愷之は書聖と呼ばれ「蘭亭序」を、王羲之は画聖と呼ばれ『女史箴図』を描き、いずれも西晋の人である。
30 南北朝時代に、インド出身の鳩摩羅什が仏教を布教し、仏図澄が経典を漢訳した。
31 東晋の法顕がヴァルダナ朝のインドを訪れ、『仏国記』を著した。
32 西域の敦煌の莫高窟、洛陽の雲崗石窟、平城の竜門石窟が南北朝期仏教遺跡の代表。
33 雲崗石窟の仏像には、ガンダーラ様式やグプタ様式の影響が見られる。
34 南朝では戦乱を背景に神仙思想や老荘思想が流行したが、北朝では国家による仏教・道教の保護が観られ、道教では王仙芝が新天師道を創始した。








26:○。
27:×。東晋の誤り。
28:○。
29:×。王羲之と顧愷之が逆である。
30:×。鳩摩羅什と仏図澄が逆である。
31:×。ヴァルダナ朝ではなくグプタ朝の誤り。
32:×。雲岡石窟と龍門石窟が逆である。
33:○。逆に龍門石窟寺院の仏像には中国色の色彩が強い。
34:×。王仙芝ではなく寇謙之の誤り。


●隋・唐・宋


35 宋代には、貴族の間で漢詩が流行し、李白は詩聖・杜甫は詩仙と称された。
36 白居易(白楽天)の『漢宮秋』は、玄宗と楊貴妃の悲哀を歌った。
37 韓愈・柳宗元は唐代に、従来の四六駢儷体を改め、漢詩を大成した。
38 顔真喞は、王羲之以来の典雅な書に対し、力強い書で有名で、安史の乱の鎮圧にも参加した。  
39 唐代には、工芸として染付・赤絵が作られた。
40 唐代には、董仲舒が『五経正義』を著した。
41 義浄はグプタ朝期のインドに渡り、『南海寄帰内法伝』をあらわした。
42 『南海寄帰内法伝』で義浄は、スマトラ島のマラッカ王国で上座部仏教が発展していたことを記している。
43 781年に長安で、景教と呼ばれたゾロアスター教が流行したことを示す碑文が残されている。
44 唐代にはアラブ人やペルシア人も海路で渡来し「色目人」と呼ばれ、広州や泉州には蕃坊という居留地が設けられた。
45 唐代には、科挙に合格した士大夫(読書人)階層が、社会の支配層となった。
46 北宋の朱熹(朱子)は理気二元論や心即理を中心とする朱子学を集大成した。
47 宋学では五経が重視され、大義名分論や華夷の別が強調された。
48 南宋の王守仁(陽明)の陽明学は、明の陸九淵(象山)により大成された。
49 北宋では、司馬光が紀伝体の『資治通鑑』を著わした。
50 欧陽脩や蘇軾(蘇東坡)は、唐宋八大家に挙げられ、優れた散文を残した。
51 宋代の民衆の間で、雑劇や詞が流行した。
52 北宋では、徽宗が文人画を奨励し、自ら『鳩桃図』を描いた。
53 唐代以降の中国仏教は、浄土宗や禅宗中心となった。
54 中国における四大発明とは、紙・火薬・羅針盤・活字印刷である。
55 南宋初めに成立した白蓮教は、元末に黄巾の乱を起こした。
56 女真の金では、道教の一派である正一教が信仰された。









35:×。宋代ではなく唐代の誤り。
36:×。『長恨歌』(ちょうごんか)の誤り
37:×。両者は「散文」の名手であるので、誤り。
38:○。
39:×。明清代の誤り。
40:○。
41:×。「ヴァルダナ朝滅亡後」のインドの誤り。
42:×。「マラッカ王国」ではなく「シュリーヴィジャヤ王国」の誤り。
43:×。「ゾロアスター教」は「マニ教」の誤り。
44:×。「色目人」は元代に採用された非漢人の諸民族であるから誤り。
45:×。「唐代」は「宋代」の誤り。
46:×。「北宋」は「南宋」の誤り。
47:×。「五経」は「四書」の誤り。
48:×。王と陸が逆である。
49:×。「紀伝体」は「編年体」の誤り。
50:○。
51:○。
52:×。「文人画」は「院体画」の誤り。
53:○。
54:○。
55:×。「黄巾の乱」は「紅巾の乱」の誤り。
56:○。


●モンゴル帝国・元


57 ローマ教皇は、元にイエズス会の宣教師ルブルックを派遣した。
58 マルコ=ポーロはチンギス=ハンに仕え、帰国後『東方見聞録(世界の記述)』を口述筆記した。
59 モンテ=コルヴィノは、カラコルムでカトリックの大司教となった。
60 イブン=バットゥータはイラン出身のペルシア人であり、インドの奴隷王朝やサータヴァーハナ朝、東南アジアのシュリーヴィジャヤ王国、西アフリカのソンガイ王国などを訪れた。
61 元の宮廷では、チベット仏教が信仰され、僧ツォンカパが文字を作成した。
62 元代には、郭守敬が「授時暦」を製作し、江戸時代の日本の「貞享暦」に影響を与えた。
63 元代には『西廂記』『漢宮秋』『琵琶記』など、音楽にのせた台詞・しぐさで構成される元曲や、『水滸伝』の原型・『三国志演義』の原型が成立した。








57:×。「ルブルック」ではなく「モンテ=コルヴィノ」の誤り。
58:×。「チンギス=ハン」は「フビライ=ハーン」の誤り。
59:×。「カラコルム」は「大都」の誤り。
60:×。「イラン出身のペルシア人」は「モロッコ出身のベルベル人」の誤り。「奴隷王朝やサータヴァーハナ朝」は「トゥグルク朝やヴィジャヤナガル王国」の誤り。「シュリーヴィジャヤ王国」は「マラッカ王国」の誤り。「ソンガイ王国」は「マリ王国」の誤り。
61:×。「ツォンカパ」は「パスパ」の誤り。
62:○
63:○


●明


64 心即理と知行合一を唱えた王陽明の説をさらに過激にさせた明後期の李贄(李卓吾)は、「童心」を共通して迫害された。
65 永楽帝は『永楽大典』を編纂させた。
66 明末清初には、黄宗羲や顧炎武らが、儒学経典の文献研究を主とする考証学を発展させた。
67 清代には、徐光啓の『天工開物』、李時珍『農政全書』、宋応星の『本草綱目』といった実学が流行した。
68 清代には『水滸伝』・『三国志演義』・『西遊記』・『金瓶梅』の小説が成立した。








64:○
65:○
66:○
67:○
68:○


●清・民国


69 康熙帝のときに『古今図書集成』が完成した。
70 清代には、宮廷の恋愛悲劇を通して封建社会の矛盾を批判した『 儒林外史』という小説が成立した。
71 明末清初には、フランチェスコ派のマテオ=リッチが『坤輿万国全図』を製作した。
72 清代には、イエズス会のブーヴェが『坤輿万国全図』を製作した。
73 清代には、イエズス会のカスティリオーネが円明園を設計し、西洋画を指導した。
74 イエズス会はキリスト教布教にあたって孔子・先祖崇拝を禁止したため、典礼問題が起きた。
75 アヘン戦争後、「滅満興漢」をスローガンとする洋務運動が起きた。
76 文学革命(新文化運動)によって、科挙が廃止された。
77 陳独秀の『新青年』で、魯迅が白話運動を提唱した。








69:×。「康熙帝」は「雍正帝」の誤り(命じたのは康熙帝である)。または「古今図書集成」は「康熙字典」の誤り。
70:×。『儒林外史』は『紅楼夢』の誤り。『儒林外史』は科挙制度に群がる知識人の虚偽と破廉恥に満ちた内情を描いた長編小説である。
71:×。「フランチェスコ派」は「イエズス会」の誤り。
72:×。「ブーヴェ」は「マテオ=リッチ」の誤り。ブーヴェは『皇輿全覧図』を製作した。
73:○
74:×。「禁止した」は「認めた」の誤り
75:×。「洋務運動」は「太平天国の乱」の誤り。
76:×。科挙廃止は1905年のことなので、文学革命よりも前のことである。
77:×。「魯迅」は「胡適」の誤り。


●チベット・西域


78 ツォンカパの紅帽派は14世紀に戒律を重視し、チベット仏教を改革した。
79 シルクロードを通り、中国からローマにガラスが、ローマから中国に養蚕が伝播した。









78:×。紅帽派は黄帽派の誤り。
79:×。中国とローマが逆である。



●朝鮮


80 高麗の時代には、仏国寺が建立され、青磁が製作された。
81 『高麗版大蔵経』では金属活字が使用された。
82 新羅の時代に、訓民正音が製作された。









80:×。「仏国寺が建立され」は誤り。仏国寺は新羅によって建立された。青磁の製作は高麗の時代なので○。
81:○
82:×。版木が作成され、1236年に作成されたものが海印寺に保存されている。
83:×。「新羅」は「朝鮮」の誤り


●日本


83 渤海は日本に渤海使を派遣し、外交関係を築いた。
84 京都の平城京は、長安をモデルにして造られた。









83:○
84:○


●東南アジア


85 紀元前後のミャンマーでは、銅鼓を用いたドンソン文化が発展した。  
86 アンコール=ワットは、アユタヤ朝により仏教寺院として建設された。  
87 北ベトナムの黎朝はチュノム(字喃)を作成した。
88 シュリーヴィジャヤ王国は上座部仏教のボロブドゥールを建造した。










85:×。「ミャンマー」は「ヴェトナム」の誤り。
86:×。「アユタヤ朝」ではなく「アンコール朝」の誤り。
87:×。「黎朝」は「陳朝」の誤り。
88:×。「シュリーヴィジャヤ王国」は「シャイレンドラ朝」の誤り。


●南アジア


89 古代インドのバラモン教の聖典ヴェーダのうち、最古のものが『リグ=ヴェーダ』である。
90 形式化したバラモン教に対し、思索を重んじるウパニシャッド哲学が生まれた。
91 ガウタマ=シッダールタはブッダ(仏陀)と称され、仏教の開祖とされ、輪廻からの解脱を説いた。
92 ヴァルダマーナはマニ教を始め、苦行と不殺生主義による輪廻からの解脱を説いた。
93 インドの民族叙事詩『マハーバーラタ』は、バーラタ族の戦争の史実に基づく。
94 ゼロの観念はアラビア半島のイスラーム教徒が発見した。
95 アショーカ王は仏教に帰依し、磨崖碑・石柱碑にダルマ(法・倫理)を刻んで広め、  第3回仏典結集もおこなった。
96 サーンチーには、仏舎利(仏の遺骨)を納めるストゥーパがみられる。
97 ガンダーラ美術はインド西北部のギリシア人の影響を受け、仏像が製作されるようになった。
98 上座(部)仏教は北伝仏教、大乗仏教は南伝仏教という。
99 大乗仏教は菩薩信仰と空の思想を特徴とし、クシャーナ朝期にナーガールジュナ(竜樹)が大成した。
100 サンスクリット語戯曲として、カーリダーサの『ラーマーヤナ』が有名。
101 ナーランダ僧院はグプタ朝末期に建設され、法顕や玄奘も訪れた。
102 アジャンター石窟寺院とエローラ石窟寺院は、純インドのガンダーラ美術として有名。
103 グプタ朝の頃、バラモン教に民間信仰が習合しヒンドゥー教が成立、「マヌ法典」も成立した。破壊と創造の神シヴァ神、維持の神ヴィシュヌ神などの多神教である。
104 16世紀に、ナーナクがシク教を創始し、カースト制を批判した。
105 ムガル帝国の時代、インド=イスラム文化が開花し、ウルドゥー語が成立したほか、ミニアチュール(細密画)が多数製作された。
106 アクバルはアグラに宮殿のタージ=マハルを建設した。








89:○
90:○
91:○
92:○
93:○
94:×。「イスラーム教徒」ではなく「グプタ朝期のインド人」である。
95:○。
96:○
97:○
98:×。北伝と南伝の説明が逆である。
99:○
100:×。『ラーマーヤナ』は『シャクンタラー』の誤りである。
101:×。「法顕や玄奘」は「玄奘や義浄」の誤り。
102:×。「ガンダーラ美術」は「グプタ美術」の誤り
103:○
104:○
105:○
106:×。「アクバル」は「シャー=ジャハーン」の誤り。


●メソポタミア・エジプト、地中海東岸


107 エジプトの楔形文字はパピルスに記された。
108 エジプトの神殿をジッグラトという。
109 アメンホテプ4世は、従来の多神教をアモン(アメン)の一神教に改革し、首都をアケトアテン(テル=エル=アマルナ)からテーベに遷都した。
110 ヴェントリスの解読したロゼッタ石には、神聖文字(ヒエログリフ)・神官文字・線文字Bが記されている。
111 メソポタミアでは測地術から幾何学が発展した。
112 アラム語(文字)から発展したアルファベットは、ギリシア文字・ローマ文字に影響を与え、9世紀にはスラヴ人がキリル文字に改めた。
113 ユダヤ教の唯一神アフラ=マズダは、全人類を救う救世主(メシア)と考えられている。
114 ゾロアスター教の経典は『ヴェーダ』である。
115 ササン朝ペルシアでは、3世紀に成立した二元論のマニ教が異端として弾圧された。
116 ササン朝ペルシアではガラス器などの工芸品が制作され、正倉院にも納められている。








107:×。「楔形文字」は「神聖文字(または民用文字)」の誤り。
108:×。ジッグラトはシュメール時代からメソポタミアの諸都市の中心部に見られる巨大な塔である。
109:×。テーベとアケトアテン(テル=エル=アマルナ)が逆である。
110:×。「線文字B」は「ギリシア文字」の誤り。
111:×。「メソポタミア」は「エジプト」の誤り。
112:×。「アラム文字」は「フェニキア文字」の誤り。
113:×。「アフラマズダ」は「ヤハウェ」の誤り。
114:×。『ヴェーダ』は『アヴェスター』の誤り。
115:○
116:○


●イスラム


117 メディナのカーバ聖殿は、イスラム教成立以前は多神教の神殿だった。
118 イスラム暦は、太陽暦である。  
119 『コーラン』では、キリスト教・ユダヤ教は、啓典の民として信仰を尊重されている。
120 アリーとその子孫を正統とする宗派を、スンナ派という。
121 カリフとは、アッラーの代理人のことである。
122 イスラームの神秘主義教団をウラマーという。  
123 ガザーリーはニザーミーヤ学院の神学教授として、スンナ派神学に神秘主義を導入した。
124 イブン=ハルドゥーンの『医学典範』は、中世ヨーロッパのボローニャ大学でも教科書として使用された。
125 イブン=ルシュドは『世界史序説』で、都市と遊牧民の交流から歴史発展の法則を述べた。
126 イブン=ハルドゥーンはイランの詩人で『ルバイヤート』(四行詩集)を著した。127 フワーリズミーは天文学・数学に精通し、太陽暦のジャラリー(ジャラール)暦を制定して、元代の授時暦に影響を与えた。
128 モスクにそなわった尖塔をミッレトという。
129 イェルサレムにウマイヤ朝期に建てられたモスクを、岩のドームという。
130 ムラービト朝はコルドバにアルハンブラ宮殿を建てた。
131 植物の茎や葉、アラビア文字を図案化した幾何学文様をアラベスクという。








117:○。
118:×。「太陽暦」は「太陰暦」の誤り。
119:○
120:×。「スンナ派」は「シーア派」の誤り。
121:×。「アッラー」は「ムハンマド」の誤り。
122:×。「ウラマー」は「スーフィー」の誤り。
123:×。ガザーリーは「ニザーム=アル=ムルク」の誤り。
124:×。「イブン=ハルドゥーン」は「イブン=シーナー」の誤り。
125:×。「イブン=ルシュド」は「イブン=ハルドゥーン」の誤り。
126:×。「イブン=ハルドゥーン」は「ウマル=ハイヤーム」の誤り。
127:×。ジャラリー暦を制定したのはウマル=ハイヤームである。「フワーリズミーは天文学・数学に精通し」は正しい(ホラズム生まれで、アッバース朝第7代カリフのマームーンに仕え、インド数字をイスラーム数学に導入し、アラビア数字を普及させた)
128:×。「ミッレト」は「ミナレット」の誤り。なおメッカの方角を「キブラ」といい、礼拝室の最奥の壁には「ミフラーブ」という窪みがある。
129:○
130:×。「ムラービト朝」は「後ウマイヤ朝」の誤り。
131:○


●古代ギリシア


132 シュリーマンはクレタ文明のクノッソス宮殿を発掘した。 
133 ミケーネ文明の都市には堅固な城壁が見られず、海洋的な文化を残した。
134 ギリシアが共有する文化には、デルフォイ(デルフィ)の神託や、オリンピアでの競技があった。
135 ゼウス(神)を主神とするオリンポスの神々について、ヘロドトスが『神統記』 を著した。
136 ホメロスは『労働と日々』を著した。 
137 サッフォーは悲劇『オイディプス』を著した。  
138 アリストファネスは悲劇『アガメムノン』を著した。
自然哲学  
139 アテネの自然哲学者タレースは万物の根源を火とした。
140 ソフィストのヘラクレイオスは、「人間は万物の尺度である」という相対主義を主張した。
141 ソクラテスは『国家』で理想国家論を主張した。








132:×。「シュリーマン」は「エヴァンズ」の誤り。
133:×。「ミケーネ文明」は「クレタ文明」の誤り。ミケーネ文明には堅固な城壁が見られ、軍事的な色彩が強かった。
134:○
135:×。「ヘロドトス」は「ヘシオドス」の誤り。
136:×。「ホメロス」は「ヘシオドス」の誤り。
137:×。「サッフォー」は「ソフォクレス」の誤り。サッフォーは女性の詩人。
138:×。「アリストファネス」は「アイスキュロス」の誤り。アリストファネスは『女の平和』『女の議会』を残した。
139:×。「アテネ」は「イオニア植民市」の誤り。「火」は「水」の誤り。万物の根元を火としたのはヘラクレイオスである。
140:×。「ヘラクレイオス」は「プロタゴラス」の誤り。
141:×。「ソクラテス」は「プラトン」の誤り。


●ヘレニズム


  
142 アリストテレスはアレクサンドロスの家庭教師を務め、イデア論を主張した。
143 ヘロドトスは『歴史』において、ペロポネソス戦争史の客観的な記述を試みた。
144 ペリクレスの時代のフェイディアス(フィディアス)は、デロス同盟の資金を流用し、イオニア式のパルテノン神殿を建設した。
145 アレクサンドリアの王立研究所ムセイオンでは、太陽中心説のエウクレイデス(ユークリッド)、幾何学のアリスタルコス、地球の子午線測定のアルキメデス、てこの原理・浮力の発見のエラトステネスが活躍した。  
146 ヘレニズム時代には、ポリスの枠を超えた世界市民主義(コスモポリタニズム)  が流行し、エピクロスの唱えたエピクロス派が広まった。
147 ストア派のアウグスティヌスは『神の国』を著した。  
148 『ラオコーン』や『ミロのヴィーナス』はローマ帝国時代の美術である。









142:×。前半は正しいが、イデア論を主張したのはプラトン。
143:×。ペロポネソス戦争は、トゥキディデスによる『歴史』に記されている。
144:○。
145:×。太陽中心説はアリスタルコス、幾何学はユークリッド、地球の子午線測定はエラトステネス、てこの原理・浮力の発見はアルキメデスによるものである。
146:○。なお、ストア派はゼノンが唱えた。


●古代ローマ


149 ヴェルギリウスの『アエネイス』は、ダンテが14世紀にラテン語で書いた『神曲』に影響を与えている。  
150 キケロはラテン語散文の達人で、演説・修辞学関係の著作や『国家論』を残した。
151 ストア派のセネカはカエサルに仕え、『自省録(瞑想録)』を著した。
152 リヴィウスは『ローマ建国史(ローマ史)』で、政体循環論を主張した。  
153 カエサルの『ゲルマニア』は、ゲルマン民族の原始社会を伝える貴重な資料。
154 プルタルコスは『博物誌』を著した。
155 ストラボンは『天文学大全(アルマゲスト)』で天動説を主張し、16世紀にハンガリー人のコペルニクスが『天球の回転について』で地動説を主張するまでヨーロッパでは定説となった。
156 ローマ市民権は、コンスタンティヌスにより全ローマ帝国市民に拡大された。
157 ユスティニアヌス帝はホラティウスに『ローマ法大全』を編纂させた。
158 ローマのラテン人は、先住のエトルリア人からアーチ建築の技術を受け継いだ。
159 カエサルにより導入されたユリウス暦は、16世紀にグレゴリウス暦に改定された。
160 キリスト教徒は、皇帝崇拝の儀式を拒んだため迫害され、地下教会のカタコンベで信仰を維持した。
161 『新約聖書』は 四福音書や使徒行伝から成る。
162 ディオクレティアヌス帝はミラノ勅令によりキリスト教を公認し、ニケーア公会議で三位一体説(アタナシウス派)を正統とした。  
163 ニケーア公会議で異端とされたネストリウス派キリスト教は、南北朝時代の中国で祆教として流行した。









149:×。ラテン語ではなくトスカナ地方の言語で書かれた。
150:○。
151:×。カエサルではなくネロである。『自省録』はマルクス=アウレリウス=アントニヌスによるものである。
152:×。政体循環論はポリビオスの『歴史』で説かれた。
153:×。カエサルは『ガリア戦記』の誤り。『ゲルマニア』はタキトゥスによるものである。
154:×。プルタルコスは『対比列伝』。『博物誌』はプリニウスによる。
155:×。ストラボンは『地理誌』。『天文学大全』はプトレマイオスによるもの。また、
コペルニクスはポーランド人であるので誤り。
156:×。コンスタンティヌスではなくカラカラ帝である。
157:×。ホラティウスではなくトリボニアヌスである。
158:○。
159:○。
160:○。
161:○。
162:○
163:×。景教の誤りである。



●西欧中世①


164 フランク王国のカール大帝治世の文化は、イギリスから神学者アンセルムスを招き、ラテン語の使用を奨励し、カロリング=ルネサンスと呼ばれる。
165 12世紀には、ヨーロッパのラテン語文書が、シチリア島のパレルモやイベリア半島のコルドバで盛んにアラビア語に翻訳され、12世紀ルネサンスと言われる。
166 ベネディクトゥスは、クリュニー修道院を開き、ヨーロッパ各地を開墾した。
167 フランチェスコ修道会やドミニコ修道会は、托鉢修道会といい、外交や都市での布教に活躍した。









164:○。
165:×。アラビア語の文章がラテン語に翻訳されたので誤り。
166:×。ベネディクトゥスが開いたのはベネディクトゥス修道会である。
167:○。


●西欧中世②


168 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のレオ3世は聖像(崇拝)禁止令で、イコンの作製を禁止した。  
169 ギリシア正教とローマ=カトリック教会は、12世紀半ばに分離した。
170 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)はユスティニアヌス大帝の時に、ギリシア語を公用語とし、ギリシア化した。  
171 ヴェネツィアのサン=ヴィターレ聖堂は、ステンドグラスと尖塔を特徴とするゴシック式建築である。
172 教会の大分裂(シスマ)を終わらせたコンスタンツ公会議で、ベーメンのウィクリフとイギリスのフスの火刑が決まった。
173 中世西ヨーロッパ世界の公用語はギリシア語で、特に医学のボローニャ大学や法学のパリ大学が有名である。
174 神学の理論としてスコラ哲学が発展し、唯名論のアンセルムス、実在論のアベラールの対立を、トマス=アクィナスが『神学大全』で解決した。
175 唯名論(名目論)を主張したイギリスのフランシス=ベーコンは、実験・観察を重視した。
176 『ニーベルンゲンの歌』はフランク王国とウマイヤ朝との戦闘を、『ローランの歌』はブルグント王国の英雄叙事詩を描いた騎士道文学で、ともに吟遊詩人によって語られた。
177 ピサの大聖堂やヴォルムス大聖堂はローマの建築様式を受け継ぎ、ロマネスク式建築と呼ばれる。

168:○。
169:○。
170:○。
171:×。ドームモザイクを特徴とするビザンツ式なので×。ステンドグラスと尖塔はゴシック様式の特徴である。
172:×。ウィクリフはイングランド、フスはベーメンの人である。
173:×。ボローニャ大学は法学、パリ大学は神学。公用語はラテン語であった。
174:×。唯名論はアベラール、実在論はアンセルムスという組み合わせである。
175:×。ロジャー=ベーコンの誤り。
176:×。『ニーベルンゲンの歌』と『ローランの歌』の説明が逆である。
177:○。


●近世ルネサンスから絶対主義(18世紀中葉)まで


ルネサンス

178 ルネサンスは16世紀のローマで始まり、恋愛詩集を書いたペトラルカや、『デカメロン』を書いたボッカチオ、写実的な絵画のジョットが初期ルネサンスの代表。
179 フィレンツェのフッガー家は、ルネサンスの芸術家のパトロンとなった。
180 マキァヴェリは14世紀にメディチ家に追われるまでフィレンツェ王国の外交官で、『君主論』を著した。
181 レオナルド=ダ=ヴィンチは、サン=ピエトロ大聖堂の付属礼拝堂の祭壇に『最後の審判』を描いた。
182 ブラマンテとミケランジェロは、パウロの墓の上に建つサン=ピエトロ大聖堂  を改築した。
183 モンテーニュは『愚神礼賛』を著し、聖職者や王侯貴族を批判した。
184 フランスのチョーサーは『ガルガンテュア物語』を著した。 
185 ファン=アイク兄弟は油絵を改良し、フランドル絵画を始めた。
186 フランスのブリューゲルは、農民を主題とした作品を多数残した。
187 モンテーニュの『ユートピア』で、第二次囲い込みを批判した。
188 セルバンテスはスペインが勝利したプレヴェザの海戦で片腕をなくし、『ドン=キホーテ』を著した。
189 16世紀初め、ロジャーベーコンは実験を重視、帰納法を提唱し、『新オルガヌム』を著した。
190 フランスのシェークスピアは悲劇『リア王』を著した。
191 13世紀に、ドイツのグーテンベルクが、活版印刷術を改良した。
192 ガリレイは、惑星の運動法則を発見した。








178:×。16世紀ではなく14世紀である。
179:×。フッガー家ではなくメディチ家である。
180:×。○。
181:×。ミケランジェロの誤り。
182:×。パウロではなくペテロである。
183:×。モンテーニュではなくエラスムスである。
184:×。チョーサーはイングランド人であり『カンタベリ物語』を著した。
185:○。
186:×。フランスではなくフランドル地方である。
187:×。モンテーニュではなく、トマス=モアである。
188:×。プレヴェザの海戦ではなくレパントの海戦である。
189:×。ロジャー=ベーコンではなくフランシス=ベーコンである。
190:×。シェークスピアはイングランド人である。
191:×。13世紀ではなく15世紀半ばである。
192:×。ガリレイではなくケプラーである。


地理上の発見

193 15世紀にトスカネリは、地球球体(大地球体)説を発表した。
194 マヤ文明は、キープ(結縄)という情報伝達手段を持っていた。
195 アステカ王国では全土に舗装された街道と駅伝が整備されていた。










193:○。
194:×。マヤ文明ではなくインカ帝国である。
195:×。アステカ王国ではなくインカ帝国である。

宗教改革


196 マルティン=ルターは、『キリスト教綱要』を発表し、福音主義を主張した。
197 ツヴィングリは、聖書をドイツ語訳した。
198 再洗礼派のミュンツァーは、ベーメンで反乱を起こし、ルターと対立した。
199 コンスタンツ公会議で、反宗教改革が本格化した。196:×。マルティン=ルターではなくカルヴァンである。









197:×。ツヴィングリではなくルターである。
198:×。南ドイツで反乱を起こしたので誤り。ベーメンでの反乱は15世紀のフス派である。
199:×。トリエント公会議の誤りである。


●絶対主義


200 ヴェルサイユ宮殿はロココ様式である。
201 市民の経済力を背景に、ネーデルラントではレンブラントが「夜警」を描いた。
202 サン=スーシ宮殿はマリア=テレジアがウィーンに建設したロココ様式の建築である。
203 ワトーはバロック絵画の画家である。
204 バッハやヘンデルはロマン派の音楽家である。
205 ピューリタン文学として、ミルトンの『天路歴程』が挙げられる。
206 デフォーの『ガリヴァー旅行記』は風刺文学であり、「小説」の先駆である。
207 フランス古典悲劇の代表はモリエールである。
208 帰納法(経験論)のフランシス=ベーコンと、演繹法(合理論)のデカルトを総合させたのは、ドイツ観念論のパスカルである。
209 ライプニッツは微積分法を発見し、『エチカ』で汎神論を主張した。
210 デカルトは『戦争と平和の法』を著し、「国際法の父」と呼ばれる。
211 社会契約説は自然法思想に基づき、ロックの『リヴァイアサン』における「万人の万人に対する闘争」が有名である。
212 ロックの『市民政府二論』で革命権(抵抗権)の正当性を説き、名誉革命を批判した。
213 ヴォルテールは『哲学書簡(イギリス便り)』を著しイギリスの立憲主義を称揚し、モンテスキューは『法の精神』で政府の三権分立を主張した。
214 ルソーはダランベールと共に『百科全書』を著した。
215 ケネーは『経済表』で重商主義を主張し、その自由放任主義はアダム=スミス  の『諸国民の富』に影響を与えた。
216 16世紀は科学革命の時代と言われ、ボイルの万有引力の法則や、ラヴォワジエの気体と圧力の関係、ジェンナーの血液循環の原理、ハーヴェイの種痘法が有名。









200:×。バロック様式の誤りである。
201:○。
202:×。シェーンブルン宮殿の誤りである。サンスーシ宮殿はベルリン郊外のポツダムに建設された。
203:×。ロココ絵画の誤り。
204:×。古典派の誤り。
205:×。『失楽園』の誤り。『天路歴程』はバンヤンの作品。
206:×。デフォーは『ロビンソン=クルーソー』。『ガリヴァー旅行記』はスウィフトの作品。
207:×。モリエールは喜劇作品を残した。
208:×。ドイツ観念論といえばカントである。
209:×。『エチカ』はスピノザの作品である。
210:×。デカルトではなくグロティウスである。
211:×。ロックではなくホッブズである。
212:×。批判ではなく「支持」である。
213:○。
214:×。ルソーではなくディドロである。
215:○。
216:×。万有引力の法則はニュートン、ラヴォワジエは原子説、気体と圧力の関係はボイル、ジェンナーは種痘法、ハーヴェイは血液循環の原理。

●近代ヨーロッパの思想・文学・芸術


217 トマス=ペインはフランス革命の直前に『第三身分とは何か』を著した。
218 シュタインはナポレオン占領下のベルリンで「ドイツ国民に告ぐ」という講演を行い、ドイツ国民意識の高揚に資した。
219 ギリシア・ローマの形式や啓蒙思想を重んじた古典主義は、ゲーテやシラーにより感情の解放や生命力を主張する「疾風怒濤」運動により、ロマン主義に発展した。
220 ゲーテは『群盗』で三十年戦争のヴァレンシュタインを題材にとった。
221 17世紀に始まったロマン主義は、個性の解放・民族精神の発見を特徴とし、『歌の本』を書いたドイツの詩人ハイネ、『レ=ミゼラブル』を書いたフランス人ユーゴー、ギリシア独立戦争に義勇軍として参加したバイロンがいる。
222 反ロマン主義として写実主義が起こり、『ゴリオ爺さん』のスタンダール、『赤と黒』のバルザック(ともにフランス)、『オリヴァー=ツイスト』のディケンズ(アメリカ)、『父と子』のツルゲーネフ、『戦争と平和』のドストエフスキー、『カラマーゾフの兄弟』のトルストイ(ここまでロシア)がいる。
223 自然科学の発達に影響を受け自然主義が起こり、ドレフュス事件で容疑者を擁護したフランスのドラクロワによる『居酒屋』が有名。
224 ロマン主義美術で知られるドラクロワはギリシア独立戦争や七月革命を題材に絵を描いた。また自然主義の画家には「石割り」のミレー、「落ち穂拾い」のクールベがいる。
225 自然主義にマネ、モネ、ルノワール、ロマン派にセザンヌ、ゴッホがいる。
226 ショパンは1830年のポーランド蜂起を題材に作曲した。
227 1848年に『共産党宣言』を発表したマルクスとエンゲルスは、ロバート=オーウェンや、サン=シモン、フーリエらを空想的社会主義と呼び批判した。
228 ルイ=ブランは無政府主義を主張した。  
229 マルクスは唯物史観に立ち、エンゲルスとともに『資本論』を著した。
230 イギリスのジョン=ステュアート=ミルは、功利主義を主張し、社会改革のため「最大多数の最大幸福」を唱えた。
231 フランスのリカードは実証主義を唱え「社会学」の祖とされ、マルクスは『人口論』で人口抑制の必要性を説いた。
232 ドイツのリカードは歴史学派経済学で、後進国のドイツにおける自由貿易の必要性を主張した。
233 ドイツのランケは史料批判を徹底し近代歴史学の父と呼ばれる。
234 18世紀にドイツのサヴィニーは法の普遍性に反対し、歴史法学を説いた。









224:×。1文目は正しい。2文目の「石割り」はクールベ、「落ち穂拾い」はミレーの作品である。
225:×。マネ、モネ、ルノワールは印象派。一般にセザンヌやゴッホは、ポスト印象派(後期印象派)に分類されます。
226:○。
227:○。
228:×。無政府主義を主張した代表例はプルードン(仏)です。
229:○。
230:○。
231:×。社会学の祖とみなされ「実証学」を創始したのは、リカードではなくコントです。『人口論』はマルクスではなくマルサスです(一文字違いなので注意)。
232:×。自由貿易ではなく保護貿易です。
233:○。
234:○。



●19世紀〜20世紀前半の科学


235 ファラデーは、エネルギー保存の法則を発見した。
236 ハンガリー出身のマリ=キュリーはラジウムを発見した。
237 ダーウィンは進化論を『種の起源』で発表し、スペンサーはそれを社会進化論として人間社会の「進歩」に応用しようとした。
238 メンデルは細菌学の基礎を作り、低温殺菌法を発見した。
239 パストゥールは、結核菌・炭疽菌・コレラ菌を発見し、ツベルクリンを作った。240 モールスは無線電信を発明した。
241 19世紀にアインシュタインは相対性理論を発表した。
242 20世紀の物理学は、ミクロ世界の物理現象を「量子力学」で説明した。 
243 フロイトは『精神分析入門』で無意識に働きかける精神治療を提唱した。
244 毒ガス、戦車、飛行機は、第二次世界大戦で登場した。
245 自動車は20世紀前半に、アメリカのフォードによって大量生産が可能となった。









235:×。ファラデーは、マイヤーとヘルムホルツの誤りです。
236:×。ハンガリーではなくポーランドです。
237:○。
238:×。メンデルは、パストゥールの誤りです。
239:×。パストゥールは、コッホの誤りっです。
240:×。無線電信は、有線電信の誤りです。モールスをマルコーニに直せば○。
241:×。19世紀ではなく20世紀です。
242:○。
243:○。
244:×。第一次世界大戦の誤りです。
245:○。



●現代


246 1955年のラッセル=アインシュタイン宣言をきっかけに、57年にパグウォッシュ会議が開催され、核兵器に反対する科学者が集まった。1986年にチェルノブイリ原発事故が起こり、ソ連のペレストロイカ(情報公開)につながった。
247 人類初の人工衛星はアメリカ合衆国によるものである。初のラジオ放送は第二次世界大戦後のことである。
248 コンピューターは第二次世界大戦中の軍事技術が転用されたもので、1960年代にはインターネットが普及した。
249 トマス=マンはスペイン内戦に義勇軍として参加し『誰がために鐘はなる』を発表した。ガウディはスペイン内戦の際のドイツによる空爆を題材に「ゲルニカ」を描いた。
250 アメリカで、黒人音楽がジャズからロックに発展し、1960年代にはイギリス出身のバンドであるビートルズが世界的に流行した。









246:×。1文目は正しい。しかし2文目の情報公開は「グラスノスチ」。
247:×。「ソ連」のスプートニク1号(1957)の誤り。また、初のラジオ放送(民間企業の商業放送)1920年代のアメリカ合衆国が初でした。
248:×。「軍事技術が転用された」は○。しかしインターネットの普及は1990年代以降です。
249:×:トマス=マンは、ヘミングウェイの誤りです。またガウディは、ピカソの誤りです。
250:○



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