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作品について

こんにちは。読んでいただきありがとうございます。少し解説、言い訳?するようではありますが、最近書いたものではないので、執筆の背景について付記しておきたく記事を書いてみました。

この小説は、執筆時期などを自分でも忘れてしまっていたので今回、古いデータを探してみましたら、2002年に書いていたよう。一連のシリーズものなのですが、1995年から書き始めて、何らかのスイッチが入り、2002年にそれらのシリーズで足りていないエピソードを補完するべく、幾つか作品を書いたうちの一つが、この「水の男」でした。

そして最後のまとめとして、『聖娼』という長編を書いて、シリーズをしめくくったのも2002年でした。探してみると、2006年に掲載していたこのようなページを見つけました。少し記憶も蘇り。。

当時運営していたショップやサロンのHPのかたすみで、掲載していた時期がありました。

語り出すととても長くなるので今日のところは控えますが、手短に。(笑)

20代の私の執筆テーマは幾つかあり、歴史や考古が好きだったのでそれらの創作の準備をしつつ、まだその力量や引き出しは足りず、自分自身の引っ掛かりを解くために、今まとめるならばセクシャリティ、について書いていました。と言っても、少女漫画的なセクシャリティであり、この世的なものというよりは、観念、概念、哲学、的なセクシャリティだったと思います。

萩尾望都さんや、フランスの女流文学にインスパイアされ、耽美で(非現実的なと言われそうな)芸術または神話の世界に入り込むような空気感が好きでした。自分の中にあるそんな世界観を、表に出したかった。そしてまだ若い二十代だったので、そんな自分の内側と、外にある世界のギャップにたくさんの「なぜ?」がまだまだ渦巻いていた。それを整理する必要があって、上にリンクした一連のシリーズを書いて。

その中で、主軸となる女性陣の恋愛相手として登場する男性たちについて、前章、前段階の物語を(何というのでしょう、そういうの.. プレストーリー? プレヒストリー?)書きたいと思っていた。最初の長編を描き始めてから7年目にして、ようやくスイッチが入り、一気に筆が進んで書き上げたのがこの「水の男」でした。

その後、書いていた超古代の歴史幻想小説でも、私の作品には非現実的なキャラクターが男女ともに登場します。実際に超古代ものだと実は人間ではなかった、ということもありますし、その後の作品でこちらの和樹などは人間化していく、そういうキャラクターもあります。

筆を置いてから20年、いわゆる「スピ系」の仕事をしてきて思うのは、非現実こそが現実的である、今はちょっとアップサイドダウンな世界を我々は生きているのだということ。地球の長い長い歴史からすると、今の我々のような世界観や思想、生き様は、ちょっと異例で「普通ではない」のかもしれない。

ミュージカルが「とても現実的である」と以前どこかで書いたことがありました。人間の心や感覚は、表に出る行動や言葉が真実とは限らない。いや、生身の気持ちや潜在意識が、そのまま表に出ている人なんて恐らく滅多にいない。それを思えば、生じるままを歌やダンスに置き換えているミュージカルは、まさしく「現実的」なのだろうと。本当にそう思います。

そんな訳で、20代のような、セクシャリティへの興味関心も落ち着いて(不思議なほど、このシリーズを書き上げて、次の超古代の女性性にスポットを当てた2作品を書いたことで、全く自分の「引っ掛かり」や「こだわり」ではなくなり)、今これから、小説を書いたって、色恋さえまったく出てこないのでは.. と思ってもいます。ゆえに、当時の自分にしか書けなかったもの、として、モニュメントとしてこちらに挙げてみました。

第一話のトップ「あらすじ」にも書きましたが、1990年代、世間からコロンとはみ出して、フランス文学や美しい少女漫画的恋愛風景に、自分に響く「真実」を感じていた。そんな空気を、楽しんで頂ければ幸いです。

読んで頂き、ありがとうございました。
超古代作品も宜しければ覗いてください。


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