ジェンダーを学ぶ生徒が見る教育現場 by 高畠把留 / 清教学園高等学校(大阪) #ジェンダー平等を実現しよう

画像1

(前書き)
せかい部×SDGs探究PJの募集要項を見た時、胸が躍った。「俺がやりたいのはこれや!」「これに青春をささげよう!」と心から思えた。まずこのPJを企画・運営してくださった、桜木さん、西川さんをはじめとする多くの関係者のみなさん、本当に貴重な経験をありがとうございました。そして、新型コロナウイルス感染拡大の中でやり場のなかった「私が日本を変える。」「私がせかいを変える。」という思いを解き放つ場をいただいたことに感謝いたします。私はコロナウイルス感染拡大について否定的な感情を抱いていない。というよりかは抱かないようにしている。亡くなった方や、重症の患者様がいる中でこういうことを言うのは不適かもしれないが。私はこのコロナ禍でオンラインの強みを感じた。今までならば、全国の素晴らしい同志たち、先生たちに出会おうと思えば、電車やバスや飛行機など何時間もかけなければならなかった中で今回のPJのように全国津々浦々の素敵なメンバーたちと情報端末1つでつながることができたことは、この時代に生まれてきた特権なのかなと思う。そんな最先端のこの探究PJに参加できたことを誇りに思うし、これからの糧となっていくでしょう。本当に貴重な機会をありがとうございました。

画像2


(テーマの決定)
 私はこのレポートのテーマを決めるうえで自分にしかできないものにしたいと考えた。そこで3つの自分らしさを掛け合わせることにした。まず一つ目は、多様性への興味。私はあなたではない私だという強い思いが常に私の心の中には存在している。型にははまりたくない。それは社会から見れば邪魔な存在かもしれない。しかし私は、誰にも縛られるべき存在ではないし、私がせかいを変えていくと強い信念を持っている。その上で生物学的な多様性も大切だとは思ったが、まずは文化的な多様性について探究したいと考えた。二つ目は、私はもとより教育というものに興味があったということ。私は小学校、中学校で心の底から尊敬できる先生に出会ったことがなかった。しかし、高校受験の塾に通っていた時に多くの素晴らしい先生たちと出会うことができた。それが私の人生を変えた。小手先の技術を伝えるだけでなく、「人間としてどうあるべきか。」と根本的な教育を受けて、私は「これこそ教育だ。」と素直に思えた。またこの出会いから、人を変えるなら、社会を変えるなら教育からだと私は考えるようになった。そして三つ目は、高校生であるということ。中には「所詮高校生だろう。」「「高校生に何ができるんだ。」とあざ笑う大人もいるかもしれない。しかし、私は夢を持った力強い高校生であると訴えたい。高校生の若いエネルギーは社会を変えうるし、高校生だからこそできる発想などもあるだろう。以上三つの自分らしさを生かしたテーマ「ジェンダーを学ぶ生徒が見る教育現場」なら自分らしいレポートの作成ができると思う。なるべく読みやすいように工夫を施すので肩の力を抜いて読んでほしい。ではそれぞれのシーンへ。

画像3

(本題)
◎Scene1
先生:「○○君!起きているか?」「○○さん!この問題はどう解くんや?」
男子:「はーい。」
女子:「こうやって解きます!」

画像4

ここに私のジェンダーセンサーは反応しました。男子に対して「君」、女子に対して「さん」の敬称を用いるのはなぜなのだろうか。ましてやこんなシーンも何度か見かけることがあった。教師がまだ生徒の名前を憶えていないときに「○○さーん」と指名をして返事をしたときにその当てられた人が男子だったのに気づいて教師はこういった。「ごめんね、○○君だったね。」と。この発言から教師は敬称に男子、女子の意味合いを込めて読んでいることが確認できるだろう。もしLGBTQIA+の生徒がいた場合その子たちはこの敬称の使い方に対してどう感じるのだろう。こう感じる人もいるのではないだろうか。「私の性自認は女性なのに、君付けで呼ばれるのは違和感。」「私は男性として生きているのに、みんなと同じように君付けをしてもらえないのが少し寂しい。」など。ほとんどの人が小さいころから長い時間を過ごす学校という場の先生たちが気配りをできていないのはいかがなものかと思う。性というものは打ち明けにくいものなのだという現状で、若者が自分の性についての悩みを深めてしまうことは、将来の日本の状況の低迷にもつながりかねない大問題であると私は言いたい。先生方には「私が生徒たちの将来を、日本の将来を形作っているのだ。」という意識をもって生徒に接してもらいたい。そして私は全員が持つ性を大切に、かつオープンにできる社会を目指している中でのこの古臭い習慣には終止符を打つべきだと心の底から思う。

そこで、生意気ではあるが私からこんな提案をしたいと思う。
「全員を呼び捨てにする」ということ。

これは目上の人を敬い、語調に気をつけている日本人からすると気持ち悪いことなのかもしれない。しかしこの壁を打ち破れば、人生で最も聞くことであろう単語の「自分の名前」にトラウマを抱える人が激減すると思うのだ。誰もがストレスを感じることなく生活するということこそ多様化の大前提であると思う。そのうえで呼び捨てにすることのメリットはいくつかある。まずは自分の性自認とは違う敬称に頭を悩ませなくてよいということ。そして呼び捨てにすることでコミュニケーションをとる相手との距離感が近づき、互いにとっての存在価値がこれまでより高まると思う。日本人は内気な人が多いという現状で、コミュニケーションが増えれば、日本の産業が向上していくことに違いないだろう。これらの理由から私は敬称を廃止し、呼び捨てでコミュニケーションを図るのが最善の策だと思うのだ。しばらくは受け入れられそうもない意見かもしれないが、これが当たり前になる世の中も近いような気もしてならない。それくらい社会の移り変わりは早い。

画像5


◎Scene2
 先生:「この問題解ける子おるか?」
 男子:「はいはーい!」
 女子:「・・・(沈黙)」

このような状況もよく見られるものであろう。これは特に小中学校で顕著に表れる現象であると思う。男子が積極的であり、女子がおしとやかでなければならないと決められているわけでもないのに、こういったことが起こる。
また、こんなこともある。木村涼子氏の「教室におけるジェンダー形成」の中のデータに面白いものがあった。小学5・6年生を対象とした質問紙調査で、「学校でのあなたのようす」についてたずねた。

画像6

すると、授業中の活動量は女子の方が11.1%も少ないと感じる人がおり、また、多いと感じる人は女子の方が9.6%も低い。それを生み出す原因として考えられる教師の働きかけの量も、女子の方が男子に比べて25.7%も少ないと感じ、多いと感じるのは女子の方が11%低かった。ここから教師の働きかけの少なさが教室内のジェンダーの問題を生み出しているように私は感じた。実際、私は小学校、中学校、高校、塾とさまざまな教育機関の授業に参加してきたわけだが、このデータに大きくうなずける。男子を指名して面白い誤答が得られたらラッキーだと思う教師も少なくないのかなと考えられる。男子なら嘲笑しても笑い飛ばすし、女子なら心に闇を抱えてしまうかもしれないという配慮からの行為なのかもしれない。しかし、その指名した子の外見の性と自認している性には乖離があるかもしれないし、それを悩みとしている可能性も大いにありうる。また、「男子だから、女子だから」というのは変な話だ。NWECの佐野敦子先生の講義(「ジェンダー平等を実現しよう」第一回のプログラム)で、「男でも女でもいいじゃないか。ひとりの人間として扱おう。」という言葉があったが、私はまさにその通りだと納得したし、それがあるべき姿だと確信した。私はそこまでの配慮をして授業中の指名をしてほしいと思う。この教室内を男子が支配している現状を打破するためにこんなことを提言したい。一日にクラス内の全員がどの授業でもいいから発表を一度はする。2回目に同じ生徒を指名するのは全員が一周発表を終えてからにする。これをおこなうことでさまざまな良いことが生まれる。例えば、全員がクラスでの活躍に気づけ、自分の力のなさを感じることなく学生生活を過ごすことができること。私は、学生時代にどんな経験をするかが将来の人生を大きく変えると思っている。だから、学校で成功体験や失敗体験を増やし、自分らしさを受け入れられ、受け入れることは大切であると思うのだ。他にも、これをすることで多様性を守る教育につながると思う。全員が手を挙げ、自分の意見を発表することは大きな意味を持つ。自分はこんな人間なんだとアピールする力を伸ばし、コミュニケーション能力も飛躍させることができる。もちろん発表が苦手な人もいるだろう。そこはその生徒と話し合い、少しはクラスで活躍を実感してもらえるように柔軟にルールを変え、取り組んでみてほしい。それぞれの回答に対して、生徒同士でフィードバックをしてみても面白いだろう。ひとりひとりの意見が形作る教室に私は強い憧憬を抱く。

他にもたくさんのジェンダー問題が教育現場には存在したが、それらは軽く紹介するに留めよう。席替えの際に半の中の男子の人数と女子の人数をそろえる、男子は文系で女子は理系に進む人が多い、名簿に男女で色分けをする。他にも数多ありますが、ここでやめておく。これ以上挙げると日本の現状に目を閉ざしたくなるからだ。しかし、私の周りの生徒からこんな発言を幾度か聞くことがあった。「今、あまりジェンダーの問題を感じにくいよね。」「自分とはあまり関係のない問題だと思ってしまう」と。実は、あふれかえっている日本の教育現場のジェンダーの問題に気づきにくい状況にある。これは非常に危険な状況だと思う。よく考えればおかしな問題なのに、それに気づけないということには、洗脳的な怖さを感じてしまう。「これが当たり前だから。」と歩調を合わせる現状は妙で気持ちが悪い。これに気づくことができ、変えていくことができる能力を育てるため、もっと性教育を盛んにすべきだと私は思う。私自身、しっかりと性に関する教育をほとんど受けたことがない。日本では性教育が中学生だと、年に3時間程度しか行われないそうだ。それに対してアメリカなどでは、年に45回程度の性教育の授業が行われるそうだ。このデータを見ると性の問題が産業の発展の舵となっているようにも思える。全員が活躍できる社会を目指すことで、働き手が増え、産業が盛り上がるのだと思う。この好循環を生むためにも日本は性教育先進国になるべきであると訴えたい。最近では妊娠中絶の話題がニュースに上がることが多いが、正しい性教育を受けることができれば防ぐことができる問題なのかなとも思える。

(まとめ)
 ここで私のレポートもまとめに入りたいと思う。私がこんなにダラダラと偉そうにものを書いてきたのには理由がある。私は親から授かった大切な命を中途半端な形で終わらせたくない。自分にしかできないことを自分らしく成し遂げて、自分を愛して死にたいと思うのだ。

画像7

画像8

私は野田聖子さんの講義の時にこんな質問をした。「自分らしさって何ですか?」と。
野田さんはこう答えた。「背伸びをしないことだ。」と。
私はすごく納得したし、この言葉をあの日から心の中心において生活をしている。そこで私はこんなことに気がついた。背伸びすらできない人っているんじゃないかって。私は背伸びをしすぎていたようだったが、自分の本心をうまく表現できずに縮こまってしまっている人もいると気づいたのだ。私はその時すごく申し訳なくなった。そこで私は全員が笑える社会を作ろうと思った。そんなの理想論であるのは知っている。自分一人で変えることができないのも知っている。でも、自分だからこそできることがあることも知っている。私が動かなかったら周りを動かすことはできない。私が動いたら誰かを動かせるかもしれない。そんな思いをもって、これからも私はジェンダーの問題を入り口として、せかいの多くの問題で苦しむ人を一人ずつ救っていこうと思う。私にとっての自分らしさを見つける旅の途中で。
 

木村涼子氏「教室におけるジェンダー形成」5頁,表1を引用
→https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds1951/61/0/61_0_39/_pdf

若者たちの性事情と世界の性教育
→https://jp.sofygirls.com/ja/family/puberty/young_gender_01.

清教学園高等学校(大阪) 高畠把留
#せかい部 ×SDGs探究PJ 高校生レポーター(ジェンダー平等を実現しよう)


#せかい部   #せかい部sdgs   #ジェンダー平等


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?