見出し画像

周山街道をゆく chapter3-2 常照皇寺(2)


→chapter3-1 常照皇寺(1)

バスは常照皇寺前(山国御陵前)に着いた。

「着きましたよ。この道を山手の方に行けばすぐです」と老運転手は親切に教えてくれた。

周山バス停〜常照皇寺までルートroute

「帰りのバスはどこで乗ればいいですか?」と尋ねた。そのことは確認しておかなければならなかった。

「向かいのバス停です」と答えた。
「ありがとう」お礼を述べた。

バスが出発した後の空間を見ると待合所のようなバス停が見えた。
次は何がなんでも京北病院行きのバスに乗らなければならなかった。
40分後!、僕は時計を確認した。

常照皇寺山門付近

常照皇寺へは車1台が通れる位の道を100mくらい歩くと広い駐車場があった。その先にある石段を上がると左側に折れる。さらに石段が続く。渋い門を潜り、庫裡に受付があった。この寺は南北朝騒乱期に光厳上皇(法皇)が世情に嫌気が差して遠く京より離れたこの地に隠居所を構えたのが始まりとされる。その後、織田信長より丹波平定を命じられた明智光秀と丹波の国衆との戦の中で焼失し、後水尾天皇や徳川家康・秀忠によって再建されたと伝わっている。京都市北部の名刹である。

余談ではあるが、明智光秀がどのように丹波平定したかは資料が少ない。只、2017年京都市埋蔵文化財研究所は周山城の大規模な測量調査を行った。それにより周山城は城郭ファンが飛びつくような巨大な近代城郭であったことが明らかになった。近江坂本から山中越えを経て紫野から鷹峯、さらに京見峠を越え高雄から周山に入る補給物資を確保できるルートである。巨大な城を造ってまで周山を拠点としたのは、京都にも近く、又まだ織田方に屈服していない丹波
・丹後・若狭の国衆の背後を抑えることで睨みを利かせることができると考えたのではないだろうか? その後明智光秀が山崎の合戦で敗れて後、羽柴(豊臣)秀吉軍は約2年間、軍事拠点として活用したものの、その後、廃城となり、人々の記憶から消えた。尚、周山という地名は明智光秀が古代中国周王朝武王の武功になぞらえ改名したと伝わる。

常照皇寺 庭園(碧瓢池)

常照皇寺は桜・紅葉の季節には京都の隠れ里として観光客がやって来るが、それ以外の季節はまばらである。

常照皇寺の石畳の通路


入口は禅寺らしくとてもシックchicである。

常照皇寺 受付のある庫裡

40年位前の薄っぺらい記憶だが、前回坐禅体験で訪れた時はもう辺りはすっかり日が暮れていた。そのため全く境内の記憶がない。しかし開山堂(座禅道場)に入った途端、タンスの奥にずっと仕舞い込んでいた記憶が鮮明に甦った。この場所で初座禅を組んだのだ。

開山堂に入るなり住職は、トイレに行きたい人は行っても良いと言った。坐禅が始まればトイレには行けないからという親切心からだろうが、何人がトイレに行くのか見定めるような目でこちらを見た。すると僕を含めほとんどの者がトイレに行った。

座禅を組む場所は腰くらいの高さで座るのにはちょうど良いくらいの奥行きの設えが横一列、さらに向かいにも同じ設えがあった。

当時と何ひとつ変わっていない。

それぞれの座布団が置いてある所で座るよう言われた。住職は座禅は初めての人は手を上げるように言った。ひとりを省いて全員手を上げた。『坐禅初心者ばかりか』、住職の納得したような顔が垣間見えた。

そして自ら脚の組み方を形にして示した。ひとりを省き全員が正あぐらが満足に組めない者ばかりでひとりひとり懇切丁寧に手解きした。そして全員が組み終わったことを確認すると次に警策(きょうさく けいさく)で背中を叩かれる時のポーズについて説明があった。最後に呼吸法の説明があった。そして住職の合図のもと、呼吸の練習が始まった。

「息を吸って、吸って、吐いて、吐いて、吸って、吸って、吐いて、吐いて」

これを数回繰り返した。吸って・吐いての間隔が回を重ねる度に長くなって行った。

開山堂


住職は照明を落とし、開始の合図の金の音を鳴らした。
開山堂はご法灯にも似たかすかな光を残し、あとは静寂と暗闇の世界に変わった。

住職が我々の前をゆっくりすり足で歩く音が耳に入った。
そのかすかな音が闇に消えていくようにだんだん小さくなった。
しばらくして今度はボリュームのつまみをゆっくり回し、
少しずつ大きくなるように少しづつすり足の音を聞き取り易くなって行った。
住職の所作からは長年禅寺で修行を積んできたであろう、どこか隙のない無駄のない達人のようなオーラを感じ取った。

吸って吸って吐いて吐いてを意識して務めるようにした。
何度も何度も

その足音がピタリと止まった。

僕は目を閉じていたので直接は見えないが、
音の方向だけで今から叩かれるのは誰なのか想像できた。
座禅経験があると唯一手を挙げなかった男であった。

パシ!
闇に響いた。
座禅経験のある男を最初に叩いたのは、手本を見せるためではなかっただろうか。

緊張が走った。
少し時間を置いてパシ!、又時間を置いて反対側でパシ!と次つぎと闇の中を走った。
いつ僕のところにやって来るのか、
来たらどのように対応したら良いか、
痛いのか、暗闇の中で不安だけが頭の中を巡った。

ともかくも呼吸を整え、瞑想することに集中した。
吸って吸って吐いて吐いて

どのくらいの時間が経ったのかはわからない。
最初は足のしびれを感じていたが、いつの間にか麻痺しカチンコチになった。

それから暫くして住職の足音が僕の前で止まった。
見破られない程度にほんの僅かに薄目を開けた。
やはり間違えない。

住職は僕の肩を警策で軽くポンと叩いた。
ついに来たか。
僕は教えられたとおり合掌のポーズを取り、
上半身を前かがみにして警策で叩かれるのを待った。

パチンという鋭い音が耳元に響いた。
音の割りには痛くはなかった。
大きく警策を振り上げ、体に当たるか当たらないかくらいの感覚で瞬間引き戻す、
お見事というべき太刀(警策)の入れ方であった。
再び合掌をし感謝の意を示した。

気を入れる、入る。
たった一発で背筋がピンと伸びた。

それから2回目の警策を警戒しつつ、瞑想に没頭できた。

どのくらいの時間がたっただろうか。
修了の合図の金の音が辺りに響いた。

暗闇を蛍光灯が辺りを照らすと研修生の達成顔が見えた。
住職は出口はこちらとばかりその前に立った
僕を含め多くの人が末端神経の感覚が失われ、すぐには立ち上がれなかった。

ほぼ全員が脚をもみほぐし、やっとの思いで立てたのは5分くらい経ってからのことであった。

出口で住職に感謝を述べた。
「ありがとうございました」
住職は開始前の鋭い眼光が嘘のような穏やかな顔で僕たちひとりひとりに会釈した。

脚がしびれて痛すぎた思い出しかない・・・。

chapter3-3 常照皇寺(3)→

iPADで書いてみた


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?