優しいインターネット
現実世界がSNSのように見える。
隣のデスクに座るお局様が小言を言う様子は、Xの裏アカウントで文春のURLを相棒に悪を裁いているネット住民がスマホから出てきてしまったみたいだ。
社会のいろんな人とインターネットで繋がれるのではなくて、インターネットに住んでいる人と現実でもつながらないといけない感覚。
過去の自慢話と趣味を熱く語る先輩の頭上にスマホをかざせば、ARでXのプロフィールが浮かび上がりそうだ。
〇〇大学野球部/都大会準優勝>>新卒リクルート/優秀社員賞最速ギネス>>スタートアップコンサル>>現在企業に向け準備中! 趣味サウナ/城巡り/クラフトビール/スパイスカレー/スノボ/学生時代はヒッチハイクで東日本制覇!
人生の経歴で聞いてほしい部分と、自分をどう認識して欲しいかに基づいた趣味が載ったXのプロフィール。
現実の延長線にインターネットの世界があったはずなのに、いつの間にかインターネット世界の延長に現実があるように感じられる。
普段は調子よく話しかけてくるあの女の子も、仕事の注意をするとすぐ不機嫌になってまるで聞こえてない様子。「不都合な存在は消しゴムマジックで消してしまうのさ!」
僕の存在は消されてしまったようだ。
インスタグラムの住民は”ワタシ”以外を全て背景にする。私を映えさせる背景かそれ以外か。人生の背景にそぐわないと判断されたら僕もあなたもすぐにコラージュで消されてしまう。
こうやって、現実世界に出てきてしまったXやインスタグラムの住人と生きるのが本当にしんどい。誰もが自分・自分・自分。
「自分の正義を主張、自分の見てほしい要素を羅列、自分以外は全て背景」SNSで認知可能になった人間の欲望だ。
意地悪な世界をSNS上で見ると現実世界も意地悪に見えてくる。
SNS上での世界認識に、現実の世界認識が引っ張られるのだ。
では、世界を優しく認識するためには、SNSで「世界は優しい人に溢れている」と認識すればいいのか。
noteを使っていて世界には確実に優しい人もいるとわかった。誰にも悩みがあって、日々いろんなことと戦って、誰にも言えない不安をnoteに吐き出している。それでも前を向いて生きようとしている。
食品売り場でカップスープと豚バラを抱えているこの人にも悩みがあって、何かと戦っていて、誰にも言えない不安を抱えているのではないか。そんな環境の中でも他人と協力しながらこの社会を成立させようとしているのではないか。そんなふうに想像できるようになった。
Appleが初代iPhoneを発売したのが2007年。それから随分経った。先日ついにApple Vision Proも発売された。
現実とバーチャルの境界線がますます曖昧になり、インターネット上の世界が現実世界にも大きく影響を及ぼすようになった。
”優しさ”を守るためにはインターネットの使い方や使うメディアを意図的に選択する必要があると感じている。
優しいインターネットの誕生を待つ。
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