
コミュニティをシェアする。│シェア式#3
「コミュニティ」
さまざまなところで使われる言葉です。
またその時々で意味合いの変わる言葉でもあります。
一般的には、「同じ共通点を持つ人びとの集まり」だと言われている。
簡単なようで、なんともむつかしい。
実体がなく、つかみどころがない。
あなたは、どんなコミュニティに属していますか?
どのコミュニティの人間だと、胸を張って言えますか?
「社会人は出会いが少ない」
そんなことがしばしば言われています。
大人になって、自由になって、じぶんの判断でいろんなことが選べて……
なのに、新しい人と知り合う機会は少ない。
そんなのって、なんだかさみしい。
都会暮らしは快適で、無機質で、孤独なイメージが付きまといます。
だから人は行きつけの飲み屋を探し、異業種交流会で名刺入れを膨らませ、「じぶん探し」とばかりに旅行に繰り出す。
そうした「コミュニティさがし」について、ぼくは否定的ではありません。
じぶんもこれまでそうしてきた過去があります。
ただ、そこまでしなければじぶんの居場所はないのでしょうか?
もっと身近に、じぶんが暮らしはたらく環境に、コミュニティを求めることはむつかしいのでしょうか?
そんなことはないと、ぼくは思います。
マチに出よう。
本来、マチと暮らしって、混じり合っているものです。
暮らしはたらくなかで、多くの人たちと出会い、語らい、深め合うもの。
それが、マチのコミュニティだとぼくは思います。
マチに出よう。
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今にわかに人気を集めつつあるエリア、イーストトーキョー。
下町の文化あふれる、どこか新しい風の吹く地域。
景観や町並みだけがマチではありません。
そのマチを形成しているのは、そこで暮らしはたらく人たちの営み。
「Neue Kuramae」のある蔵前エリアにいると、気がつくことがあります。
このマチの人たちは、みんなじぶんたちのマチが大好きなのです。
蔵前で生まれ育って、死ぬまでここにいたいと願う人。
蔵前の魅力に惹かれて、暮らしやしごとの拠点を移した人。
好きで通っているうちに、なんだかこのマチの住人のようになってしまった人。
さまざま。
それぞれに共通するのは、この蔵前というマチをまるでじぶんのことのように自慢するときの笑顔です。
さぁ、マチのコミュニティに一歩踏み出そう。
Neue Kuramae
マチをシェアするシェアハウス始めます。
【入居者募集中】
https://www.facebook.com/neuekuramae/
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