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2024年 積雪の季節と現像フェーズ

どうも、せいしゅうです。リハビリ兼ねて久しぶりにまとまった文章を書いてみようと思います(※注 所謂お気持ちnoteです!)

昨年末にnoteで隠居宣言(?)をしてから、気づけばもう1年。2023年が「清算」の年ならば、今年は「巻き上げ」の年だった。撮り切ってしまったフィルムを巻き上げるように、これまでしてきたことや考えてきたことを自分の中で内省し、気持ち的にも物理的にも整理するのに1年近く掛かってしまった。

自分の中でガシャガシャと崩れてしまったものをひとつひとつ拾い集めながら、手元に残ったもので自分を再構築しようとする時間。

その時間をたっぷり設けられたのは贅沢なことだなと、いま振り返ってみれば思う。こんな歳になってそんなモラトリアム状態を許してもらえる環境、恵まれてしかないよなあ。

けれど、朝起きるたびに、間違えてきてしまったのかもとか、間に合わなかったんだなとか後悔みたいなものを反芻する日々が続いているうち、自分が何をしたかったのか分からなくなったり、何をしていても楽しいと思えなくなってしまっていた。

それでも、生きていくためには何かしていく必要がある。
シーズンを重ねてこなれてきたリバーガイド業や、いまのスキルの範囲内で無理のなさそうな撮影・制作業をしながら、あとはけっこう、というかかなりのんびりしたり、自分の生活や暮らしを整えたり、これまでとこれからを考える時間に充ててきた。

そして、自分がどんなときに感情が動くのか、何ができるのか、他者とどう関わっていくのが良いか、これからどうしていくのがいいのかを、ひとつひとつ手探りで確認しようとしたり、取り戻そうとしてきたように思う。

そうこうしているうちに、気づけば時間が経って雪が降る季節になり、だんだんと後悔することや足踏みしていることに飽きてきてしまった。

単純にどうしようもないし、めんどくさい自分にめんどくせーって言えるくらいには元気になってきたからかもしれない。笑

ここやそこにあった思い出や可能性たちは、雪が積もっていくように時間の経過が少しずつ覆い隠していく。その上を何もなかったかのように誰かが新しい足跡を付けていくだろうし、きっと自分もそうしてきたんだろう。

そのことに対してのさみしさはそれぞれ少しずつだけど手離れしていき、代わりに新しく軌跡を描いていこうとするときのワクワクした気持ちがゆっくりと戻ってきた。雪が降った次の日にスキーへ出掛けるときみたいに。

そんな気持ちになってきた今だからこそ、おざなりにしてきたものを取り戻すように、これまでやってきたことや考えてきたことをアウトプットする「現像フェーズ」に移行したいと考えている。

撮りきったフィルムを巻き上げ終わったなら、それをいつか自分や誰かが見返すことができるように、あるいはそこにちゃんと在った証として現像して形に残しておきたいから。

それは過去にしがみつくような行為ではなくて、現像することでひとつの工程を終え、新しいフィルムを装填して"次"を始めるための準備なのだと思っている。

周りの人たちがどんどん進んだり変わっていくなかで悠長な考えなのかなとも思うけれど、自分の置かれてきた文脈を捉え直してみることがこれからの手掛かりや道しるべになってくれるんじゃないかなと思う。

そして、これからはこれまでの自分のやり方や考え方も変えていかなくちゃ、という気持ちも芽生えている。

自分の中にあった面倒くさい考えとかこだわりみたいなものは少しずつ置いていって、誰かの力も借りながら人生を拡張したり軌道を修正したりして、これから生きていくための設計図を書き直していけたらいいな、と。

そんなにいきなりドラスティックには変えていけないだろうけれど、そのきっかけをずっと探しているような気がするし、自分の内からも変わっていこうとしている気配がある。誰かのために生きれたらいいよな。

来年は、もう2025年っていうらしい。なんだか未来的な響きに聞こえるのは自分だけだろうか?笑 もう始まりつつある次の区切りが、同じ場所に生きる皆にとって希望ある変化に満ち満ちたものでありますように。

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