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♯4 あなたは「運」のいい人?

「幽霊っているの?」「運の正体とは?」などと思ったことは誰しもあるはず。そんな“目に見えないもの”にまつわる素朴な疑問や、仏教に関する知識を、SNS等で人気の僧侶、仁部(にべ)兄弟がゆるく解説。ふたりの掛け合いが楽しいインターネットラジオ「お寺ジオ」の配信内容をベースに、加筆・再構成してお届けします。

「運」を嘆く時点で、運がいい!?

●兄・前誠 埼玉県にある上原寺(じょうげんじ)の副住職兄弟ふたりで、お坊さんならではのディープな話題をお届けしていきます。私が兄の仁部前誠(ぜんじょう)です。

○弟・前叶 弟の前叶(ぜんきょう)です。よろしくお願いします。

●前誠 こんな質問をいただきました。「私はとにかくずっと運が悪いです。運を良くするにはどうすればいいですか?」

○前叶 なるほど。これは切実な問題だね!

●前誠 どの程度、運が良いか悪いかっていうのはなかなか判断しづらいのだけど、率直にいえば「運のせいにできている時点で、運が良い」と思っちゃう(笑)。こういうご質問が届くのは、いろいろと大変なことが起きているからだと思いますが、それを「運」と結びつけていられるうちは、まだセーフだなと。
自分自身の中に原因を求めてふさぎ込んだり、どうしようもなく自分を責めたりするよりは、もう全部、自分の外側の運という漠然とした何かのせいにしちゃう。

○前叶 「今日は運が悪いからしょうがないっ!」的な感じで。

●前誠 そうそう。

○前叶 ちょっと言い方が雑だったけど、要するに「そんなに悲観的になるほどではないのでは?」ということ。この話を聞いて、「あ、そっかそっか」と納得して、少しでも気が楽になっていただければいいかなと思いますね。

●前誠 そうだね。「“開運”北辰妙見大菩薩(ほくしんみょうけんだいぼさつ)」を祀る上原寺としては、「運」は外せないワードなんだけど、まず、そもそも運の正体ってなんだろう? っていうところから。

埼玉県杉戸町妙見山上原寺に奉安されている妙見大菩薩

○前叶 核心だよね、これはね。

●前誠 そう、前提としての「運というのはこういうこと」っていうのを、最初にお伝えしたくて。私の考えだと運とは「めぐりあい」のこと。そして幸運だとか不運というのは、その「めぐりあいによる結果に対しての、気持ちの表し方」です。

○前叶 主観的な評価ってことだよね。

●前誠 そう。目の前の出来事に対する、自分の気持ちの表し方です。それ以上でもそれ以下でもない。人は目の前の出来事を受け止めるために、ラッキー/アンラッキー、幸運/不運などの言葉を使って、ラベリングします。

○前叶 なるほど。評価を下したい。

●前誠 だから「運を良くしたい」場合は、「運が良いと思うことができるかどうか」がカギになる。「運が良い」と思っている人は、運が良いポイントによく気づく。運が悪いと思っている人は、どこまでも運が悪いポイントによく気がつくんです。
その点、仏教的にいえば「自分が現在受け取っている縁、縁起という因果関係」を見つめることが大切になります。「原因があれば結果がある」そして「何ひとつとして独自に存在するものはなく、すべての事柄は、必ず他との関係において存在する」というように、すべての事象は、この縁起の関わり合いで成り立っているからです。

○前叶 第2回の「縁」の話が、ここで効いてくる。

●前誠 そうそう! 

「運」をよくする、たった1つのポイント

●前誠 「目の前にもたらされた結果に対しての、気持ちの表し方」が運勢の良し悪しだとすると、「自分は運が良い」と思うためには、自分が受けている縁がどれだけ奇跡的でありがたいものか「気づくこと」がすごく大事なんだよね。

○前叶 確かに。

●前誠 日蓮聖人(にちれんしょうにん)のお言葉を借りるなら、「知恩報恩(ちおんほうおん)」。恩を知って恩に報いるということで、現状に感謝すること自体が、その現状を生み出す要因を見つめ直すことになる。

○前叶 うんうん。

●前誠 自分の日常とか現状をよくよく見つめ直すと、いろいろな要素が絡み合って成されているわけじゃない? その「絡み合っているものをほどいていく行為」、見つめ直す行為というのが、縁に向き合う行為なんだよね。

○前叶 なるほどね。

●前誠 そういう自分以外の「他」を大切にする姿勢が、縁起の網目のような繋がりをめぐりめぐって「運」という、人智の及ばない不思議な「めぐりあわせ」として自分に返ってくることに繋がるのかなと思う。
その縁を開いていく行為こそが、運を開くこと、開運に繋がるんじゃないかな。

○前叶 要するに、感謝するものの対象っていうのは、あくまでも自分の足もとというか、自分が積み重ねてきたもの。いまあることを当たり前だと思わずに、一つずつ丁寧に感謝していくことで、それがもう「縁に気づく」ということになって。縁が広がって、新しい縁も入ってくるし。
そういう姿勢自体が開運ということになるのかな?

●前誠 だと思うんだよなあ……「これです」ということはないんだけど、そういう姿勢が大事なのかなと。妙見様は北極星を神格化した尊格で、道筋を照らすとか、道しるべという役目がある。
だから、道筋を照らすってことは、やっぱり「縁を照らす」ことで。このように「縁」に気づかせてくれる。

○前叶 結果的にそれが開運に繋がるよっていうことだよね。

●前誠 そうそう、それを言いたい。自分が普段どれだけたくさんの縁に支えられて生かされているか。そこに目を向けて感謝することを習慣とすれば、おのずと日常の中で、「運が良い」と思える自分になっていく。そこまでくれば、単なる当たり前からも幸運を紡ぎ出せる。
だから幸運というのは、普段から私たちの足もとにちりばめられているものなのかもしれない。そんなイメージです。

「運の良さ」と「幸福」はあまり関係がない

●前誠 ちょっと抽象的かもしれないけど、「幸運」と「幸福」って違うよね?

○前叶 「信用」と「信頼」は違う、みたいな? わずかな差だけど、明らかに違う。

●前誠 他者のことを「あの人は幸運だよ」「運がいいよ」とか言うけど、それが必ずしもその人にとって「幸福」に繋がるとは限らない。

○前叶 そうだね。本人が思っていないかもしれない。

●前誠 だから、「運が良い・悪い」などを人と比べたり、羨んだりするっていう行為は、もう“マジで無意味なこと”(笑)。
それよりも目の前の出来事に対して感謝する姿勢というのが、自分の幸福度を増すんじゃないかな。

○前叶 つまり、「幸福かどうか」っていうことに、実質的に運はあんまり関係ないってことだよね。

●前誠 そうそう。むしろ「幸福だからこそ、そのことに対して運が良いという風に思える」のではないかなと。

○前叶 おー(笑)。

●前誠 なかなか難しいテーマでしたけど、これからも掘り下げていければと思います。この連載とのご縁も、今後とも大切にしていただければ幸いです。

○前叶 ありがとうございました。合掌。

仁部 前誠(にべ・ぜんじょう)
1988年埼玉県生まれ。立正大学仏教学部宗学科卒業。妙見山上原寺副住職。2012年より日蓮宗宗務院に奉職。2016年、日蓮宗加行所初行成満。2020年よりRadiotalkにて、弟の前叶氏とともに「midnight temple radio お寺ジオ」を配信。僧侶としてのモットーは、「法華経の話はほとんどしませんが、すべては法華経の話です」。 最近では、『あなたは尊い 残念な世界を肯定する8つの物語』(漫画・やじまけんじ/監修・佐渡島庸平×日蓮宗/徳間書店)制作プロジェクトに参加した。
https://twitter.com/nibe_zenjo

仁部 前叶(にべ・ぜんきょう)
1991年埼玉県生まれ。立正大学仏教学部宗学科卒業。妙見山上原寺副住職。さいたま浦和地区保護司。2015年、日蓮宗加行所初行成満。2020年、仏教死生観研究会「死の体験旅行」講師を務める。同年、上原寺別院「祈誓結社」を設立。”ほとけ様との架け橋“であることを目指し、命の強さと有り難さについて伝えるべく活動している。
https://twitter.com/6SYAKU_HOUSHI