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それでも人とつながって 013 酒天2

『あの日追いかけてきた恐いおじさんの名前を僕たちはまだ知らない』


「なんで逃げないかね」
幼馴染である友人の一人がスマートフォンをいじりながら呟いている。
少し憤って居るような様子になんのことだろうと尋ねてみると「逃げちゃえば良いのに。ここまで異常に従順なのは何なんだ。逃げようぜ」とこちらへの返答でもなく、誰に語りかける訳でもないように言葉を発した。

一体なんだろうと友人のスマートフォンを覗く。
ある少年事件のニュースを見ているようだ。
内容を斜め読みしてみても、いじめ・・・では余りにも軽すぎる表現である内容の事件の記事だった。
一人の少年の命が。良く分からない理由で消えたことが書かれていた。

記事を読み終えた友人が「今までいろんなものから逃げたよな」と言う。
ん?いろいろあったと思うけど。急に何?そう返すと
「覚えてるか?」と一つの共通の昔の思い出話しを始めた。

自分達が未だ思春期を迎えるかどうか程度の年齢の頃。
日曜日。いつものようにブラブラと皆で他愛もない時間を過ごしていた。
とても暇でとても暑い日だった。道路の向こうの景色が揺らめいている。
誰か一人が「あっ、良いもの見つけた」といって少し小走りになり、道路に落ちていた何かを拾った。なになに?と皆で近寄って取り囲む。

その一人の友だちが手にしていたのは、500円玉の倍くらいの大きさで真ん中に1円玉くらいの大きさの円い穴が空いていた。円盤状の金属。
おぉ何それ。すげえ。みんなの興味が惹かれる。
すると別のもう一人が「あっ!俺も見つけた」と小走りになり近くでそれと同じものを見つけて拾った。
それを切っ掛けに次々と近くに同じものを見つけて皆で拾い集めた。

なんだろうなコレ?と話すが金属の円盤状のそれが何なのかは分からない。
その道路沿いには鉄板でぐるりと囲まれた工事現場のようなものがあった。
コレが何かは分からないが工事に使う何かなんだろうなと想像がついた。

すると誰かが「これは手裏剣だ」と言って手に持っていた円盤状のそれをフリスビーを投げるような手付きで投げ放った。
一瞬。ビュッと風を切る音がしてフリスビーのように、でも圧倒的なスピードで飛んで行く。金属的な重さも手伝ってよく飛ぶ。
おぉぉ!すげえ!一気に場が盛り上がる。皆で同じことをし始める。

投げる回数が増えると段々コツが掴める。より速く遠くへ飛んで行った。
楽しくて皆が繰り返し繰り返しどんどん投げた。
夢中になっていると誰かの一投のあと「ガシャン」という音が聞こえた。
考えるまでもなくガラスが割れた音だ。そこにいる皆がピタリと止まる。
もう誰もその円盤状の金属を投げない。誰もの顔にヤバいと書いてある。

どうやら道路沿いに鉄板で囲まれている工事現場の中に飛び込み、それが中にあるプレハブのガラス窓に当たったようだ。みんな同じ想像をしている。
不思議とこういう出来事の後は皆で今まで何もしていなかったように落ち着いたような雰囲気になる。今までの騒ぎをピタリと止めて静かになる。
皆が何も起こらないでくれと思っていたはずだ。

暫く何事もない。このままこのまま。
皆で何事もなかったように静かに歩いてそこを立ち去ろうとした。
その時。
何か犬が走るような音が聞こえた。重さと肉感のある規則的な音。

ふと背後を振り返ると、そこには上半身裸でパンツ一丁の下着姿。
筋肉質で頭髪は無く恐ろしい目つきでこちらに走ってくるおじさん。
こちらと目が合うと「おるぅうあーっ!!」と雄叫びを上げている。
靴も履いていない。素足だ。素足で走ってこちらに来る!
なんか顔がすごく赤い。

ただならぬ気配に皆がほぼ一斉に気付いた。
早くもうち数人が駆け出しながら「逃げろっ!」と言った。
他のみんなもそれを聞き終わらないうちに我先にと駆け出した。

こわい。とにかくこわい。
あんな恐ろしいものに追われるなんて生まれて初めてだ。
皆が走りながら振り返り振り返り背後を確認する。
近くまで来ている。相当な速さだ。
素足でパンツ一丁。世にも恐ろしい目つき。頭髪がないことが余計に恐ろしさを増させている。顔は赤黒い。生きた心地がしない。
あんな恐ろしいものに捕まる訳にはいかない。

必死に。一生懸命走る。緊張感からなのか息が上がりそうになる。
こわくてたまらない。
なのに。なぜかたまに笑いがこみ上げてくる。ここで笑ったらおしまいだ。
もう走れなくなって、その後は自分がどうなってしまうか分からない。
しかしどういう訳だか笑いがこみ上げてくる。

「ぷっ」と誰かが吹き出して失速しそうになった。同時に自分の身体が急に重くなって思うように前に進まなくなる。
見ると吹き出してしまって失速しそうな幼馴染に掴まれているのだ。
焦りと怒りがこみ上げるが、すぐに自分も「うはっ」と吹き出してしまう。
可笑しくてたまらない。何故なのか分からない。可笑しくて仕方がない。

掴み合いは方々で起こり、あちこちで皆が吹き出している。
いつしか皆で笑いながら走っていた。気が遠くなるほど苦しいのに。

どれくらい走ったか。たぶん大した距離ではないと思うけど。
笑いながら振り返ると鬼のような形相をした上半身ハダカのおじさんは歩くようになった後で道路にしゃがみこんだ。
よし!こうなれば後はお互いの姿が見えなくなるまで逃げれば良い。
心に少し余裕が生まれて、どうやら逃げおおせそうな状況に喜びを感じた。

「昔あったよな」と友人。
そういえばあったなそんな事。逃げの歴史の1かな。でも急にどうした?
「他にも逃げたのたくさんあるよな」と続ける。
思い出せば切りがない。こんな他愛もない状況じゃないのも色々ある。
思春期前後はもっと複雑な話になってきた。相手とか関係性とか状況も。
洒落にならないような。でも・・・そういえば逃げた。その場は後先なく。

友人が「教えてあげたいね」と言って暫く黙る「なんで逃げないかね」。
先程、スマートフォンで見ていた少年事件を思い出しているんだろうか。

教えてあげる・・か。でも「逃げ方」なんてどう教えれば良いのかな。
よく大手動画投稿サイトで夏休み終了間際になると有名投稿者が揃って笑顔で「無理して学校に行かなくっても良いんだよ」「行かないのは悪いことじゃないんだよ」と誰かに語りかける動画が蔓延するけど。

あんな感じ?と聞いてみる。
「あれじゃあ駄目な気がするな。こういうのとはタイプが違う」
じゃあどんな感じ?と再び聞いてみる。

友人は暫く考えている。そしてこう答えた。
「あの日追いかけてきた恐いおじさんの名前を僕たちはまだ知らない」

・・・まてまて。聞いたことがあるようでなにやら意味が分からない。
「まんまの意味だろ。逃げちゃえばもう関係ないんだよ」
「あのおじさんの名前は一生分からない」
「それを伝えたい」そう言ってまた何か考え始めた。
指先が忙しそうにスマートフォンを操作している。
放っておくことにした。

暫くして、目の前に居る友人から自分にメールが届いた。
何してんだ回りくどいなと思いながら目を通してみる
こんな内容だ

物理的に心理的に。状況だったり環境だったり関係だったり。
いろんなかたちで自分達は囚われてしまうけど。
いつだって心も身体も自由になるチャンスはある。
恐くて不安になって。
恐怖のあまり竦んで動けなくこともあるけど。
それは逃げてはいけないからではない。
後の事なんでどうでもいい。先の事も。いま思い切り逃げてやろうぜ。
逃げ出せば今は恐くてもいつかきっと可笑しくなってくるから。
簡単なことじゃないと思っても。
逃げれば必ず逃げられるから。


ああ。なんだ。これを書いていたのか。読み終えて顔を上げると
「これが俺の作品だ。タイトルは・・・」と少し勿体つけながら
「あの日追いかけてきた恐いおじさんの名前を僕たちはまだ知らない」

そしてこちらを向いてこう言った「動画を作ろう。お前おじさん役」

「断る」


辛い思い。
洒落にならないような。状況や環境。
逃れられない気のする関係。
今もどこかで竦んでいる誰かに。
人から最悪の結末を与えられるくらいなら。
自分達には選べる一つの方法がある。

貴方の望まない何かから逃げおおせて欲しい。
心からそう願います。
それでも逃げられない理由を考えてしまうのなら
私の手足と心を貸したいほどに。
願っています。


これは酒天の巻の二。この後に続く体験はまたの機会に。

もし読んでくださる方がいらっしゃったなら。
お読み頂いたあなたに心からの御礼を。
文章を通しての出会いに心からの感謝を捧げます。


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