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スペイン巡礼2018回想記(51)巡礼の終わりと日常のはじまり/完

旅の最後の日

 2018年6月25日。スペイン巡礼50日間の旅、最後の日である。

(このマガジンを最初から読む場合は、上のリンクからどうぞ)


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 オテル・パセオ・デル・アルテで最後の朝食をとる。ここの朝食ビュッフェはスープがあるのがうれしくて、つい2種類とも食べた。

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 急ぐ必要はないが、そんなにのんびりもできない。帰国便は10時20分発だった。お土産で重くなったザックを背負い、タクシーで空港へ向かう。

 初めての50日間もの海外旅行。これで本当に終わってしまうというのが信じがたかった。

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(マドリード・バラハス空港)

 けれど、飛行機は容赦なく離陸する。
 翌6月26日朝8時、私は成田空港に着き、家に帰った。

(リアルタイムで更新していたインスタ)


帰国直後のこと

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 帰国後しばらくは、何もかもが美しく、何もかもがおいしかったのを、よく覚えている。

 しばらく遠出はしたくない気もしたが、外せない美術展があり、帰国後すぐに静岡の三島に行った。
 三島は湧き水を好きになるきっかけになった街で、もともと何回も行っている大好きな街である。三島市内の佐野美術館で白隠の禅画展が開催されており、巡礼前からチェックしていた。

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 展示もさることながら、何回も見ているはずの三島のせせらぎが、巡礼前よりもいっそう輝いてみえた。
 なんてことないランチビュッフェが妙においしく、やはり日本のお店のごはんは丁寧だなぁ……! と感動しながら食べた。

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 三島のあとしばらくして、箱根にも行った。

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 このときもいちいち感動の嵐で、どこに行っても奇声をあげていた(うるさい)。ビールとワカサギの唐揚げがこんなにうまいものだなんて、知らなかった。好きでいつも来る店だったが、いつもに増して最高だった。

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(岡田美術館の足湯ではしゃぐ私)

 喜び、ストップ高。
 この喜びはいったい何なんだ? スペイン巡礼、すごくない???

 私は満ち渡る喜びの中で、スペイン巡礼で得たものについて考えていた。


スペイン巡礼で得たもの

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 まずひとつめとして、最初に立てた問いに答えを出すべきだろう。

「長い道をひたすら歩きつづけるというのは、どんな体感なのだろう?」

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 事前のさまざまな情報から、私はきっと疲れ果てるだろうと考えていた。
 もともと人よりスタミナがあるわけではなく、むしろないほう。巡礼体験ブログやテレビを見ると、多くの人が足をマメだらけにして「もう歩けない」というときにぶつかる。
「もう歩けない」を乗り越えたとき、何かこれまで知らなかったものが見えてくるのではないか。私はそう予想していた。そして、それをぜひとも体感したいと念願した。

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 巡礼を終えてみて、予想はある意味、裏切られた。

 私は一度も「もう歩けない」とは思わなかった。序盤はザックの持ち方を知らずに肩と腰が死んだものの、そのときも「もう歩けない」とは思わなかった。
 その日は疲れて爆睡したし、ほとんど毎日疲れて爆睡したが、事前の準備(アミノ酸サプリなど)の甲斐あって、ひと晩眠ればリセットされた。
 翌朝、疲れが残っていることもあったが、その場合は重いザックを業者さんに預け、身を軽くして歩いた。

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 巡礼につきもののマメも、これまた事前の準備(靴・インソール・トレッキングポールなど)の甲斐あって、ほぼ無縁に終わった。歩けないほどの足裏には一度もならなかった。

「長い道をひたすら歩きつづける」という感覚はない、というのが私の結論だ。

 日々、歩いては食べて眠り、歩いては食べて眠りをくりかえすうちに、長い道の終着点にたどりついている。
 それが、私のスペイン巡礼だった。

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 最終目的地サンティアゴ・デ・コンポステーラに着いた日の、なんだかあっさり到着してしまったという感覚を、2年経った今でもよく覚えている。
 これで終わってしまっていいのかな? と首を傾げながら、大聖堂で記念写真を撮った。

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 私がスペイン巡礼で得たもののふたつめは、歩くこと自体が喜びであり、日々歩くことで喜びが蓄積されていくということ。

 私は巡礼開始後およそ2週間で、ある日突然、幸福な朝の目覚めを迎えた。
 歩くことによって脳内で幸せホルモン「セロトニン」が分泌されるという、健康オタク(※私)の好きなセオリーどおりなのだが、私はスペイン巡礼路を歩くまではよく理解していなかった。

 なお、前職場がイヤになって退職する前の最後の数年、私は通勤路や職場敷地内をよく歩いていたのだが(一日2万歩前後)、いくらセロトニンを分泌したところでどうしようもない状況もあるということを、巡礼から帰ってますます理解した。今でも退職して正解だったと思っている。
 ちなみに当時、歩く以外も健康オタク的な試みをいろいろした(漢方、禅、体操など)。改善された面もあったのでムダな努力とはいわないが、ある程度試みてどうしようもなければ環境に見切りをつけるのも大事だろう。

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 三つめは、歩くことで頭の中に余白をつくれるということ。

 これは、海外の巡礼者がよく巡礼の理由として語っているのを見かける。が、私は事前にまったく考えていなかったし、情報としても頭に入っていなかった(関心がなくて流していたのかもしれない)。自分で歩いてみて、初めてわかったことである。

 以前書いたとおり、私は前職在職中、学生時代ずっと書いていた小説が書けなくなった。
 会社はいわゆるホワイト企業の類いではあったが、私の生理に合わない雰囲気があり、入社当初からずっと疲れていた。疲れて、小説を書く頭を働かせることができなかった。

 それでも、上記のとおり健康オタク的な試みをいろいろして(体力をつけるために声楽を習う、朝活で書くなど)、入社から10年以上経ってようやく「私の書きたい小説が少し書けたかな」と思う作品を書くことができた(メテオ・ガーデン)。
 それとほぼ同時に、いろいろ全体的に燃え尽きて退職したのだが……いろいろが多くてすみません。

 当時、最大の悩みは、仕事で疲れて帰宅すると小説のことを一切考えられない、ということだった。仕事をしていると、小説を書く頭が働かない。これは私にとって絶望的なことだった。

 ところが、退職したあとも、まだ小説を書くことができなかった。
 退職したら、小説を書いて書いて書きまくろう。そんなふうに思っていたはずなのに、書きたい気持ちが湧いてこない。これは「メテオ・ガーデン」を書きあげて以降、ずっとそうだった。

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(スペイン入り直後、マドリードのレティーロ公園で)

 そうしているあいだに、スペイン巡礼へ出発。
 巡礼序盤、しばらくはときどき頭の中に前職上司の顔がかすめ、不快になっていた。しかし、出発からおよそ2週間後に幸福な目覚めを体験したころ、上司の顔はある日突然消えた。

 おや、と思った。

 不思議に思って、上司のことを思いだそうとした。もちろん記憶はまだある。けれど、思いだしてもさほど不快ではなくなっていた。

 それと同時に、歩きながら小説のことを考えられるようになった。前職場について思いわずらうことがなくなり、小説のための余白ができたようだった。私の頭は、前職在職中、職場が生理的に苦手なあまり、小説のためのスペースをなくしていたのだ。

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 巡礼中に考えていたのは、学生時代ずっと書いていて、就職後10年以上ろくに書けなかったファンタジー小説のこと(精霊呪縛)。
 それをふたたび書きだすには、巡礼後さらに1年以上を要したが、2年が経った今、その作品を日々少しずつ書き進めている。

 あのときなりたかった自分に、思っていたようなかたちでなくてもなれているのだと気づいたとき、人生の妙味を感じた。


巡礼から2年が経って

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 とはいえ、巡礼後すべてが順風満帆というわけではない。

 仕事のことである。

 私は基本的に、金にならないことしか興味がない。
 小説もそうだし、歌うことや踊ること、多言語をかじること、学生時代の専攻であるユダヤ史など、1円たりとも戻ってこないことばかりに時間と金を費やしている。旅行などは、むしろ金が出ていくばかりである。
 よって、巡礼終了時点で、再就職について何のイメージもなかった。ただひとつわかっていたのは、「前職のような仕事はしたくない」、これだけだった。

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 失業保険の申請のため、取り急ぎいくつか求人に応募する必要があったが、やる気はあまりなかった。
 しかし、求人に目を通すうち、ある職業が目に入った。狭い業界のようなので具体的には書かないが、在宅で仕事できるのが魅力だった。前職の業務で多少経験もあり、その仕事ならできるのではないかと思った。ほどなくして、通信教育で資格がとれることを知る。

 1年弱の勉強期間。それは、巡礼が終わったらすぐにでも再就職しなければならないと思っていた私にとっては、悩ましいことだった。悩んだ末やってみることにして、私は無職期間の延長を決めた。
 途中、祖母が亡くなったのもあって、通信教育の期間を延長しつつ無事修了。資格試験に臨んだ。合格。就職活動。フリーランスとして、1年間憧れた職業に就いた。フリーランスだが、普通に通勤するタイプの会社だ。1年以上無職でいた結果、そろそろ新しい人間関係をつくりたいという気持ちが強くなっていた。


 スペイン巡礼からの帰国後、順調だったのはここまで。

 残念なことに、その会社が合わず、わずか1か月でダメになってしまった。これにはちょっと愕然としたが、とにかく合わなかったので、安堵したのもよく覚えている。
 ということで、1か月にして無職に舞い戻り、ふたたび就職活動を始めた。なかなか独特な仕事を短期間ながら経験した結果、「前職のような仕事に戻ってもいいかな」という気持ちも湧いていた。

 1か月の会社があまりに合わなかったため、その仕事への憧れは消えた。憧れにしては短い命だったなと思う。

 そのため、仕事探しは大いに迷うことになった。最近は少しずつ見えてきた気もするが、その状態は今も継続している。しかも、就職活動再開とほぼ同時期にコロナ禍がやってきたのは、お察しのとおりである。


日常生活における「スペイン巡礼」を求めて

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(高尾山、奥高尾縦走路にて)

 とはいえ、私が仕事に迷っているのはコロナのせいでもなんでもない。私自身の課題である。
 個人的にコロナの最大の悪影響は、外出自粛だった。

 というのも、巡礼から帰国したあと、私は「スペイン巡礼と似たようなものを、日本にいて継続できないか」と考えた。

 スペイン巡礼は、上に書いてきたとおり、いくつもの効能があった。ちょっとここにも思いつくまま羅列してみよう。

・歩くことによる喜び。これは巡礼終了後もしばらく続いた。
・よく歩きよく眠って、日ごろの睡眠負債を返済できた。
・よく歩きよく眠って、頭がすっきりした。
・巡礼前に頭の中を占めていた不快なことが遠ざかり、自分の考えたいことで頭を満たせた。ついでに、考えも整理できた。
・長距離を歩きつづけることにより、体が引き締まった。
・ストレスから解放されつつ歩くことで、肩こりと首こりが解消した。
・美しい風景や建築にたくさん出会えて幸せだった。

 それに加え、一般的にはさまざまな人との出会いが挙げられることが多い。私にも少しはあったが、私はこれが巡礼の核心だったとは思っていない。純粋に運もあるし、人間関係のあれこれは幻想の一種のように思えて、私は効能とは呼びたくない。

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 ともあれ、これぐらいいろいろ効能があれば、「もし可能ならこの状態を続けたい」と思うのは当たり前である。

 そこで帰国後は、楽しくたくさん歩ける場所はないか探した。

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 真っ先に思いついたのは、登山である。
 実はスペイン巡礼中、友人が勧めてくれた信濃川日出雄先生の漫画『山と食欲と私』をずっと読んでいた。それで、登山が巡礼に似た効能をもっているのではないかと思った。具体的には3巻69ページ付近をご覧ください。

 実際、巡礼者のそれなりの割合が登山経験者であり、世界のロングトレイルの一コースとして巡礼路を訪れる。私が巡礼中に出会った日本人のおじさんたちも登山経験者だったし、ウルグアイ人のおじいさんも「このあと日本の塩の道(トレイル)に行く」と言っていた。

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 2018年7月3日は、私の登山デビューの日である。
 ガイドブックを買って、秦野の弘法山に登った。友人とその子どもが一緒だ。彼女が教えてくれた『山と食欲と私』のせいで巡礼中は山ごはんへの憧れが止まらなかったため、山ごはんの本も買ってパエリア的な炊き込みご飯をつくった。

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(友人に進呈した巡礼土産、ムール貝の缶詰入り。友人がこれ入れたらいいんじゃない? と言ってくれたのでした)

 この日以降、私は入門者にふさわしい山を登っていった。

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(御岳山ロックガーデン)

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(天覧山・多峯主山プチ縦走)

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(奈良の二上山)

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(登山1年めのハイライトとして行った木曽駒ケ岳)

 日本の山の高低差の厳しさは、わりと平地も多いスペイン巡礼よりむしろキツいと思い、「町田フットパス」や「よこやまの道」のような、より巡礼路を思わせる舗道歩きもした。

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(町田フットパス)

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(よこやまの道。木の橋って好きなんですよ。歩くのが心地いい)

 その結果、よい気分や筋肉を維持するには、週に1回は登ったほうがいいなと思った。そこで、働いていないのをいいことに、資格勉強のかたわら登山に勤しんだ。また、一日1時間程度のウォーキングも努めて行った。

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(最寄りの高尾山はホーム。カエルは今までで一回しか会えてません)

 巡礼後の1年半ほどは、かなりいい状態だったと思う。
 あまりにも幸福だったので、定期的に「無職最高!」と叫んでいた。不思議とこういうときは、おみくじを引いても大吉ばかり出る。

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(茨城県大甕の泉神社で引いた水みくじ)

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(兄の結婚式で行ったオアフ島のクリオウオウ・リッジ・トレイル)

 しかし、資格試験の本番が近くなって登山の時間をとりにくくなると(時間がないというより気分の問題だったが)、筋肉量の低下とともに気分も落ちこんでいった。

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(資格試験前、最後に行った高水三山。5月の新緑は最高だった)

 資格試験を終えたあとの富士登山(2019年8月)は、登山2年めのハイライトとして行った。

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 トレーニング不足で低下した筋肉のまま、高尾山で軽くリハビリしただけで行ってしまったため、体力不足で所要時間14時間もかかり、帰りのバスを逃すという体たらくだった。

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(なんといっても雲が楽しい山でしたね、富士山)

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(バスを逃して五合目で雑魚寝した翌朝の朝食)

 その後、資格試験の合格通知が届き、就職活動して合わない仕事に就いたのは前述のとおり。
 一応そこまでは順調といえたが、思えば、このころすでに調子が崩れてきていた。

 なんとなく不安、という精神状態が多くなって、歌の先生によく「私なんかじゃ絶対(就活の)実技試験に通りそうにない」などと弱音を吐いては、「今度弱音を吐いたらこのビンに100円入れてもらうからね」といわれ、先生宅で着々と100円貯金を積みあげていた。
 仕事が決まったあと、いったん「この貯金、もう必要ないよね」といわれ、貯まったお金は私の口座に移した。しかし、前述のとおり仕事がダメになったあとは、就職活動をしながらふたたび息を吐くように弱音を吐いたため、先生宅の100円貯金は復活した。

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(高尾山日影沢コースにて)

 とにかく、ふとした拍子に弱音が無限に出る。
 1年前には「無職最高!」とのたまっていたのが、同じ無職だというのに、全然幸福ではなくなっていた。

 スペイン巡礼で歩いて積み立てた幸福貯金が、巡礼後1年半にして切れたのかもしれない。

 こんなことでは、スペイン巡礼前と同じではないか。同じところにいてグルグル回りつづけた前職在職中と、私は何ひとつ変わっていないのではないか。スペイン巡礼を経て生まれ変わったような気がしたのは、幻だったのか。

 一方で、私は小説などの書きたかった文章(このnoteもそうです)を着々と書き進めていた。

 巡礼前になりたかった自分に、なれてはいる。それにまちがいはない。
 けれど、どうしようもなく不安だった。

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(冬の丹沢大山から)

 それでも、ちょくちょく登山に行っては、やはり癒されていた。しかしコロナ禍が発生し、登山も自粛となった。
 地元でウォーキングするぐらいは可能だが、山で緑に触れつつ体を動かすことはできなくなった。いちばん近い高尾山でも、1時間ほど電車に乗らなければいけない東京都民である。

 自然の道理で、精神状態は悪化した。むろんこの時期は、私に限った話ではないのだろうが。

 よくある話、そのころは食べることと飲むことが最大の楽しみだった。
 私はメレンゲを焼くのにハマり、週に何回もメレンゲ菓子「パブロバ」をつくっていた。酒のおつまみをつくるのにもハマった。無職アル中はシャレにならないので、日中は絶対に飲まないことだけは固く守った。

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(自作のパブロバ、自粛期間中に10回以上つくった)

 当然、体重と体脂肪率は右肩上がり。スペイン巡礼で極限まで上がった筋肉量と、極限まで下がった体脂肪率はどこへやら。
 合わない仕事をしていたとき、ストレスで食事が喉を通らず、筋肉量も体重も一時は近年最低まで落ちこんだ。それが元に戻ったまではよかったが、危うく過去最高値に到達するところだった。
 なお、過去最高値は、富士登山の翌日にむくみと筋肉量増加で大増量した際である。

 そんなおり、テレビでスペイン巡礼番組が放映されるという情報が入った。
 正確には2月ぐらいには情報が入っていたが、当初はNHK BS4Kのみの放送で、私はBSPで放送されるのを心待ちにしていた。コロナ禍のあおりで、結局BSPに来たのはおそらく5月。
 このころの精神状態は最悪で、テレビもイヤなニュースだらけ。努めて旅番組や教養番組を見るようにしていた。

 そんなときに見た、NHK「聖なる巡礼路を行く〜カミーノ・デ・サンティアゴ1500km〜」3回シリーズ。

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(私が泊まったサンジャンのジット、番組に登場。この写真は私が撮ったもの)

 まずは、「懐かしい」という気持ちだった。帰国直後は、2、3年後にはまた別の道を歩きたいと思っていたのに、2年経った今もまったく目処が立たない。ああ、また行きたいなぁ、と思いながら、懐かしく美しい風景を見ていた。

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(サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの街並み。これも私が撮ったもの)

 番組に出てきた人々は、私とは異なる背景をもつ。
 低速で人生を過ごす私とはちがい、さまざまな経験をしてそのうえで何らかの挫折をした人が多かった。最初見たとき、これが同じ人類なのかと思ったぐらいだ。そんな人々が、巡礼を経てなんらかの整理をつけ、聖地に到着する。巡礼でいちばん重要なのは多様な人々との出会いだと、何度か人々は強調した。

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 私とはちがう巡礼だなと思った(※番組中「巡礼では『それぞれの』贈り物をもらうのだ」という主旨のコメントもあったが、割合としては「出会い」をあげる率が高かったかと思う)。でも、それはそれとして、スペイン巡礼の風景を見ていると、あの喜びに満ちた日々を思いだす。

 ああ、楽しかったな。

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(ここに座りこんで、一時立ちあがれなくなったけど……)

 スペイン巡礼番組を見ていると、心が凪いだ。全3回の番組放映後しばらく、くりかえし見直しては巡礼の幸福を反芻していた。

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(パンプローナの入り口、城壁をまわって入っていく)


 くりかえし反芻するうちに、気がついた。

 ——私はスペイン巡礼の喜びに帰ることができる——


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 私がいま帰るところは、前職場でくすぶっていたころではない。
 私が巡礼によって手に入れた幸福は、なかったことにはならない。

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 私はスペイン巡礼路「フランス人の道」800km(正確にはそのうちの650km程度)を歩いた。
 そのうえで今、ずっと書きたかった文章をコツコツと書いている。ときどき山も登って、運動習慣もあり、前職場にいたときとは体からちがう。

 今の私は、以前の私とはちがう。やはり私は、巡礼を経て生まれ変わったのだ。
 人生が続く限りなんらかの課題は生じつづけるとしても、私は今、スペイン巡礼を経た私なのである。



 その後、緊急事態宣言が解除され、県境を越えての旅行も解禁になり、私は久しぶりに旅行してストレス解消した。

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(滋賀県の三井寺にて)

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(奥多摩むかし道)

 山も、都内ではあるが3回登った。マスクして山を登るのは初めてだったが、知人にもらった手づくりマスクは通気がよく、まぁまぁ快適だった。奥多摩では人にあまり会わずマスクを外せたが、高尾山では空いているコースでも人通りがあるため、ほとんど外せなかった。

 とはいえ、全体的な状況はあまり変わらず、私の精神状態は相変わらず安定しなかった。

 安定したきっかけは、新しい運動と出会ったことだ。ヨガとスロージョギングである。ヨガはテレビのコロナ太り特集で出会い、スロージョギングは……なんでだっけ。以前から名前は知っていたので、なんとなく思いついたのかもしれない。

(NHKあさイチで特集されたヨガ)

(その後はマリコ先生の動画にお世話になっています)

 ヨガとスロージョギングは、どちらもセロトニンとGABAを分泌促進する。そのためか、初めてヨガをやってみたときから、精神状態がはっきり安定しはじめたのには驚いた。(そんな即効性はねえよ! といわれそうなのですが、根っからのプラセボ野郎で、思いこみで薬に即効性を与える人間なのです)

(スロージョギングについては豪太先生の動画)

 ヨガを先に始めて、しばらくしてスロージョギングを導入したあたりで歌のレッスンがあったのだが、いつもは歌の先生の顔を見ると弱音がノンストップなのに、その日は普通に歌に集中することができた。

 今、精神状態は基本的に安定している。時間があるのをいいことに、ヨガとスロージョギングにかなりの時間を費やしている。

 今のひとつの目標は、ヨガとスロージョギングを通して、巡礼直後の「極限まで上がった筋肉量と、極限まで下がった体脂肪率」の体に近づけることだ。登山もいいが、今はまたコロナで外出しにくくなっている(※2020年7月末現在)。

 日常生活でできることだけで、スペイン巡礼の幸福を手に入れられれば、最強ではないか。
 そんな日常生活を手に入れたうえで、また自由に旅行を楽しめるようになったおりには、二度めのスペイン巡礼にでかけたい。前職場でくすぶっていたころの私とはちがう私だから、そのときはきっと前より純粋に巡礼を楽しめるだろう。

 ちなみに、私の次のターゲット巡礼路は「ポルトガルの道」である。

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(地の果て、フィステーラにて)


これからスペイン巡礼する方に勧めたい事前準備

 最後に、今後スペイン巡礼したい方にむけて、個人的に勧めたい準備について。今後しばらく海外旅行はむずかしいとは思うが、参考までに書いておく。


足まわりと体にまつわる準備

 登山経験や運動習慣のない方などで生来のタフネスさを備えていない方は、準備を怠ると途中であちこちガタが来て大変だったりするので、ご自分の体質に応じていろいろ用意しておくのが個人的にオススメだ。
 これらの準備の結果、私は全身ほぼ一度も痛めることなく巡礼を終えることができた。靴擦れは、スペイン入り直後にサンダルで歩きまわったときだけ(アホ)。マメは、サンティアゴに到着する日、油断して靴紐が緩んでいて初めてできたが、幸い到着後の行動には支障はなかった。

 それと、今思うと、きっちり休憩日をもうけながら歩いていたのもよかったかもしれない。

①インソールを買った
 私は片足が扁平足で、完璧な足裏とはいいがたい。それで長距離歩いた場合に何が起こるかわからなかったので、巡礼前に行きつけの整体で自分の足型をもとにしたインソールをつくることにした。インソールを使いつづけることで、足裏の土踏まずに健康的なアーチをつくれるというものだ。
 インソールは、出発1、2か月前くらいから靴に入れてならした。以来、新しい靴を買ったら既存のインソールは捨て、オーダーメイドのインソールを入れる。ひと組しかないので、靴を替えるたびにインソールを着脱するのはちょっと面倒ではある。
 使いはじめて2年経って整体で足裏チェックをしたところ、「今週のベスト足裏」と先生にいわれ、ちょっとうれしかった。

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(2年経って若干ボロくなった私のインソール)

②足裏自体を整えた
 私の足裏にはいつもタコができる箇所があり、ときどき皮膚科で削ってもらっているのだが、これを足専門の病院でやってもらった。足専門の病院だと、タコ削りが芸術的な(なめらかな)仕上がりになるのだ……ご存じでした?(何)
 足裏の状態は重心にもかかわってくるし、問題はあらかじめ解決しておくと、巡礼も多少快適かもしれない。

③スペイン巡礼向けのトレッキングシューズを買って出発前に慣らした
 自分の足に合ったトレッキングシューズが、ぜひとも必要だ。私はモンベルで「スペイン巡礼に行くのにちょうどいい靴教えてください」といって紹介してもらった。たまたま巡礼経験者の店員さんに遭遇できてラッキーだった。
 この靴も、隙あらばはいて慣らした。慣れないうちは、とにかくトレッキングシューズは重くてびっくりする。ちなみに、トレッキングシューズ以外の速乾性のウェアなども、すべてモンベルで揃えてしまった。今でも立派なモンベル教徒である。

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(これも2年経って以下略)

④トレッキングポール(ストック)も買った
 私は関節が弱く、いまいち膝に自信がない。真っ先にガタがくるのは膝だと予想していた。
 そこで、これまたモンベルでトレッキングポール(ストック)を購入した。実際やってみてわかったが、トレッキングポールがあると全体的に行程が楽になる。体のタフさに自信がない方は買ってもいいと思う。なお、私は心底自信がないので、トレッキングポールはケチらずわりといいもの(1本8000円ぐらい)を買った。
 実際の巡礼では、50代以上の女性で膝を痛めてテーピングをしている人が多かったが、私はテーピングテープを一度も使わずにすんだ。敏感肌なので、わざわざ敏感肌用を取り寄せたのに(愚痴か?)。
 ちなみに、年配の方でトレッキングポールに不慣れな方が、却ってパフォーマンスが落ちる例もみかけた。これも練習しておくに越したことはないかもしれない。私は一回練習登山に行ったと思うが、ほぼぶっつけ本番だった。
 トレッキングポールは登山の下りでも大活躍である。これがあると脚力が低くても膝がカクカクしない。すばらしい。

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(巡礼路ではストックは盗難されやすいという噂を聞いていたので、ガッツリ白いペンキで名前書いてあります)

⑤アミノ酸サプリを買った
 体力に自信がない私は、整体の先生に勧められたアミノ酸サプリを大量に持参した。「MUSASHI」の「NI」と「ENDURANCE」である。
「ENDURANCE」はその名前のとおり耐久力を高めるアミノ酸サプリ。長めの行程(私の場合、一日30km以上)のときは出発前にこれを飲む。歩き終えたあと、もしくは疲労時に飲むのが、回復用の「NI」。「MUSASHI」のアミノ酸サプリはいろいろ種類があるのだが、整体の先生が私に合わせてセレクトしてくれたのがこの組み合わせだ。
 私はこのとおり実行した。例によってプラセボ人間なので、「ENDURANCE」は飲んだ瞬間、体の奥に火がともったようになり、疲れていても行動を続けられる。「NI」も飲んだ瞬間、体がスッとする。
 スペイン巡礼を歩き抜くことができたのは、半分ぐらいNIとENDURANCEのおかげだ。今でも登山となると、登る前にENDURANCE、下山後にNIを飲む。あと、資格試験を受けたときも、なかなかの長丁場だったので、途中で両方飲んだ。MUSASHIさんいつもお世話になっております。

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(疲労時の私の支え、NIさんとENDURANCEさん)

⑥トレーニング
 整体の先生(スポーツマン)には、トレッキングシューズの慣らしも兼ねて、まず5km、次10km、15km、20kmというように、徐々に歩く距離を増やすトレーニングをするよう勧められた。これはぜひともやるつもりだったのだが、なんやかやでやりそびれた。結局ほとんどぶっつけ本番だったが、たまたま巡礼初日が8km、翌日17km、その次20km以上と増えていき、結果は悪くなかったので、有効なトレーニングなのだと思う。
 とはいえ、靴の慣らしも兼ねてなるべく歩いてでかけたり、「日本カミーノ・サンティアゴ友の会」さん主催の「ワンデーカミーノ」に参加して山登り体験をしたりはした。

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(ワンデーカミーノで行った飯能の山。当時登山に興味がなかったので、今となってはどこの山だったのかわからない)


★悪いことはいわない、ザックの重さに慣れておけ

 私がやっていなかった準備で、ぜひともやりたかったのが、

「ザックの正しい持ち方を事前に知っておき、重さに慣れること」

 である。私はこれを甘く見ていたために、序盤で痛い目をみた。

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(レベル的に大規模な登山に行けないので、小さいザックを買ってからはほぼ眠ったままの45Lちゃん)

 もともと前職在職中の肩こりを引きずって巡礼に出発し、そのうえにザックの12kgの重さをくらって肩と首が死んだ。ついでに側弯もちの腰にも負担をかけ、腰の肉がしびれた。

 ザックの持ち方の最大のコツは「腰ベルトをきつめに締め、ザックを腰で支え
ること」
だと思われる。そのうえで、胸のベルトも多少締めればよさそうだ。背中とザックの隙間だとかいろいろあるので、知らない方は検索してください。
 ちなみに、側弯もちで腰も弱いとなると、腰に重量がのるとよくない感じがするが、私の場合1時間に1度のペースでザックを下ろす休憩をとることでなんとか乗り切った。

 帰国後、登山トレーニングとして、ザックに10kgの重りを仕込んで踏み台昇降していたのだが、そうしているうちに重さに慣れていった。巡礼でぶっつけ本番に12kgを持ったときは、これで私歩いていけるの? と不安に思ったものだが、慣れると女性でも10kgぐらいなら難なく持てる(※体質によります)。

 このあたりの準備を巡礼前にすませておけば、きっと序盤から快適に歩けたにちがいない。

 私はスペイン巡礼で、何ひとつ悔やむところなく幸福だったが、これが最大の後悔といえば後悔なのである。


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(甲斐桂によるスペイン巡礼2018回想記、これにて完結です。ありがとうございました!)

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