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「記す。伝える。発する。」

「NOTEはじめました」

「……」

「何を書けばいいのかな?」

それが、第一に思い浮かんだ。

―文章を書くのが好きだ。

スマホのメモ帳には、たくさんのことをメモする。例えば、朝起きたときに印象的だった夢を文章にする。つらいとき、楽しかったとき、おこったときの気持ちや、意見をまとめる。時には歌詞やエッセイをメモしたり、セリフをまとめる。

これらのメモは自分だけのもの。
ではなくて、Twitterに載せたり、ブログに載せたりしている。

「記したものを誰かに伝えようと思って書いているのか?」

一見するとそう捉えられる。
誰に、なにを、伝えたいのか?
「伝える」ということは、誰かの目や耳そして、脳へと伝わるということ。

伝える→伝わるという行為は、一人では不可能なもの。相手が居てこそできる。

それを踏まえた上で、私がしたいことはなんだろうか。

「誰かに伝えたいことってなんだ?」

そう考えると底なし沼に陥るだろう。
何故かって…私は伝えようとはしていない。

―ただ、知ってほしい。自分のことを。

そう、そんな単純なことなのだ。誰かのためにやってる訳じゃないし、誰かに伝えたいことなんてない。「戦争反対」だとか「イジメ、ダメ、絶対」とかそんな大きなものを背負ってもいない。

ただ、自分という存在を見つめなおしたり、第三者からみての自分を知りたい。そして、今ここに私が何を考えていたのか。未来の自分に伝えたい。

「伝える」とか「伝わる」とかではなくて
それはもう、「発する」という行為

このNOTEをはじめようと思ったときに
こう思った。

日記にするか、エッセイにするか、あらゆる体験記にするか、セリフにするか、おすすめブログにするか…

読者にとって、1つのテーマにすることはとても、見やすいからエッセイだけにしようか。私が書きたいことをすべて詰め込んだら、カオスになるし、アカウント分けようかな?

そして、こう思った。
―読者という“相手”にのまれてしまっている。

そう、私は『自分の考え』について、
発したいだけである。
つまり、それを自らが歪ませている。

誰かに嫌われそうだからとか
読者のためだからとか

そんなことを考えて、文章を残しても
それは、自分ではない。
それは、盛れた写真のような別のなにか。

つまり、何が言いたいか?

NOTEの内容は、ありのままの自分
そして
あらゆる自分を
自分のために
のまれないように、記し。
一人で発散していくために
やっていく。

「カオスになってもいいですか?」

―自分勝手にカオスにやっていく!!!!!

「……」
「……」
「……」
というふうに、カオスなNOTE。
はじめます。
最後まで読んだ方、そして、未来の自分へ
ありがとう(意味不明)

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