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小説『空生講徒然雲17』

 もの生む空の世界での私は、まずはじめに御師と名乗り、これは職業の名で、本来の私の名前ではないと説明する。「名前はないの?」そう、問いかけられるたびに「口です」という。千日前の私は「凸です」と答えていた。
 私はもの生む空の世界では、いたずらに万物を生んできた。名付け親にも沢山なってきた。もう、その方面では名人だ。でも。もの思う種の世界で暮らしていた頃の私の名前は知らない。まだらな記憶の穴から名前は落下したのだろう。完全に失われていた。
 いま、ヤマハSR400に跨がり、なにがなんだかわからないぼんやりした女とそんな会話をしている。

 記憶の蓄積は『口凸口凹ハ』で出来ている。千日前の私凸の中には、口では収まらないほどの記憶と思い出の蓄積があった。いま、ぼうっとして私の話を聞いている女もまた凸なったばかりだ。もの思う種の世界に生まれたばかりの者はみな1番目の口からはじまる。「はぁ」気のない返事の凸女は聞いているようで聞いていないだろう。私は気にしない。私は御師の仕事を全うするだけだ。

 口から始まった人間の記憶と思い出の蓄積の箱は、やがて口では収まりきらなくなる。傲慢に充満したそれは口箱を突き破り角をだす。それがつぎの段階の凸だ。凸の上部のでっぱりは、いうなれば角なのだ。人間の年齢でいうと10代から20代の頃になる。自我の目覚めが、未来への期待と根拠のない甘い自信と、根拠のない不安がない交ぜになり、口から角を生やすのだ。私の目の前で呆けているヤマハSR400に跨がる凸女もまた20代半ばを過ぎた歳に見える。

 人間30代半ばから50代になると凸の角がなくなる。折れる、もぎ取られる、破壊される、自ら棄てる。その者によって事情は様々だ。この時、その衝撃で口を通りすぎて凹にむかう者もいる。角がえぐり取られてしまうのだ。そうなるとはやい。気づいたときには、ハだ。あれほど充満していた、自我、記憶、思い出、傲慢、知識、経験が、底のない砂時計のように流れ出してしまう。もう、囲いは取り戻せない。なにも認知できない。ない者となる。
『口凸口凹ハ』、人間はこのように5段階にわかれていた。凸女は2番目で、私の口は3番目だ。私の記憶がまだらなのはこのような訳があったということだ。やがて私も凹となりハとなる。役目を終えるのだ。凸女の行者もこの空生講をつうじて、ない者になる。そして、『明日の世界』にむかう。
「わかった?」、凸女はヤマハSR400を撫でた。「タンッタタン、タン」賢い事ねといいながら、「いらっしゃいな、タルト」
 凸女は『?』のなかで心地よさそうに丸くなっている青猫タルトに腕をのばした。ガソリンと香水が混ざり合った匂いがした。いい化学反応だった。


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