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「若者よ危機感を持て!行動しろ!」と若者でない人が発信する際に感じる私の違和感について

視界が見えない不安ってさ、ほんまに怖いと思うんです。私はその怖さを感じる心に寄り添いたい。


時々、猛烈に消えたくなる。そう思うことってありません?(いきなりすみません)

世界はCOVID-19に振り回され、国によって違う対策に振り回され、やっと落ち着いてきたかなって思ったら今度は戦争。そしてリアルの戦争が行わなれてる最中、先に起こるかもしれない戦争について議論が繰り返される。


未来が全く見えません。


なんかこのまま生きてていいことあんのかな?て思うのは私だけなのでしょうか。今、私が15歳だったらまともに生きてる自信ないわって思うんです。だってこんなに先が見えないのに。

そして、同時に私が感じるのは「若者よ!時代が変わった!危機感を持って行動せえ!」「挑戦しろ!」「日本を見切って世界へ出ろ!」と若者に言い続けてる大人に対する違和感です。


ほんまにこれからしんどい時代が始まるのは十分理解しています。のほほんとした時代が終わったのものわかってます。だから叱咤を届けてくれるのもわかるし、とても大事なことだってわかってます。十分わかってます。でも。私が今、15歳だったらその声を聞きながらこう思うでしょう。


「あんたは人生双六で上がったから安心して叱咤できて幸せね」

「あなたが15歳の時、こんなに世界が混沌としてた?」
「あなたが15歳の時、大人はあなたから何を取り上げた?」
「あなたが15歳の時、あなたはこんなに将来を悲観してた?」
「あなたが15歳の時、あなたはどれだけお金の心配をしてた?」


そう思いながら大人を睨みつけると思います。

その大人は資金を心配せず大学を出て、会社で安定した地位を得て、英語を話せるような勉強環境を得て、結婚しいて、老後もある程度見通せるくらいの貯蓄があって、持ち家があって、子供がいて、趣味があって、持病があったとしても通院できるくらいで日常生活が送れて、コロナワクチンを打って万が一副反応があっても対応できる環境があって、そして海外旅行を心待ちにしてる金銭的にも時間的にも環境的にも「余裕がある人」です。そう、既に多くのものを得ている人。

偏見かもしれない。でもこのように若者に苦言を提示してくれる大人は基本的に得るものを既に得ている大人が多い気がします。

もちろん彼らは本当に努力したと思います。その努力は本当に大変だったと思います。でも彼らが努力した昭和や平成初頭には「世界的な感染症の流行」も「一方的な侵攻」も「侵攻による経済の不安定化」も「感染症や戦争による各国の政治不安」も同時にはありませんでした。
リーマンショックだってあった!とかバブル崩壊もあった!と反論される方もいらっしゃるでしょう。だからその時が楽だったなんて言ってないです。凄まじい努力をされていたと思います。でも、同時にはなかったですよね。

忘れていけないのは「今、若者でない大人は既に得るものを既に得ているが、若者は得ることができるかどうかという不安を抱えて生きている」という実態です。


私はほんまに劣等感の塊で、平和な時でも自分が成し遂げられたものなど何もないと定期的に落ち込んでしまいます。そしてかつて大病をした際に「やばい死ぬかも」って真剣に感じた時期がありました。結果的には生きてるわけですがその時の不安は凄まじかったけど、同時に基本的に外に出しませんでした。なぜなら「健康な人に話したってわかってくれない」。つまり私の不安などいくら話しても伝わらないのに話す必要なんてないって思っていたからです。


挑戦しろ!って言われても挑戦には金がかかる。そして失敗した時、全てを失う可能性がある、ただでさえ得たものが少ないのにそれすら失う可能性がある、そしてSNSが過大に成長した現在、その失敗がいきなり世界中に暴露され世界中から非難を浴びて全てを失う可能性がある。


だから、今の若者が不安に思っていたり投げやりな気分になっていてもそれを他の世代に伝えてないんだろうと私は想像します。だって既に得たものを持ってる人に言ったて不安は伝わらない。言ったら言ったで別の説教がくるならそりゃ言わないですよ。だって私がそうだったもん。

そのような体験があるので、見識ある努力を積み重ねた「元若者」が「今は危機の時代!英語を身につけろ!金稼ぎの方法を身につけろ!日本を捨てて世界へ行け!」と若者に喝を入れて下さるのをみてると理解はできると同時に彼らは若者がその声を聞いて


「さっさと双六上がった奴が安全地帯から何言ってんだよ」

って感じているって想像できないんだろうなと思います。

じゃあお前どうするんだよってことですが。繰り返しますが私、劣等感の塊なので具体的に何かを教えることはできないと思ってます(簡単料理とかならできるかな)。
なので何ができるか考えたのですが何も言いたくないって思ってる若者に「不安だって思ってる気持ちを認めていい」って言いながらおにぎりを配り歩きたいです。

そして「その不安を言葉にするなどで整理して自分に絡みついた不安を隣に置いてみよう。不安は無くならない。なくならなくていい。不安を感じるのは、決してあなただけが原因じゃない。だから不安の存在を認めて不安を横に置く訓練をしてみよう、おばちゃんそれでなんとか生き残れたから」って伝えたいと思います。

こんなに世界が混沌としてるんです。未来が見えないんです。不安になって当然です。不安が絡みついてる若者に富と安全に守られた安全地帯から「挑戦しろ!」と言い続ける元若者の声だけだと若者はどんどん黙ります。だから私は「不安を感じていいんだよ」と言い続けたい。返事しなくていいよ。おにぎりお食べ。


例えば、私自身は体に絡みついた不安をほぐして横に置く方法として「筋トレ」「ウォーキング」「ファスティング」がとても効果的です。
他にもいろいろな方法があると思います。こういう具体的方法はちゃんとまとめたいですね。


「今の若者が若者として生きてる世界の不安は元若者が感じていた不安と違う」。ここを忘れないでいたいと思います。