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「都会の定義とは時間の流れの差を認識できるか否かで決まる」と声高らかに主張したい。


「都会とは、先導する場に対応できる時間かどうか」、最終的にはここですよ。



この様な多数拠点での仕事を行う際についてのポイントは1つだけです。


「時差の壁さえ超えられるのなら今は本人次第でどうにでもなる」


日本国内でのリモートワーク ではそこまで関係ないかもしれませんが国をまたぐと、または遠い国だとどんなに高い機材を用意してもどんなに高いPCを買ってもどんなに美しく写るカメラを用意しても「時差だけは越えられない」という現実に遭遇します。


私も家族もこの「時差」という超えられない壁にいつも翻弄されてきました。しかも、この時差は北米に限っては「夏時間、冬時間」というひっかけ問題も発生します。始まる際に「冬がはじまるよ」を盛大にかけてほしい。


「都会」という定義はそれぞれの都市、国で今、急激に変わっていきます。それは技術の進歩と同時に新型肺炎と共に生きていく世界において急激に、そして瞬時に変わっていく。この変化に対応するためには

・最新のIT知識
・多拠点に経済拠点をどの様に確保し、運営していくかなどの情報収集
・家族の教育環境を移動にどの様に順応させていくかの選択肢の充実

などが重要になっていくわけですが、国をまたいでの仕事をする場合おいては「時差の壁を超えられる環境が作れるか」これにかかっています。


この相手の時間に合わせられる環境とか通信インフラなどの環境整備はもちろんですが、「時差の壁を超えられる環境が作れるか」。その環境があるかどうかはこれからとても重要になってきます。


わかりやすい例として「時差」を出しましたが、時差と言う見えないけど必ず損ざしてる壁として「時差」があるだけで、「仕事相手と時間の流れ方の差」は常に存在します。子供がいるかいないか、介護をしてるかいなか、結婚してるかしてないか、住んでる場所からどの様に移動しているか、住んでる場所と感染症の関係はどうなってるのか、などなど。。


この「時間の流れ方の差」をいかに認識するか、その流れの差をどれだけ自然に受け入れられる環境をつくれるか。それが「都会であるか否か」な気がします。いかにアウトソースできるか、いかに譲渡できるかなどの環境をどのくらい作れるか。


そんなこと自分には関係ないって思っている日本人のひとは、まだ多数派かもしれないけど、すぐにそんなこと言ってられない状態になりまっせ。世界は急激に動いている。その動きに乗れる様になってないと、海に投げ出されて、終わってしまうから。

#日経COMEMO #ずっと都会で働きますか