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【3期Nサロン企画(番外編)】『対話型鑑賞』×『メタダイアログ』に参加してログってるつもりが喋りすぎてしまった話


楽くてしゃべりすぎてしまった。やっぱり鑑賞は楽しいのう。


対話型鑑賞。実はかなり前から知っている。この本が出たあたりなので2000年くらいから知ってる。


私自身はその後出産し、子育てしながらアートに触れる生活をすることで、かろうじてなんとか親としての精神を保って生きてきた。そう、私はアートに救われて育児をしてきたのだ。


子供と一緒にアート鑑賞をしていく際に常に意識してきたのが対話。それを対話型鑑賞と意識するようになったのは子供と美術館に行っても気後しなくなってからだ。


そしてこのご時世、対話型鑑賞はオンラインでも行われるようになり、私の知ってる対話型鑑賞とはかなりスタイルが変わった。今日は久しぶりにその対話型鑑賞に参加なのだ。ワクワクが止まらないぜ。


しかし、楽しいからついつい話過ぎてしまう。作品背景を熱く語ったりしてしまうのは対話型鑑賞にはあまりよろしくない場合がある。ファシリテーターの方向性を邪魔をするような老害になってはあかん、と思い、全体でガツガツ話をしてはあかんと自分に言い聞かせる。


そしてチームに分かれて鑑賞について話す。今日の鑑賞作品はこちら。

おっとマティスじゃん。しかもグリーンラインじゃん。これ、マティスの奥さんだよね。確か、結婚生活破綻してたよね。そしてまだこの頃はマティスも写実がちゃんと出来てたけど、ピカソとかの噂や写実への反逆心やそして自身の体調の変化などから「目に見えないものを描く」にこだわり始めた頃だよね。。。


とにかくこの頃のサロン文化でのアーティストに関わる女性の地位の低さは目も当てられぬようなものであったんだよね。この時代の欧州の芸術家で愛妻家っていたのだろうか。女性は媒体としての存在しかなかった。そう、表情から、この緑の線こそ、まさに抑圧の象徴と捉えてもいいわけで。。。


おっと、熱く話過ぎてしまった。グループワークだからいっかって思ってたら全体発表でグループで熱く語ったことがバレてしまい、ちょと美術史漫談を披露。「サロン文化の男性アーティストはダメ人間ばかり」という漫談を披露して参加者の皆さんの脳の一部に強い印象を残してしまった。


子供が対象の対話型鑑賞ではこのような作品背景情報は入れない方がいいと個人的には思っている。なぜなら作品背景情報が印象に強い影響を与えてしまうから。だから全体では言わないようにしてたんだけどファシリテーターさんの許可もらったから、よしとする。


私の美術史漫談の後、他の方の感想がなんか軽い感じになったのがとても嬉しい。そうなの。もう世に出ちゃった作品なんだから、好きにあーだこーだいうのが楽しいの。そのあーだこーだを楽しんでほしい。対話型鑑賞の醍醐味は「自分の思いを解き放つ勇気を実感すること」なんだから。


ちなみに日本の対話型鑑賞ってこんなに自己の掘り下げあったっけ?というくらい「自己掘り下げ的要素が強い」のがちょっと意外でありました。大人だけだと、ビジネス的な意識が強くなると自己分析は不可欠なものなのかしらん。


自己分析も大事だけど、無責任に「こんな風に感じたわああ」的なやりとりとても有意義だと思うので、無責任に「だよねー」を言い合うのもとても楽しいと思うので、みんなもっとアートを気軽に語ることを楽しもう。


私で良ければ対話型鑑賞を盛り上げる漫談解説しますのでどうぞ呼んでください。