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「アート・シンキングの学校 #01 アートの触発で「正解」を超えよう」を受講して自分の勘違いに出会えた話。

「アート・シンキングの学校 #01 アートの触発で「正解」を超えよう」を受講しました。

若宮和男さんのお名前は存じ上げていたけどお話を聞くのは初めてです。

「アート思考」、今とても流行っている言葉ですよね。不確実性が強くなってしまっている昨今、不確実性についてどう向き合うかということみたいです。今までになかったものをうみだすのが「アート思考」なんだそうです。「アート思考は自分中心。自分が好き」が土台。それは突然の出会いであり、もしかしたら新しい世界の始まりになるかもしれない。とのこと。

ふむふむ。そして私は今回受講してやっと理解します。

美術に関わることをずっと続けてきた私としてはここで言われる「アート」というのが芸術表現そのものを指してる訳ではないことに、やっと気がつきました。


VUCAの時代、アートの時代において正解とは?ということ。正解も不正解もない、「歪解」がこれから求められる。
あなただけの「work」は何か、歪なものを歪な状態で出していこう。


アートを作品として、作品に触れることが日常な私からすると「なんかしっくりこないなあ」と思っていた点が明確になりました(この明確になったということは本当に大事!今日参加した甲斐があった)。そうか、このアートって芸術表現のことじゃなかったのか!


そこで私は我に返ります。私が自分で今までしてきたこと、これからも続けていきたいことは

「美術に触れると閉塞感を快感に変えられることを伝える」

ということ。特に私は日本滞在中から東南アジア生活において「芸術に触れる」ことで生活を救ってもらってきました。

だからつい「アート」を芸術表現そのものと意識してしまっていたけど、ちょと違った様です。なるほど、これでやっとしっくりきました。


今回は若宮和男さんのトークと藤原佳奈さんパフォーマンス、そしてお二人のトークセッションの三部構成になっていました。パフォーマンス部分はどんなものなのか、とても楽しみだったのですが予想外の驚きがありました。


私は現代演劇に触れる機会があまりないので藤原佳奈さんは存じ上げていませんでした(ごめんなさい😭)。今回、彼女の作り出す演劇はとても「(テクノロジーを使うけど)自分の思いを伝えたい」という想いがすごく強く感じることができるものでした。熱い想いのこもったメールを読む様でした。


そして予想外に面白かったのは、パフォーマンスのアイスブレイク的なワークがチャットワークだったこと。チャットワークは慣れていれば慣れているほど「リアルよりも深い、鋭いコミュニケーション」が取れるのだなと感じました。


やはり私は手法ではなくて実際の芸術に関わって、感じたいんだなあ、その感じた快感が気持ちいいんだよって伝えたいんだなあと思いました。


この「感じる」ことにもっと日本人は日本語世界で自由になればいいのにと思います。「美術館女子」騒動なんてまさにそうでしたね。


何が悲しいって日本だと、人の感じ方を「こんなのおかしい」って叩くだけ叩いて、それで終わってしまうことが多いこと。


人の感じ方は時間によって、場所によって、経験によって違います。その違いは技術で同じ様には導くことはできません。でも、感じるのって快感なんですよ。快感だから人によって違うのは当たり前。


そして言葉、写真の表現で自分の感情がそれぞれ揺さぶられるのもまた良し。その揺さぶられかたも自由で良いはずなんです。石碑と和歌が連動するお話、とても興味深かったのですが六義園のことかしら。


この言葉で想像の連鎖を産むというのは自分がアートを愛でることによって何度も体感しています。例えば去年開催された瀬戸内国際芸術祭。大島の鴻池朋子さんお作品「リングワンデルング」。

これは大島にかつてあった山の散歩道を復活させ、その道中に作品を置きながら「大島の歴史」「大島に暮らすことになってしまったハンセン病の人たち」を想う作品。山道を歩き、海を眺め、風を感じることで発動する脳内ARはまさに圧巻ものでした。

大島は本当に素晴らしいので、ぜひまた訪れたいです。


そう、その場の直接的な揺さぶりとまた違う揺さぶりって存在するんです。


ちなみに、日本の皆さんが「オンラインでも揺さぶりの空気を感じられるようになったのはぶっちゃけ「オンラインしかなかった状態になったから」だと思います。私自身は現在居住しているマレーシアでロックダウンで閉じ込められる前から国内外のやりとりは基本オンラインでした。日本では「オフラインありき」で、オンラインは「仕方なくやってる」感じが正直ありました(悲しかった)。でも、新型肺炎時は日本でも明らかにオンラインでも空気が変わりました。


この「オンラインでもいけるやん」「新しいことやってみようぜ」感を日本の自由な空気を持っている人たちに忘れないでほしいと切に願っています。


なぜなら、このオンラインという選択肢がない時代、オフラインで弾かれてきた多くの人たちがいたから。そう、私も弾かれていた一人でした、だから自分で勝手に活動してたけど。


アート思考というのはビジネスにする前の「自分で自由に発想していい」思考の様です。私自身は難しい世界とは別世界の「美術をもっと身近に自由に楽しむ世界」を構築したいという野望があります。なぜなら自分が赤子から幼子を育てていた時、アートに触れることで本当に救われてきたから。そしてその時の体験は私と家族が日本を出てもたくましく生き抜くための最強の武器になっています。


アート思考という言葉の概念を再認識できた今日「一般鑑賞者が(強者から馬鹿にされず、叩かれず)安心して美術を楽しめるプラットフォーム」について正解、不正解を考えず自由に考えてみたいと思いました。


とてもよい気づきを与えてくれた講義でした。どうもありがとうございました。



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